殺戮學園逝徒會畸譚

坐久靈二

憑物少女と二つの學園

第一話 或る少女の猟奇的な肖像

 度が過ぎて美しい者は唯其ただそれだけで罪深いと等とう風説は理解が出来ない。

 悪意の無い美しさに惑わされる者は、唯々己の中の醜い本性を浮き彫りにされてしまっただけだ。


 罪とは常に、醜さの中だけに存在する。

 但し、見目麗しく心おぞましき者もまた確かに存在する。


 わたしう者をこそ真に恐れる。


――西邑にしむら龍太郎りょうたろう著『美醜の根源』より。


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 所は千年の歴史を誇るという古都の上京、時は深夜三時。星が隠れる雲は無し、星が掻き消ゆ月も無し。

 る洋館を住処とする少女が一人、まるで海の底の様に暝い廊下を「秘足ヒタリ、秘足ヒタリ。」と、重い足取りで歩いていた。

 十歳を数えた少女の、日中は溜息が出る程に艶やかな長い黒髪が、この時ばかりは彼女の整った顔立ちを隠す緞帳どんちょうの様にも見え、その不気味さを一層際立たせる。

 奥にある筈の美貌から漏れるのは三つ。兎を思わせる紅い双眸そうぼう爛々らんらん耀かがやく不自然な光二つと、聞き馴染みの無い異邦の言葉を繰り返し呟く声一つだ。


「ばで、れえとろ、さあたな……。ばで、れえとろ、あるてれえご……。ばで、れえとろ、さあたな……。ばで、れえとろ、あるてれえご……。」


 何処どこへ向かっているのか計り知れないが、その姿はかく異様だった。


 そんな少女を目撃したのは洋館に住み込みで働く使用人、本人の希望で名は伏せるが仮にAとする、比較的奉仕を初めて日が浅い若い女だった。彼女はこの館で働くに当たり、二つ先輩から言い付けられていたことを思い出した。


 一つ、新月の夜に決して部屋の外をうろついてはいけない。してや一人徘徊する彼女に出会ってはいけない。

 一つ、館の少女が発する奇妙な言葉に決して耳を傾けてはいけない。し聞こえてしまったら、必ず知らない振りをすること。


「えくす、こるで、めい……。えくす、こるで、めい……。」


 Aは悟った。

 この状況、自分の存在を決してお嬢様に気取られてはいけないのだ。




☾☾☾




 Aは思い出した。

 少女の呟く奇妙な言葉を聞いてしまい、それに気付かれた同僚、仮にBとする男が少女から受けた、る過酷な仕打ちを昨日の事のように思い起こしていた。

 当時、Aも又少女の背後に居合わせたのだが、幸いな事に少女が気に掛けていたのは己の眼前に居たBだけだった。


 ただその当時は今のような不気味で怖い感じはせず、何方どちらかというと可愛らしさの方が勝っていた。

 少女は浮世離れした雰囲気すら有する途方も無い美形で、長く艶やかな黒髪と雪の様に白い肌は日本人形を彷彿とさせた。齢一桁にして既に男を気後れさせる様な、それでいて話し掛けられただけで陶酔させてしまう様な、そんな可憐で神秘的な美しさを備えていた。


 だからBもそれだけで少女に恐怖心を抱く様なことは無かったらしい。寧ろ唐突に正座した少女から一つ頼み事をされても、嬉々として受諾する様な下心を見せていた。


「耳掃除をしてあげたいから、膝枕させて欲しいの。」


 Bは決してそういう類の性的嗜好を持ち合わせていた訳では無かったが、女のAから見てもBにとって甘美な誘いで一目して判るほど乗り気であった。それ程、少女にはBに平静と拒否の態度を取らせるには余りにも過ぎた美しさがあった。


 しかし耳掻き棒がBに挿入され、程無くしてそれは地獄絵図に変わる。

 Bは突然少女の膝から転げ落ち、悶絶躄地びゃくじの中で嘔吐すらしていた。

 Bの変貌は立ちどころに人を呼び寄せ、彼は救急車で搬送された。

 病院へ担ぎ込まれた彼の身体を検査して判った事には、少女の耳掻き棒は鼓膜を破るだけに飽き足らず、その先の三半規管すらズタズタにしていた。


 Bはこの事件を切欠きっかけに退職し、今でも後遺症に苦しんでいるという。

 少女の行為は幼さ故の無知から善意の行為が行き過ぎた事故として処理された。

 Aはこの時、先輩たちが少女を異常な程恐れる理由と、ことづけの真意を察した。


 Aは確かに、のた打ち回るBを前にした少女が天使とも悪魔ともつかぬ表情で笑ったのを見た。




☾☾☾




 時は戻って、Aが少女の徘徊を目撃した新月の夜の翌日。Aは少女となるべく会わない様に清掃などの仕事を淡々と熟していた。

 しかし先輩、仮にCとする女性の使用人から「お嬢様が呼んでいる。」と言われた。Aは、昨晩見ていたことがバレてしまったのか、自分はどんな酷い目に遭わされるのか、とパニックに陥り、その場から逃げようとしたが、Cに腕を掴まれてしまった。CはAと同じく少女に恐怖している様で、彼女の願いを叶えない、という事を殊更に恐れていた。又、時期からAが何故少女に呼び出されたのか、その理由もおおよそ推し量っていた。


「お嬢様には悪魔が取り憑いているのよ。朔の夜には屹度きっとその悪魔に関わる何かがあるの。だから出歩くなと言ったでしょう?」


 Cの言葉が益々ますますAの恐怖心を煽る。

 Cが言う様に、彼女等が主として仕える館の「旦那様」や「奥様」ですら娘である「お嬢様」の事を「悪魔に憑かれている。」と評し恐れ遠ざけていた。

 Aは今すぐにCの手を振り解いて逃げたかったが、CはAにそれを許すと今度はC自身が酷い目に遭わされると感じているのか、女とは思えない途轍もない握力でAの手首を掴み、逃がさなかった。


 少女の部屋へと続く洋館の廊下がまるで地獄への道の様に思える。

 但し、決して善意等で舗装されてはいないが。




☾☾☾




 少女の部屋の前までAを連れて来たCは扉をノックし、来訪を伝え入室の許可を請う。


「どうぞ。」


 奥から鈴を転がすような少女の声が聞こえた。

 Cはこれ幸いにと言わんばかりに扉を開け、言い付け通りにAを連れてきた事を告げるとAを部屋に残して扉を閉め、自分はそそくさと立ち去ってしまった。


 部屋には少女とAが二人だけ。この場で何が起ころうと、誰も感知しない。――そう考えるとAは背筋が凍るような思いだった。

 少女の一挙手一投足、一つの目配せ、一つの発言、息遣いに気が遠くなった。

 だがそれは少しずつ、少しずつ夢見るような心地良さへと変わっていった。


 少女に何を言われているのか、Aが理解できたのは後になっての事だった。今でも彼女の脳裏には神秘的な程可憐で美しい少女の姿が焼き付いて離れない。Aはその、自らにとって最後の光景を生涯忘れることは出来ないだろう。


貴女あなたはとても綺麗な目をしているのね。それなのに、見てはいけない物を見てしまって……わたしは悲しいわ。だって、いけない物を見続けた瞳の宝石は屹度きっとくすんでしまうから……。貴女あなたがそんなことを続けると思うと、そんな貴女あなたに綺麗な宝石を預けていると思うと、わたしは悲しくなるの。」


 少女は幼さに似つかわしくない立て板に水の如き流暢な言葉をすらすらと並べ、蠱惑的な微笑ほほえみを向けて白い小さな手、細い指を差し出していた。

 Aの記憶はその美し過ぎる少女の姿を絵画にして額縁に閉じ込めてしまい、そしてずっと前で視線を釘付けにされて立ちすくんで居るかの様に今も見ている。


 Aにとって確かなその先の記憶は、眼球を穿り出したのは自らの指だったという事だ。

 別に少女はAに対し、何も強要していない。

 ただAは、その細く美しい指先を自らの血で汚してはならないと思ってしまったと回顧する。




☾☾☾




 Aは仕事を辞めて程無くして、Cが遺体で見つかった事を警察の聞き込み調査で知った。

 Cの遺体は指を全て切り落とされていたらしい。

 それが切られたのは死ぬ前か後かはまだ判らないと警察は言っていたが、Aは久しく忘れていた少女への恐怖を思い出した。


 Aは今、喪った視界に尚もへばり付いた少女の美貌に只管ひたすら脅かされて譫言うわごとの様に呟いている。


「ばで、れえとろ、さあたな……。ばで、れえとろ、さあたな……。」




☾☾☾




 この様に、る洋館に住み込みで働く使用人の間では、決して新月の夜に起きて自分の部屋を出てはならない、何か奇妙な声が聞こえても知らぬ振りをし続けなければならないと噂されていた。

 実際、館の令嬢は決まって新月の夜になると奇妙な異邦の言葉を呟きながら廊下を徘徊し、それを目撃した者、その言葉を聞いた者は災禍に見舞われた。


 しかし、る夜を境にそれはぴったりと鳴りを潜めた。


 少女の「最後の朔の奇行」はまだ夜が更け切っていない時分に起こった為、多くの使用人に目撃された。その夜はかつて無く異常で、少女は館の外へと飛び出してしまった。

 こうなると両親や使用人達も捜索を願わざるを得ず、知らぬ振りを決め込めなくなった彼等は大いに震え上がった。


 少女が発見されたのは、彼女が進級して通い始めた学校の敷地内にあるほこらの傍だった。

 その学校は山一つを敷地にした中高一貫の私立校で、彼女の高祖父が創立したものだ。元々は男子校であり、中等部まで含めて完全に共学になったのは彼女が入学する少し前の事だった。校舎や運動場といった学校施設は山の中腹辺りに在り、そこより上へ向かう山道は一本だけ在ったが、立ち入り禁止となっていた。

 その禁じられた領域、山道が続く先にひっそりと建っていたほこらの傍で、少女は実に可愛らしい顔で寝息を立てていたという。


 発見したのは学校の教師だったが、当時の事についてその教師は口を噤んで話そうとしなかった。又、両親もそれ以上の事は追及しなかった。翌日以降に使用人達は少女からの罰を恐れたが、彼等が酷い目に遭わされる事も無かった。


 それ以降、少女の奇行はすっかり已み、同時に、異様な雰囲気を帯びていた令嬢は憑き物が落ちた様に「普通の美少女」になった。


 やはり少女には悪魔が憑いていた。――そう実しやかに囁かれたが、使用人達にとって恐怖が去ったことは何より朗報だった。


 少女の両親は安心したのか、将又はたまたそれまでの少女の奇行の対応に疲れ寿命が縮まったのか、その二年後にまだ若くしてこの世を去った。

 財産は高校に進学したばかりだった彼女に相続され、莫大な富は美しい少女の手中に収まった。


 少女の死んだ両親の寝室から書置きが見つかったのは、亡くなって直ぐの事だった。遺産整理の為に館を一斉清掃していた使用人、仮にDとする壮年の男は、それを手に取ると青ざめた表情でくしゃくしゃに丸めて懐に仕舞い込んだ。

 Dの少女を見る眼が以前と同じ様な恐怖に満ちたものに戻っていたので、他の使用人達は彼を問い詰めた。するとDは黙って書置きを使用人たちに見せた。


『娘に気を許すな。遠からず悪魔は帰って来るぞ。』


 それは間違い無く死んだ「旦那様」の字だった。




☾☾☾




 る晴れた朝、洋館の前で高級車がボディを艶めかせて待機している。

 黒と赤を基調とし、上質な生地を用いた格調を感じさせるセーラー服を身に纏った少女がスカートと長く艶めいた黒髪を靡かせて門を凛とした歩き姿で進み出て来た。彼女は朗らかに脇に控えた使用人達に挨拶を交わし、助手席の扉の前で待機する運転手に労いの言葉を掛ける。


「朝早くから御苦労様。今日も宜しく御願いするわね。」


 かしこまりました、と運転手は主である少女に一礼し、彼女の為に後部座席の扉を開けた。そして彼女が商用車の様な純白の布生地が掛けられた椅子にすわるのを見届けると、スカート等を挟み込まない様に丁寧に扉を閉めて彼は運転席へと向かう。

 シートベルトを締めた少女は実に絵になる姿勢ですわっていた。大人へと移ろい行く時の中にあって、その魅力は絶頂期を迎えている様にも見える。


 ふと、運転席の扉が開いた拍子に光の当たり方が変わる。その瞬間、差した日の光に彼女は微笑ほほえんだままほんの少しだけ眉を顰めた。

 彼女が見せた刹那の表情に、運転手は硬直した。


「どうかしたの?」

「い、いいえ……。」


 戸惑う運転手の様子に、少女は悪戯っぽく玖珠々々クスクスと笑った。そんな彼女に運転手が垣間見た違和感は欠片も残されていない。

 運転手は彼女が見せた一瞬の表情に、昔日の得体の知れない不気味な雰囲気を感じ取ってしまった。そういえば前夜は晴れていて星空が良く見えた半面、月が出ていなかった。館の使用人達はかつての習慣をすっかり忘れ去っていた。


「何でも無いのなら、早く参りましょう。経営者一族の娘が自家用車で登校する上に遅刻だなんて事になっては、まるで重役出勤だわ。」

「は、はいお嬢様……。」


 運転手は主に促されるままいそいそと車を出す準備をする。

 その様子を見詰める少女の微笑みは深まった車窓から帯びた冷たい影の中に底知れぬ魔性を垣間見せていた。

 そんな空気を何も感じる事の無いナビの音声案内だけが無機質に行き先を告げる。


『目的地を〝華藏はなくら學園がくえん〟に設定しました。』


 ナビ画面には山に建てられた学校らしき施設と、端の隅に小さな社の様な物が映されている。彼女が通う『私立華藏はなくら學園がくえん』は先に述べた通り山一つを敷地として建てられたもので、創立者の華藏はなくら鬼三郎きさぶろうは彼女の高祖父に当たる。彼女は中学生のみぎりより伝統と格式、及び開明と革新を尊ぶこの私立校で大きな注目と支持を集めている。


「では、出発いたします。月子つきこお嬢様。」

「ええ、宜しく。」


 華藏はなくら月子つきこかつて近しい者達から悪魔と恐れられていた少女。

 今、日本人形の様な少女性と夢魔の様な妖艶さを兼ね備えた十七歳の乙女は、底知れぬ闇を孕んだ笑みを湛えつつ、自らが支配する広大な學園がくえんへとこの日も車を向かわせた。




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