火星ナポリタン
kumapom
火星ナポリタン
当時、僕はとある会社のサラリーマンだった。
「狩野、一緒に昼飯行くか?」
同僚の安西が僕のデスクの横に立ってそう言った。オフィスの時計を見ると、針が十二時の数分前を指していた。
「ああ、もう昼か。そうだな。安西、どこかいい店知っているかい?」
「うーん、いつもの定食屋でいいんじゃないか?」
「ああ、荻野屋か。まあ、あそこでもいいか。魚も旨いしな」
「そうそう。じゃ、ちょっと早いが行っちゃおうぜ。あそこ混むから」
僕は周りを見渡した。部長は課長と話し込んでいて、こちらには気付きそうもなく、周りのチームの人たちは既に何人か席にいない状態だった。僕らは少し腰を低くして席を立ってエレベーターに乗り、会社を出た。外は青空が広がり、実に天気が良かった。自由がそこにあった。
「サラリーマンは楽だけどなー」
安西は伸びをしながらそう言った。
「まあ、サラリーマンは仕事内容以外は特に考えなくて済むし、楽な仕事だと思うよ」
僕がそう言うと、安西は言葉を続けた。
「俺、そのうち自分で会社起こそうかと考えててさ」
「へえ、会社。凄いな。面倒だろう?」
「意外とね、俺らみたいな仲介業だとね、元手はあまりいらないし、ノウハウとコネがあればいけるみたいよ?」
「……なんか悪い本でも読んでそうだな」
「大丈夫、騙されてないって。多分だけどな」
「……そうだといいな」
「さて、今日は何食おうっかなー。いつものサバ定かな?」
「安西、いつもサバ定食頼んでるな」
「え? そんなことは無いでしょ。俺、シャケとかも好きだし」
「そのサバとシャケの2つでローテーションになってると思うよ?」
「……マジで?」
着いてみると、いつも通っている店「荻野屋」お休みだった。安西は残念そうに膝を落とした。
「ああ、今日休みだったか……残念」
「まあ、そういう日もあるよ安西」
「そうだ、狩野、向こうの通りに行ってみるか? 行ってみたことないし」
「……そうだな。見てみるか」
そして僕らはいつもは行かない一本向こうの裏通りへ向かった。
あたりをキョロキョロと見回すと、一軒の店が目に入った。それは喫茶店のように見えた。店の前にポップが置いてあり、ランチをやっているようだった。
「あの店に行ってみるか? 狩野? 俺の野生の勘がうずくんだけれど」
見渡してみたが、他に店は見当たらなかった。
「とりあえず、店の前のメニューぽいのを見てみよう」
「オーケー」
店の前まで来ると、小さな縦長の黒板に「今日のランチメニュー」が書いてあった。安西はそれを見て喜んだ。看板には「ラピスラズリ」と書いてある。
「見ろよ、やっぱりだ! サバだよ! サバ定と書いてあるよ!」
「……結局それか」
「いーじゃん、いーじゃん。旨いんだから。よし決まりー」
「まあ、あたりを見回しても他に食えそうな店は無さそうだし、いいか」
「じゃ、入るか」
僕らはドアを押した。ドアについた鐘がカランカランと軽い音を立てて響いた。
「いらっしゃいませー」
店の中で出迎えてくれたのはミドルヘアの髪の女の人だった。ピンクのウサギのついたエプロンが似合っている。
「お好きな席へどうぞ」
「はーい」
安西は軽い返事をしながら窓際の席へどっかと座った。僕も続いてやつの向かいへ座った。しばらくすると彼女がメニューを持ってやって来た。
「注文が決まりましたらお声をかけて下さい」
「サバ定!」
安西は即答で答えた。彼女はあまりの即答ぶりに意表を突かれたようだった。
「え、あ、はい。サバ定ですね。そちらの方は?」
「あ、僕はこれから決めるので、後でお願いします」
そうなのだ。何も決めていない。そして食いたいものも無い。何を食おうか……。僕はメニューを開いて考え始めた。
メニューは豊富だった。和洋中と全部ある。しかも多い。料理人はかなりの腕と見た。
しかし、しかしである。今食べたいものは何か?全然分からない。どうなっているのか俺の胃は?せめて和洋中のどれかを選べ。
「決まりましたか?」
近くを通った彼女がこちらに聞いて来た。
「あ、こいつ、けっこう悩む方なんで」
安西が分かった風なことを言っている。少しムカついた。
「すいません、もう少し……」
「分かりましたー」
早く決めないと……。
数分考えた後、僕はいつかのメニューに絞った。ナスの味噌炒め定食。和食。ペペロンチーノセット。洋食。麻婆豆腐定食。中華だ。
僕は自分の優柔不断さに頭を抱えた。和洋中でさえ決められない。ええい、決めろ僕。僕はバジルトマトパスタセットに決めた。サラダとコーヒーがつくのがこれだけなのだ。僕は手を挙げた。
「すいませーん」
「はーい」
彼女はスタスタとこちらにやって来た。
「何にします?」
「バジルトマトのセットを……コーヒーで」
彼女は一瞬考えた。
「すいません、それ水曜日のやつです」
今日は木曜日だった。あああ違うところを見ていた。心なしか安西が笑ったような。くそう、パスタ食いたかったのに……そう考えると今さら和食や中華にはしづらい。僕は目を皿にしてパスタメニューを探した。
「パスタが良いんでしたら、うちのナポリタン食べてみます?」
「ナポリタン?」
「ええ、美味しいって評判なんですよ。セットのコーヒーも出来ますし」
「へえ……あ、じゃそれお願いしようかな」
「それじゃ、今から作りますねー!」
彼女はそういうとそそくさとカウンターの向こうに回った。なんと彼女がナポリタンを作っているようだ。奥にはもう一人ヒゲのマスターらしき男性がいるのだが、パスタはもしかしたら彼女の担当なのかもしれない。彼女は楽しそうにパスタを作っている。
それを見ていると、ヒゲのマスターがサバ定を持ってやってきた。
「こちら、サバ定食になります」
「ひょー!」
安西が喜んだのも無理はない。それはツヤツヤとして実に美味そうだった。もしやこっちが当たりだったか。僕はこれからやって来る自分のナポリタンに一抹の不安を覚えた。しかし、彼女はナポリタンが旨くて評判と言っていたし、ここは一つ信じるとしよう。
数分後、彼女がナポリタンを持ってやってきた。
「お待たせしました。こちらナポリタンセットになります」
「ありがとう」
「いえ」
僕はさっそく箸をつけた。ナポリタンは半分和食だという認識なので、箸でオーケーなのだ。
食べて見て驚いた。旨い。実に旨い。奥が深いというか。酸味と塩味の絶妙なバランス具合。トマトにピーマンの素材の美味しさ。これは旨い。僕は目を丸くして一心不乱にナポリタンを食べ続けた。そしてすぐに一皿平らげてしまった。
「これ美味しいですよ!」
こちらの様子を伺っていた彼女に僕はそう告げた。
「でしょー。自慢の品なんですよ。ふふふ」
「こんな美味しいナポリタン初めて食べましたよ」
「これはね……あたしのおばあちゃん直伝の秘密があるんです」
「へー」
奥にいたヒゲの店長がこちらをチラと見た。何やらくやしそうだ。秘密らしい。
「もう一皿いいですか?」
「おいおい、狩野、太るぞ」
「だって安西、食いたいんだよ」
「半額ですが追加料金になりますけれど?」
「ええ、お願いします」
僕はもう一皿もすぐに平らげた。もっと食いたかったが、胃が無理と言っている。くそう。その日は退散した。
「いらっしゃいませー」
その日以来、僕はその店に通った。もちろん頼むのはナポリタンである。
「おいおい、狩野、人の事全然言えないじゃないか」
「だって、ナポリタンを食いに来ているんだよ」
「すいませーんサバ定で!」
安西が手を上げて注文をする。
「はーい。そちらはナポリタンですね?」
もはやサバ定ナポリタンの二人と覚えられているに違いない。それでも僕はナポリタンを頼み続けた。何と呼ばれようがナポリタンが食いたいのだ。僕は通い続けた。
僕は雨の日も風の日も、安西が一緒でない時も店に通った。
「あ、また来ましたね狩野さん。いらっしゃい。またナポリタンでいいんです?」
「あ、うん」
もはや常連と化していた。そしていつしか彼女の名がレイコさんであることを知った。漢字までは分からないけれど。
「ほんと、美味しそうに食べますねー狩野さん」
「いや、僕これ好きだし」
「そう言われるとやりがいあるわー。うふふ」
僕はふと彼女のエプロンが気になった。
「あの、ウサギが好きなんです?」
「あーこれ。そうですね。好きですね。でもこれ古くなっちゃって」
確かにみるとあちこちに料理から飛んだシミが出来ているし、生地もクタクタになっているように見える。僕は少し彼女が可哀想になった。
「ウサギ……ですか……」
「これキャラクターらしいんですけど、あたし名前知らないんですよ。でもお気に入りで」
「へー」
ある休みの日のこと。アーケードを歩いていたらふと例のうさぎが目に止まった。しかもエプロンである。一瞬プレゼントをしようかと思ったが、そこまで親しいわけではないし。と思って止まった。
「何かお探しですか?」
エプロンを見る僕に店員の女の人が声をかけてきた。
「いえ、そういう訳ではないのですが」
「プレゼントですか?」
「え?」
「だって、男性はこのエプロンにそうそう注目しませんよ」
「ああ、そうですよね。ははは」
「買います? お安くしておきますよ」
僕は考えた。買っても良いがもし受け取って貰えなかったら……。
「あ、いや、ちょっと聞いてからまた来ます」
「そうですか……よろしくお願いしますね」
とりあえずその場は去った。
どうしたことか仕事がラッシュでやってきた。僕は喫茶店ラピスラズリに通えなくなった。昼が社食の定食になった。
「何で急に案件が増えるかね」
安西もぼやいている。
「社長が持って来たんだよ。チャンスだからって」
「んー、チャンスねぇ……そんなに儲かる案件でも無さそうだけれど」
「社長も懸命なんだよ。事情はよく知らないけれど、火の車だって聞いているし」
「そうなんだ?」
「軽く人づてて聞いただけだけれどもね」
「へえ……」
そして一週間が経った。仕事はようやく一段落し、僕は昼に出かけることが出来るようにようやくなった。僕は意気揚々と店へ向かった。足が軽い。またあのナポリタンが食える。エプロンのこともあるし。聞いてみないと。
しかし、店に来た僕を待っていたのは意外なものだった。
張り紙があった。「都合により閉店いたします』と書いてあった。中を覗いても真っ暗で人の気配がしない。
「そんな……」
しばらくすると建築業者と思われる人たちがやってきた。僕は聞いてみた。
「あの……これはどういう……」
僕に気付いたその人は素っ頓狂に答えた。
「張り紙貼ってあるだろ。それ以上のことは知らないな」
「……そうです……よね」
そうだなのだ。知る訳がない。僕は考えた。誰か事情を知る人はいないか。見回すと向かいのタバコ屋が見えた。何か知っているかもしれない。
「あの、向かいの喫茶店」
店先にいたおばちゃんが読んでいた新聞からこっちに目を向けた。
「ああ、閉まっちゃったねぇ」
「事情分かります?」
「あー、何でもオーナーが破産して閉めたとか閉めないとか聞いたねぇ」
「働いていた人たちは?」
「それは知らないねぇ。あまり会ったこともないし」
「そうですか……」
どうやら手がかりは無さそうだった。そうこうしているうちに昼時間が過ぎそうだったので、僕はコンビニでパンを買って会社へ戻った。
それからの僕は魂が抜けたゾンビのようだった。
昼になると安西や他の同僚が昼飯に誘いに来るので一緒についていくが、どうやら上の空で飯を食っているらしい。飯は箸から落とすわ、ソースはぶちまけるわ、ナプキンを折り始めるわ。
様子がおかしいということで、安西が心配して声をかけてきた。
「お前、おかしいぞ」
「うん、分かっている」
「そんなにあの店が好きだったのか」
「うん」
「本当は店員さんが好きだったりして」
「……そんなことはないよ。親しくはなったけれど」
「ナポリタンとか他の店でも頼めるじゃん」
「同じじゃないし」
「たいして変わらないと思うけれど」
「違うんだよ」
安西は僕を見て腕を組んで考えている。
「そうだ!経理のミッちゃんに聞いたあそこに行くか」
「……何?」
「旨いパスタの店があるって聞いているんだよ」
「へえ」
「じゃ、店を聞いとくから、次の機会に行くぞ!」
「……うん」
数日後、僕は安西とミッちゃんとやらと一緒にそのパスタの店へ行った。店はおしゃれなイタリアンの店だった。確かに旨そうだ。
「どうも、末松美智子です」
ミッちゃんは小柄で可愛い子だった。心なしか安西の鼻の下が伸びている気がする。
「狩野です」
「なんか元気が無いって聞いてまして」
「いや、そんなことは無いんですけれど」
「うそつけ」
「ここ、とっても美味しいんですよ。食べて元気になってくださいね」
「ありがとう」
安西とミッちゃんはそうそうに注文するものを決めて頼んだ。僕はと言うと、いつものように決まらない。
「どれも旨いらしいから、どれでもいいんじゃない?」
安西はそういうが、出来ればナポリタンが食いたい。あの味よもう一度。
「……ナポリタンが無い」
安西とミッちゃんは顔を見合わせた。
「ごめん狩野。ここ本格イタリアンだから無いのかも」
「無いのか……じゃあ……」
結局僕は無難にトマトソースのパスタを頼んだ。やがて店員さんが料理を運んで来た。
「美味しいー」
ミッちゃんが喜んでいる。
「初めてここのカルボナーラ食べたんですけど、美味しいです。いつもはボンゴレとかなんですけど」
「旨いなこれ」
安西も目の色を変えて食べている。やつはトマト風味のボンゴレだ。
「でしょー。狩野さんはどうです?」
確かに旨かった。
「美味しいです」
「よかったー」
旨かったんだが、あのナポリタンのような充実感が無い。どういうことなのか僕は考えてしまった。それを見た安西がぼやくように言った。
「んーダメか……」
どうやらまた上の空な感じだったらしい。そうだけれども。
帰り道、安西が話しかけて来た。
「こんどはメニュー確認しとくからさ。ナポリタンがあるかどうか」
「ごめんなさいねー。気付かなくて」
「いえ、僕が偏屈なだけで。店はいいと思いますよ」
「どこかあったかしらー?」
その後、また二人と共にナポリタンのある店に行った。そこのナポリタンもなかなか旨かった。旨かったんだが……。
喫茶店『ラピスラズリ』が閉店してから数年が経った。僕は相変わらず同じ会社に勤めていた。安西は自分で会社を起こすとかで辞めた。僕は後輩と昼飯に行くようになった。
「先輩、本当にナポリタン好きなんですね」
「あ……うん」
後輩とやってきた喫茶店で、僕はいつものようにナポリタンを頼んだ。
「たまに別なものを食べて見てもいいのでは? ここ色々美味しいらしいですよ」
「あ、いや……これが好きなんで。うん」
僕は色々な店に入るたび、決まり文句のようにナポリタンを注文した。一時期はあだ名が『ナポリ』になったぐらいだった。しかし、あのナポリタンと同じものにはついぞ出会えなかった。
ある時、世界的な問題が起きた。世界中でトマトが採れなくなったのだ。正しくは少数は収穫されたが、庶民のものではなくなった。高級料理になってしまったのだ。トマトがてに入らないと言うことはケチャップがてに入らないと言うことだ。イコール、ナポリタンが作れない。
そして庶民向けの喫茶店やレストランのメニューから「ナポリタン」の文字が消えた。僕は頼めなくなったナポリタンの代わりにボンゴレくんと呼ばれ始めた。
そして十数年年が過ぎた。世界はテクノロジーが発展し変化した。初めは月への遊覧飛行ぐらいだったが、やがて人類は火星にいじゅうするようになった。世界は宇宙時代に入ったのだ。
僕はというと、安西の勧めもあり、独立して会社を起こして火星との貿易をやるようになった。
◇
「はい、はい……すいません、次元通信がどうやら不具合があるようで。はい。はい。要件は分かります。パーツですね。ロボットの。はい。大丈夫です。用意できます。貨物便でよろしいですか……え? パーツだけ送られても技術者がいない? どうしましょうかね……」
火星の工場にロボットの部品を納入する案件が入った。問題は技術者だった。現地にいないらしい。更に困ったことにはその技術者はなかなか見つからないと言うことだった。しかし僕には一つアテがあったのだ。自分だ。
「私……その資格持っているんですが、そちらに伺いましょうか?……はい、はい。ええ、例の航法は不慣れであまり得意ではないのですが、追加料金をいただけるなら……はいはい……分かりました。後ほど次元ファックスで見積もりをお送りしますので」
そして商談は成立し、僕は火星へと旅だった。
「アテンションプリーズ。今日は火星連絡ロケット「はやて号」に搭乗いただきありがとうーございますぅ」
火星訛りの日本語のアナウンスが流れた。出発の時間だ。僕はキャビンクルーを呼んだ。
「あの、私、この次元パルス航法にとても弱くて」
「酔い止めがご入り用ですか?」
「はい! お願いします。あと、何か気の紛れるものありませんでしょうか?」
「ゲームなどいかがでしょうか?」
そう言うとキャビンクルーは古い携帯ゲーム機を差し出した。
「ああ、ポリゴンがカクカクやつ。オールドで懐かしいですね。今のはリアルすぎますからね」
「そういうお客様多いんですよ。それではどうぞ」
「ありがとうございます」
やがてカウントダウンが始まった。僕は必死にゲームに没頭した。
「5、4、3、2、1……オールエンジンスタート」
そして数時間後。
「お客様……お客様……?」
「はっ!……ああ、眠ってしまったようです」
「もうすぐ到着になります。火星です」
僕はキャビンクルーの声に目覚めて窓の外を眺めた。大きな火星の地表が眼下に広がっていた。
「こちらが持ってきましたロボットの部品で」
「ほう」
社長は僕の持ってきたロボットのパーツをまじまじと見つめた。
「作業はいつ取りかかれますか?うちも工場の稼働を止められないんでね」
「は、すぐに取りかかります」
僕は持ってきた道具と工場の一角の設備を借りて壊れていたロボットを直した。
「やあ。ありがとう。あなた、大した腕だね」
「いえいえ、前職がそういう関係でしたし」
「なるほどなるほど」
社長は上機嫌だった。
「どうです、このあと一緒に会食でも。作業でお疲れでしょう」
「あ、いえ大丈夫ですよ。こういう作業は慣れていますし」
「まあまあそう言わずに」
僕は断りきれず社長と秘書の女性と共に近くのレストランへと向かった。
「ここはね、パスタが有名なんですよ」
「そうなんですか」
「特にボンゴレなんかはなかなかのもので。あ、狩野さんは地球からでしたね。お口に合うかどうか。あ、君、メニューを」
社長に言われてウェイトレスがメニューを全員に配り回った。
「狩野さんは、どんなパスタがお好みで?」
「あー……僕は庶民的なやつが好みなんですが」
「ほう、例えば?」
「……ナポリタンとか」
「ナポリタン……? ああ、そう言えば昔そういうものがありましたなー。懐かしい」
と、メニューを見ていた僕はあるところに釘付けになった。
「あ、あの。ここにトマトを使ったパスタがあるんですが! そうとうお高いのでは?」
「ああ、それはですね。火星産のトマトなんですよ。そんな高くありませんよ」
「火星産のトマト?」
「正しくはトマトのようなものらしいのですが。なんでも人工的に作ったのだとか」
「へえ……」
「味も似てますよ。本物に」
僕は一心不乱にメニューを読んだ後、ウェイトレスを呼んだ。
「あの、ナポリタンはありませんか?」
僕に聞かれたウェイトレスは何のことか分からなかったらしく、厨房に聞きに行き、戻ってきた。
「シェフに聞いて来ましたが、どうやらお客様の言うところのナポリタンと言うメニューは無いようです」
「……そうですか」
秘書にスケジュールを見せられた社長は間に入って話を進めた。時間が無いらしい。
「まあまあ、他にも美味しいものはありますし……」
そして僕は他のトマトメニューを頼んだ。味は確かにトマトに似ていた。少し辛い気がする。唐辛子でも合成したのだろうか。まあ旨いことは旨かった。
そして会食を終え、僕らが帰ろうとした時のことだった。後ろから呼び止められた
「あのお客様……」
僕を呼び止めたのはさっきのウェイトレスだった。
「何か?」
「シェフがこれをお渡しするようにと。何でも先ほどのナポリタンがどうとか……」
僕がその折り畳まれた紙を広げてみると、ある住所が書いてあった。僕はウェイトレスに紙を見せてウェイトレスに聞いた。
「あの、これはどの辺の住所ですか?」
「これは……この先のオリンポスですね」
「オリンポス?」
社長が言った。
「この先にある大都市ですよ。この辺の中心地ですね」
「近いですか?」
「近いと言っても百キロぐらいはありますね。シャトルを使わないと」
「シャトルですか?」
「宇宙ポートから出ている浮遊バスです。地上を走る船です。速いんで数時間でいけますね」
「なるほど! ありがとうございます!」
僕は残りの仕事を終え、オリンポスへと向かった。
「え? シャトル出ちゃった?」
「はい……」
宇宙ポートに来た狩野を待っていたのは案内係の非常な一言だった。
「次は?」
「三日後です」
僕は明日には帰る予定なのである。
「……ほ、他に何かありませんか? タクシーとか?」
「乗り場ならあそこに」
案内係は狩野の後ろを指差した。タクシーと書かれた看板があり、浮遊する黄色いタクシーが浮いているのが見えた。
「ありがとう!」
乗り場に着くと、運転手は外で煙草を吸っていた。髭面で少し太っている男だった。
「あの……!」
「ん? なんだい?」
運転手は機嫌悪そうにそう答えた。
「オリンポスまで行きたいんですが」
「今行けないよ。残念ながら」
「え?」
「……エンジン調子おかしいんだよ。今作業員呼んでいる途中。直ったら行けるけど、他当たってくれないか?」
僕は周りを見渡した。他にタクシーは見あたらない。すると、エンジニアらしき人が荷物を持ってやってきてエンジンルーム開けて見始めた。
「どうだい? 直るかい?」
運転手に聞かれたエンジニアは中をつぶさに見ていたが、ある壊れた部品を見つけた。
「ああ、これですね。交換すれば大丈夫だと思います」
「部品高い?」
運転手はエンジニアと値段の交渉をしている。やがて商談はまとまり、直したエンジンが始動した。
傍でその様子を見ていた僕を見て運転手は言った。
「オリンポスまで5500Gでどうだい? 高いか?」
「お願いします!」
タクシーはスムーズに進んだ。オリンポスまであともうちょっとである。僕は頭の中であのナポリタンの味を思い出していた。正確には思い出せないが、酸味と甘みと、あのとろけるような食感と。僕は思わずよだれが出そうになった。
と、タクシーがガクガクとなり始めた。
「あー、まただよ」
タクシーがプスンプスンと音立てて減速し、やがて完全に止まった。煙を吹いている。
「そんな、あともうちょっとだって言うのに」
「悪いな、ニイちゃん。応援呼ぶわ」
「あの、僕歩きます!」
「え? まだ数十キロはあるぜ? それに……!」
「急ぐので!」
僕は走った。正確には早足で歩いた。火星はテラフォーミングで何とか歩ける環境にはなっている。とは言っても運動不足の自分にはなかなかきついものがあった。
周りには火星の荒野が広がっていた。赤い荒野である。その中にアスファルトの道が一本あるだけだ。こんなところをスタスタと歩くはめになるなんて思いもしなかった。
しばらくいくと巨大な岩が現れた。数百メーターがはあるだろうか。その周りになぜか巨大な穴ぼこがいくつか空いている。
音がした。重い何かを引きずるような。そして地響きと砂塵と共に何かが現れた。それは数十メートルはあると思われる巨大なミミズのような生き物だった。
「うわぁ!」
僕はは逃げた。一目散に逃げた。信じられないくらい速く走った。火星にあんな生物がいるとは聞いていないぞ。
しばらく走ると、もう音は聞こえなくなった。
「なんとかまけたか……いや、単に奴のなわばり範囲を抜けたと言うことかな?……あっ!」
道の先を見ると、遠くに巨大なドームが見えた。火星の街に見える。
「あれが、もしかして!オリンポス!」
衛兵らしき人が街の入り口に立っていた。大きな銃を持っている。たぶんさっきのモンスター用だろう。
「お兄さん、歩いて来たのかい?」
「ええ、やっとでしたよ」
「強いな……もしかして地球人かい?」
「よく分かりますね」
「なら分かる」
意味が分からなかったが、すんなりとゲートを通してくれたので問題はない。僕は街の中へと入った。
「さて、店の住所は……」
僕はポケットをまさぐった。無い。さっき貰ったメモが無い。
「そんな……」
僕は絶望に暮れた。しかし手がかりが無い訳では無かった。店の名前を覚えていたのだ。店の名前はルビー。いやオパールだったかな?確かその辺の名前。僕はその辺の人に聞いてみることにした。
「あの、店を探しているんですが」
道を行く丸いおじさんに聞いてみた。いかにも美食家で大食漢な感じだったからである。
「なんてお店だい?」
「たしかルビーとか、サファイアとか」
「……んー、知らないな。旨い店なら知っているが、食事かい?」
「そうなんですが……あの、ナポリタンが目当てで」
「……ナポ?」
どうやら知らないらしかった。他の人に聞いてみる。
水商売風の女の人に聞いてみた。
「ナポリ……知ってる。地球のフランスの地名ね」
近いけれど違う。そして店のことはやはり知らなかった。
他にも何人か聞いてみたが、誰もその店を知らなかった。というかナポリタンを知る人がいない。
僕は途方に暮れて通りの公園のベンチに腰掛けた。子供達が遊んでいる。のどかだ。まるで火星の風景には見えない。上のドームを見なければ日本の小都市と言われても分からない。
僕はふと一人の男の子の服に赤いソースがついているのに気がついた。トマトソースに見える。いや火星トマトのソースに見える。僕は近くでそれを見ていた主婦らしき人に聞いてみた。
「あの……」
女の人は少し怪訝そうな顔をした。
「何か?」
「お店を探してるんですが。その……ナポリタンって知っています?」
「ナポリタン? ええ……」
「そうですか……残念です……。今なんて言いました?」
「ええ。と」
「知ってる?」
「あのパスタをケチャップであえた料理でしょう? 知っていますよ」
「それを出してくれるお店を探しているんですが!」
女の人は周りにいた他の人としばらく話し込んでいた。
「この先のルビーとかいう喫茶店みたいですね」
「本当ですか?」
僕は店までの道を聞き、その通りに歩いた。そして見つけたのだ。その喫茶店を。
僕は意気揚々と店のドアを開いた。
「いらっしゃいませー」
太ったおばさんが出迎えてくれた。僕は窓際の席へと座った。
「こちらがメニューになります」
渡されたメニューをつぶさに観察する。ナポリタン……ナポリタン……あった!僕はそそくさと手を挙げた。
「すいません! 注文いいですか?」
やがてノロノロとおばさんがやって来て注文をとった。
「何にします?」
「ナポリタンを!」
おばさんが止まった。
「ごめんなさいねぇ。私それ作れなくて」
えええええ。じゃ何でメニューにあるの!
「他の人なら作れるんだけれども、今日はまだ来ていないの」
ああ、そういうことか。シェフ急いで出勤して!
「しばらく……そうねぇ、小一時間もすれば来るとは思うんだけれども、どうします?」
「そうですね……」
僕は考えた。他のメニューにするか。空きっ腹を抱えてじっと待つか。そして飲み物を頼むことを思いついた。そうだ、それで時間をつぶせば。明日のロケットが気になるが、数時間なら問題ない。はず。
「とりあえず飲み物でいいですか?」
「はい。ごめんねぇ」
僕はコーヒーを頼んで時間をつぶした。
1時間ほど経っただろうか。シェフがやってきたらしい。奥でなにやらゴソゴソやっている。
そして店の奥から他の女の人が出て来た。僕はそれを見て驚いた。エプロンにウサギのキャラクターがあったのである。そしてその上にかつて見知った顔があった。
「レイコさん?」
「……狩野さん?」
「どうしてここに?」
「狩野さんこそ?」
「僕は出張で来たんですけれど」
「私は……色々あってここにいるんですけれど。懐かしいですね」
「あらー、お二人知り合いなの?」
おばさんが茶々を入れる。レイコさんは僕の顔をじっと見ている。
「ナポリタン?」
そう言って笑った。
「はい!」
「ごめん、今作れないの」
ええええええええええええええええええええ。何で?
「作れないんですか?」
「材料が足りなくて」
「材料?」
「ケチャップは……火星のトマトで作ったのがあるんだけれど。秘密の香辛料がね」
ああ、なるほど。あの味はやはり秘密があったのか。
「街から出て少し先に作った農場に行けば取れるんだけど、今はねぇ」
「そうそう、今はねぇ」
おばさんが相槌を打つ。
「ワームがねぇ」
「ワームですか? レイコさん」
「巨大な火星の生物なんだけれど、最近街の周辺に出没していて、危なくて行けないのよ」
多分さっきのやつだ。あれか……。確かにあれは危険だ。
「狩野さん、出張って言ってたっけ?」
「はい、昨日火星に着きました」
「じゃ、純粋な地球人ね」
「……地球人ですけれど……?」
「頼まれてくれればナポリタンが作れるかも」
「?」
レイコさんが言うのはこういうことだった。どうやら地球人は重力の低い火星では超人らしい。何でもワームと戦えるとか。マジか。戦えるとは思えないんですけれど。
「取りに行ってくれる?」
「難易度は? あと僕、明日のロケット便があるので」
「難易度は……装備があれば十分だと思うわ。時間はそんなかからないと思う。数キロだから」
僕は考えた末に依頼を承諾した。
「裏のおじいちゃんが装備一式貸してくれるみたいだから、行って見て」
レイコさんに言われた僕は裏のおじいちゃんを訪ねた。
「ああ。レイコさんが言ってた人じゃな。こっちじゃ」
僕はおじいちゃんに導かれて納屋へやって来た。ほこりっぽい。
「これはワシが火星開拓民で来た時に軍から支給されたスーツでのう。あの時は大活躍じゃった、特にあの虫穴討伐の時のワシの活躍と言ったらもう語り草でのう……詳しく聞きたいか?」
「あの……急ぐので」
「そう、それはある事件から始まったのじゃ……」
そこから1時間ほどおじいちゃんの英雄譚を聞かされた。聞くしか無かった。
「その時のスーツがこれじゃ」
おじいちゃんが指差したその先にはアーマードスーツがあった。どう見ても鎧である。
僕は四苦八苦しながらそのスーツをまとった。スイッチを入れるとスーツは起動した。
そして僕は槍を持ち、せなかに採取用のバッグを背負って、ビークルで農場へと向かった。
「達者での!」
あの、おじいちゃん。何か無責任を感じるんですけれど。
道中は特に問題は無かった。ビークルがあったからである。太いタイヤを履いた荒地を走る車だ。これがあれば素早く移動が可能なのだ。素早く移動が可能ということは、あのワームに出会う確率が著しく下がるということである。
しばらくすると、砂埃が遠くに見え始めた。ワームだ。しかし距離がまだある。これならば問題はない。僕はビークルをなるべく遠ざけて走らせた。しかしそれがまずかったのかもしれない。
「うわっ!」
ビークルは止まった。地面が凹んでいたのだ。そこにはまってしまった。ビークルは巨大でとても動かせそうにない。そうこうしているうちに地響きが近づいてくるのが聞こえた。僕は振り返った。
砂塵の中に立つ二十メートルはあろうかと思われるワーム。それが口を開けてそこにいた。僕は美味しくないです!……という話が通じる相手ではなく、ワームは僕を捕食しようと首をもたげた。
一撃が地面に当たるたびに砂埃が大きく舞い上がる。ついでに岩や石が飛び散る。スーツにそれらが当たる音がカンカンと聞こえている。
僕は避けて走った。スーツの能力のせいか、まるで車で走るかのような速度で動ける。これなら戦えるかもしれない。そう思った矢先。僕は一撃をくらい吹き飛ばされた。
そして運が悪いことにそこに巨大な岩があった。僕は頭を岩に打ち付け、意識が朦朧となった。ワームが迫ってくる。
僕はふらふらとしながらも槍の電撃スイッチを入れて走ってワームに飛びかかった。じいさんが言っていた。「これは凄い武器なのじゃ。くれぐれも使う時以外電撃スイッチを入れぬようにな。ほほほ」と。
稲妻が走り、一撃がワームを真っ二つにした。凄い威力だった。僕は勢いあまって地面にもんどりうった。意識が遠のいていく。ああ、気絶するかも……。
しばらくして僕は目を覚ました。ワームは肉片になって転がっていた。時計を見た。発ってから1時間経っている。急がないと。しかしビークルはどうするか。
ふと僕はスーツの能力に気づき、ビークルを持ち上げられるのではないかと思った。
試しに片手でビークルを引っ張り上げてみると、しかしてビークルは持ち上がったのだ。なんという強力さ。僕は農場へビークルを走らせた。
農場は広かった。赤や青の花が咲いている。
僕は言われた通りの植物の身を採取して回った。よし、これでナポリタンが食える!
「取って来ました!」
スーツをおじいちゃんに返し、僕は喫茶店へと向かった。途中道がわからなくなり、右往左往したが、何とか着いた。
「ご苦労様!」
僕はハーブを彼女に渡した。
「これでいいんですよね?」
彼女は黙っている。あれ?もしかしてやっちゃった僕?お使い失敗?
「これは大きいわね。こんな育っているなんて。ああ、うん、これで大丈夫。育っててびっくりしたから」
「はあ……」
僕はほっと一息をついた。
「じゃあ、さっそく調理にかかるわね」
「お願いします」
彼女は調理を始めた。
「ワーム大変だったでしょう?」
「ええ、それはもう。でもおじいちゃんの装備が強くて」
「あの人、昔は英雄だったからね」
「え、あの与太話、本当だったんですか?」
「そうらしいわ」
「はー。そんな人の装備を借りていたのか……」
そんな話をしているうちにもあの美味しいナポリタンの匂いが漂ってくる。ああ、もうすぐ食べられる。
「はい、お待たせ。出来ましたよ」
彼女がそう言って運んで来たのは夢にまでみたあのナポリタンだった。
「いただきます!」
「うふふ」
口に運ぶ。あの味だ。あの味がする。他では味わえない複雑な酸味と甘みのバランス……。それに何が影響してるか分からないけれど、独特の旨味がある。
「旨い! 旨いですレイコさん!」
「ありがと。狩野さんには作りがいがあるわー」
「だって本当に旨いんですよ!」
レイコさんは傍で僕の食べる様をじっと見ている。
「あんまり見ないでくださいよ」
「だって、本当に美味しそうに食べるから……」
「食いしん坊なんです」
「ははは、そうね」
そして二皿目を注文し、当然のごとく平らげた。
「ごちそうさまでした!」
「それじゃ僕はこれで。シャトルの時間がありますので」
レイコさんは少し考えている。
「また来れる?」
僕は少し考えた。
「来ます!」
「じゃあ、次はもっと美味しいナポリタンを研究しておくわ」
「もっとですか。それは楽しみです」
僕はレイコさんに見送られ、シャトルに乗ってオリンポスを離れた。そしてロケットに乗って地球へと帰還した。
僕は地球に戻り、あの火星のことが本当だったのだろうかと考えるようになった。それは僕にとって夢のような時間だったからだ。
しかしそれはすぐに分かる。次のチケットはも用意してあるのだから。
火星ナポリタン kumapom @kumapom
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