第二十二話 嵐を呼ぶ男

 作品とは自らを捧げた、飽く事の無い喜びの根源である。


――リヒャルト・ゲオルグ・シュトラウス

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 前方のドアが開き、スケバン風の女装姿をした三年の先輩男子・仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうがバスに乗り込んで来た。そして、彼は真里まり愛斗まなとの方へ顔を向ける。

 愛斗まなとは姿勢を低くして座席の陰に隠れようとしたが、スペースの狭さとシートベルトで上手く行かなかった。もっとも、既にバスに乗っている事と座席まで割れているので、どの道意味は無かっただろう。

 大手を振ってアピールする仁観ひとみは補助席にすわっていた生徒達を態々わざわざ立たせ、更に愛斗まなとの隣にいた生徒を移動させて彼の隣に陣取った。


「よっ! おはよう‼」

「お、おはようございます……。」

「いやあ、跳び乗ったバスに愛斗まなと君が乗っていたのは嬉しい偶然だったなー。」


 腕を組んで豪快に笑う仁観ひとみは一見すると気風きっぷの良い姐御肌の人物にも見えるが、実態は周囲に徒に混乱を撒き散らす非常識な男である。愛斗まなとは既にこの仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうという先輩が苦手だった。


「あの、西邑にしむらから聞きました。仁観ひとみ先輩、ですよね?」

「おうよ、如何いかにもこのおれこそが天知る地知る人ぞ知る、仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろう様よ。」


 中性的な声と顔立ち、女性的な格好が非常に紛らわしいが、「おれ」という一人称を聞いてから改めて彼を眺めてみると、確かに仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうは紛れも無く男の様だ。愛斗まなとは恐る恐る質問を続ける。


「御気を悪くされたら御免なさい。昨日からずっと気になっているんですが、どうして女子の制服をお召しなのですか?」

「格好良いから。」


 即答かつ簡潔、しかし常人の感性とはかけ離れた回答に、愛斗まなとは困惑を隠せなかった。


「格好良い……ですか……。」

「違う言い方をすれば奇抜だろ? 奇抜、つまり個性的。おれおれである為に、おれおれの個性を追求するのさ。先人の辿ったやり方にならい、内面を通り一辺倒に磨いて、道を突き詰めれば自ずから個性というものが発現するのだと言う奴も居るが、おれの考えは違う! 個性的たらんという一つ一つの意識の積み重ねこそが人を本当に個性的にするんだよ!」

「は、はあ……。」


 解る様な解らない様な理屈に、愛斗まなとは気の抜けた返事をする他無かった。


「つ、つまり特にむを得ない事情とかは無くて、単にしたいから女装しているだけだと?」

「そういう事だな。だからおれの事をオカマ呼ばわりしたり女扱いしたりする奴はぶっ殺すぞ。愛斗まなと君も覚えとけよな。」


 自分から誤解させるような格好をしておいて、随分と理不尽な事を言うものだと、愛斗まなとは呆れたがそこは言葉をぐっと飲み込んだ。そんな彼の様子に何か思ったのか、仁観ひとみは言葉を続ける。


「言っておくがな、愛斗まなと君よ。おれは男の格好をしたい奴は男の格好をすれば良いし、女の格好をしたい奴は女の格好をすれば良いと、そう思ってる。服装の選択ってのは全ての人間にとって自由であるべきだ。そこに特別な事情なんて何にも要らねえのさ。」

「そうですかね……。」

「ま、とは言っても実際には服装にも規定はある。実際、おれももっと派手な格好をしても良かったんだが、一応學園がくえんには制服で行かねえとな。」

「スカートは改造してますよね?」

「まあな。でも愛斗まなと君、実は校則で、男子の制服は足首まで隠れる事っていう規定があるんだぜ? それによれば、おれのこのスカートはむしろ校則通りなわけよ。おれは体も中身も完全に男だからな。」

「凄い屁理屈……。っていうか、染髪と化粧は普通にアウトですよね? あと、昨日は気付きませんでしたがカラコンとピアスも……。」

「はっはっは! 何処かの生徒せいと會長かいちょうでもねえのに硬え事言うなって!」


 嗚呼、この人は都合の良い時だけ適当に理屈を付けているけれど筋を通すつもりは無い、そういう身勝手な人なのだ。――愛斗まなとは少しの会話で仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうという先輩男子についてそういう印象を持った。

 唯、この時愛斗まなとは少しだけ得体の知れない違和感を覚えたのだが、その原因に気付くことは出来なかった。

 一方、そんな愛斗まなとの思いなど露知らぬ仁観ひとみは話題を変える。


「しかし、バス通学ってのは楽チンだな。明日からしばらくは世話になるが、一層卒業までこれで行こうかな?」

「え? 今まではバスじゃなかったんですか? まさか……。」


 仁観ひとみがバスに乗り込んで来た経緯から、愛斗まなとはとんでもない想像をしていた。それを察してか、仁観ひとみは笑って否定する。


「おいおいおい、幾らこのおれでも毎朝走って学校には行かねえよ。」

「あ、そりゃそうですよね……。」

「停学前までは単車で通学してたんだがよ、今朝もそのつもりで家を出たらお釈迦シャカになって修理に出してたことを思い出してな。慌てて走ってたら運よく前の方にうちの學園がくえんのバスが見えたんで、ラッキーと思って跳び乗ったんだ。」

「そ、そういう経緯でしたか……。」


 しかしそれでも、仁観ひとみが見せた芸当は人間業ではなく、驚愕を禁じ得ないものだった。もっとも、見た目にらず超人的な身体能力を宿す可能性については愛斗まなと自身もよく知っている。愛斗まなとは目線だけを窓の外に向け、映っている憑子つきこに無言で問いかけた。


きみの疑問も無理は無いけど、彼のは自前の地力よ。信じ難い事だけれどね。』


 憑子つきこは忌々し気に愛斗まなとの手前に陣取る仁観ひとみを見詰めていた。


仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろう華藏はなくら月子つきこの幼馴染にして、腹立たしい事に一目置かざるを得ない唯一無二の超人。これで人間性が真面まともなら完璧超人だったんだけれどね。』


 華藏はなくら月子つきこの人間性も真面まともとは言い難い、と愛斗まなとは感じていたが、仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうの評に関しては意見が一致した。このような男と付き合いを続けている親友の西邑にしむら龍太郎りょうたろうの気が知れないとも思っていた。


 そんな中、バスは急カーブして傾斜のある坂道を登り始めた。


「おっ? そろそろ懐かしの我が學園がくえんに着くみてえだな。」

「そうですね。」


 愛斗まなとにとってみれば、仁観ひとみからの解放の時が間近に迫っているという意味で朗報だった。とは言え、どうせこの厄介な先輩は十五分休みや昼休みに愛斗まなとの教室にやって来るのだろう。


西邑にしむら……。今程お前の交友に口出ししたくなった事はかつて無いよ……。)


 愛斗まなとは普段、如何いかに親友とはいえプライベートまで口を挟むべきではないと弁えている。「親しき中にも礼儀有り。」ということだ。しかし、校則を守る気も無く、それを適当な理論武装で誤魔化し、他校の生徒と大喧嘩して互いに病院送りに為って停学処分を受け、その停学明けにも尚バスの屋根に跳び乗って一時停車させるほど非常識な、この前代未聞の問題児に関しては流石さすがに一言二言問い詰めたい気分になってくる。


 バスは學園がくえん構内の停留所に入り、いつもよりも少し遅めに愛斗まなと達生徒を一日の始まりへと誘う。




☾☾☾




 バスから降りた後も、仁観ひとみ愛斗まなとを解放してはくれなかった。昨日知り合ったばかりだというのに、もう親友気取りで馴れ馴れしく首に腕を回してくる。仁観ひとみの服装が服装なので、傍から見ると背の高い不良の女生徒が小柄な男子生徒の恋人に甘えてじゃれ付いている様にも見えてしまうだろう。

 二人は丁度、華藏はなくら學園がくえんの創立者・華藏はなくら鬼三郎きさぶろうの立像前までそのまま歩いてきた。


真里まり君ったら、ラブラブじゃない。本当、熟々つくづく男にモテるのね。』


 憑子つきこに冷やかしの言葉を掛けられるも、もっと厄介な人物に絡まれている愛斗まなとはそれどころではない。


愛斗まなと君は小っちゃいのは仕方ねえけど細っこいのは良くねえなあ。今度一緒に飯食いに行こうぜ。美味うまいカレー専門店紹介してやるよ。」

「は、はあ……。」

りょう君も誘おうな。それから他にも愛斗まなと君の友達連れて来てもいいぜ。あ、と言っても生徒會せいとかいの連中は勘弁な。おれ、あいつら苦手だからよ。」

「え⁉」


 何気ない強引な御誘いの中で飛び出した言葉に愛斗まなとは思わず声を上げた。仁観ひとみはその反応に逆に驚いて愛斗まなとから腕を放した。


「な、何だよ?」

「先輩、ぼく生徒會せいとかい役員だって分かるんですか?」

「何言ってんだ? 有名だろ? 去年、一年でありながらあの會長かいちょうに近付こうとして役員に立候補して、当選しちまった勇敢な男がいるってよ。」


 どうやら仁観ひとみは完全に分かっている様だった。


(どういうことだ? 先週、ぼく以外の生徒會せいとかい役員が死体になって消えたあの事件が起きてから、ぼく生徒會せいとかい役員だったって事実はみんな忘れていた。なのに、仁観ひとみ先輩は覚えている……。)


 愛斗まなとの疑問を余所に、仁観ひとみは立ち止まって前方の空を見上げていた。

 否、空というより、彼の停学前には無かった建物、假藏かりぐら學園がくえんの生徒寮の屋根を眺めている様だった。


「あ、あああれはですね、先輩……。」

「知ってるよ。奇妙で面倒な事になったんだってな。」


 仁観ひとみは先程までとは打って変わって真剣な表情で華藏はなくら學園がくえんに顕れた異物を見上げていた。


「面倒……いや、厄介と言った方が良いな。まだ当分出て来ねえとは思うが、あそこにはあいつが居る……。」


 その眼差しは、愛斗まなとに絡んでいた時とはまるで別人の様であった。真面目な顔をしていると、奇抜な格好よりも整った容貌が印象の前に出て際立つ。


仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろう……。生徒會せいとかい役員の事を覚えていた……。警戒すべきは彼か、それとも……。』


 憑子つきこもまた、新たな陰の到来を感じている様だった。


「っと、そういやおれ、登校したら生活指導室に来いって言われてるんだわ。」


 仁観ひとみは思い出した様に愛斗まなとに向かって手を振った。


「じゃ、また後でな。昼にそっちへ行くからよ。」

「べ、別に無理なさらなくても……。」

「行くからよ。」


 愛斗まなとがやんわりと断ろうとしても、仁観ひとみは有無を言わさず訪問すると宣言した。

 そして、別れの言葉を唐突に告げた意味も愛斗まなとにとって再三の驚愕と共に判明する。仁観ひとみはその場で跳び上がると、彼方に見える高等部三年生の校舎に向かって消えて行った。


「な、何て跳躍力……。會長かいちょう、本当にあの人生身の人間なんですか? ぼくみたいに、何人分かの身体能力が加わっているとかじゃなしに?」

『生身よ。』


 仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろうという男はその名の通り嵐の様に愛斗まなとの前に現れ、嵐の様に去っていった。



☾☾



 昼前の十五分休み、愛斗まなとの教室の扉が勢い良く開いた。


「よっ!」


 派手な化粧をした女装の男子生徒が登場し、隣同士にすわっていた愛斗まなと西邑にしむらは同時に目を背けた。そんな二人のもとへ向け、仁観ひとみ嵐十郎らんじゅうろう図過々々ズカズカと教室に上がり込んできた。


「椅子借りるぜえ?」

「ちょっ⁉」


 愛斗まなとの前に坐っていた女子生徒・戸井とい宝乃たからのもとばっちりを受け半ば強引に自席を奪われた。


仁観ひとみ先輩……噂にたがわぬ自己中男……‼」


 戸井とい愛斗まなと西邑にしむら仁観ひとみを憎々しげに眺めながら三人から距離を取った。

 仁観ひとみはそんな彼女を気にも留めずに話し始める。


「しっかし、本当に假藏かりぐらと融合しちまったんだなあ。不思議な事もあるもんだ。」


 相変わらず、窓があった壁には机が積み上げられ、その向こうでは假藏かりぐら學園がくえんの生徒達が雑話付ザワついている。唯、普段ははしゃいでいるだけだが、今日は様子が違った。


仁観ひとみだ。」

「あいつが……。」

「あんなオカマ野郎が本当に爆岡はぜおかさんを……?」


 次の瞬間、仁観ひとみはバリケードを形成していた机に蹴りを入れた。机は綺麗に假藏かりぐら側へ飛んで行き、バスの中で彼が愛斗まなとに伝えた「禁句」を発した不良の顎を打ち気絶させた。積み上がっていた机はそのまま達磨だるま落としの様に下へ落ちてバリケードの形を保った。


「ひ、ひええ……。」


 即断即決、つ容赦無き暴力に愛斗まなとすくみ上がった。そこには華藏はなくら月子つきことは違う意味での、もっと単純な恐怖があった。


おれの名前に畏怖ビビるくらいなら言っちゃならねえ事くらい知っとくべきだったな。お前もそう思うだろ、りょう君よ?」

「その節は御世話になりました……。」


 西邑にしむらは深々と頭を下げた。仁観ひとみと負けず劣らず我が道を行くように見える彼にしては珍しい行為だ。


西邑にしむら、どういうことだよ?」

きみがバリケードを作ると言い出した時、わたしは外部と連絡しようとしていただろう? その相手を見て、假藏かりぐら生は青褪あおざめた。ここまで言えば解るだろ?」


 西邑にしむらの言う通り、愛斗まなとは納得した。あの時、西邑にしむらが連絡しようとしていたのは仁観ひとみだったのだ。


「良いって良いって。かしこまらなくても。元々おれ假藏かりぐら生ってほとんどの奴は嫌いだしな。華藏はなくらの仲間があいつらに酷い目に遭わされてると来ちゃ、黙ってられねえよ。」

「あの、もしかして停学の原因になった喧嘩って……。」

「ん? ああ。會長かいちょう假藏かりぐら送りにされた元華藏はなくら生が虐められてるって聞いてムカついてな。その主犯に焼き入れてやろうとしたら、こっちも唯じゃ済まなかったんだよな。イキッといて入院したのは一寸ちょっと格好悪かったかな。」


 愛斗まなとの質問に対する西邑にしむら仁観ひとみ本人の回答から、幾分か愛斗まなと仁観ひとみの事を見直した。自分から喧嘩を仕掛ける行為は褒められたものではなく、停学も已む無しだが、結果的にその武勇伝によって愛斗まなとは救われた形になる。

 ほんの少しだけ、愛斗まなとはこの仁観ひとみについて興味が湧いた。


「ところで、西邑にしむらとはどういう知り合いで?」

「ああ、おれから声を掛けたんだ。何でも新進気鋭の作家が華藏はなくらに居るっていうから興味を持ってな。作品を読んでみたら確信したんだ。『こいつはおれの同志だ。』ってな。」

「同志、ですか?」


 西邑にしむら仁観ひとみは文学と音楽で畑が違う。しかし、この思いは西邑にしむらも同じの様だ。


わたしも同感ですね。人間性はかく、己の作品への向き合い方、姿勢には共感するものがある。正直、仁観ひとみ先輩と出会う迄はずっと孤独だった。こと作品への姿勢に因る疎外感は真里まりにすら埋められない。」

「姿勢?」

「ああ、そうなんだよ。」


 仁観ひとみは大胆不敵といった笑みを浮かべる。


「ズバリ、『全ての自作を遺作と思え。』これが劫々なかなか理解されなくてな。」

「次があると思っていい加減な気持ちで執筆する奴は皆死ねば良い!」

おれの親父がそうだったんだが、人間長生き出来るとは限らねえからな。瞬間に命を燃やして魂の全てを賭けて破滅上等で作曲するんだ。」

「明日死ぬかもしれないと思って自作と向き合え!」


 仁観ひとみよりも過熱して過激な事を言い始める西邑にしむらを見て、愛斗まなとは彼が仁観ひとみと同類だと心から理解した。意気投合したのも納得である。


真里まり君、この二人の言う事を真に受けては駄目よ。はっきり言って誰しもに出来る生き方ではないわ。』

「解ってますよ……。」


 憑子つきこも呆れた様子だ。


「いやあ、しかしこっちは落ち着くなあ。新クラスは堅苦しくて敵わん。」

「が、学年違いの部外者が我が物顔で居座る気ですか……?」

「そう言えば先輩、ずっと入院と停学で三年になってから真面に学校来てませんでしたね。」

「そうなんだよなあ。何か一週間くらい休んでたふく會長かいちょうも今日から来やがったらしくてさ。小煩こうるさい奴なんで絡まれねえ内に逃げて来たって訳よ。」


 思いがけず仁観ひとみの口から飛び出した言葉にまたしても愛斗まなとは驚愕した。


「登校したんですか⁉ 基浪もとなみふく會長かいちょうが⁉」

「ああ。後、会計の砂社すなやしろも来てるらしいぜ。」


 生徒會せいとかいふく會長かいちょう基浪もとなみけい、会計・砂社すなやしろ日和ひより。共に死体となって忽然こつぜんと消えた筈の生徒會せいとかい役員だ。


『成程、本命の面倒事の方も確り動いている様ね。』


 嵐の様な男に振り回されて忘れていた「闇」が不意に愛斗まなと達にその存在をほのめかした。

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