妖歳時記
@mike2233
1月1日 新しい年の始まり
今年も新しい年が来た。
例年通りなら、息子の市彦と娘の赤江も、お年玉をもらい喜んでいる。
妻の香苗は、市彦と赤江を連れて、実家に帰っているようだ。
誰もいないがらんとした部屋。
僕はそっとふすまを開ける。
電気の消えた暗い部屋に、そっと僕は潜り込む。
暖房のついていないひやりとした空気が、部屋の中から外に追い出される。
火の消えたような静寂と、現実がまとわりついてくる。
僕は、妖、と呼ばれている怪異らしい。
生前は僕のような存在は幽霊と呼ばれていた。
僕は空間を食べる妖らしい。
僕は9日前に生まれた妖だ。
生前の記憶はうっすらと。
ここに住んでいて、妻の香苗と息子の市彦、娘の赤江。
この三人が、家族だ。
ゆっくりと少しずつ周りの空気を食む。
自室の書斎の空気を食んだことを思い出す。
柔らかな日差しが差し込む、書斎。
僕は存在を強固にするため、空気、いや空間を食んだ。
カーテンやブラインドはおろしておらず、曇ってもないのに、日差しが感じられなくなった。
これはまだ始まりだ。
書斎の空気は重苦しくなっていき、冷たくなる。
ひやびやとした空気がゆっくり、周りだし、書斎を支配する。
空間に味はない。
僕は空間の命を得ることで、永らえる。
そして、その空間は過疎化する。
規制が入るわけでないのに、その空間に人は入りたがらなくなる。
これは、赤江で実証済みだ。
赤江は、書斎にある手塚治虫文庫全集が好きで、僕の仕事中も入り浸っていた。
まだ、鉄腕アトムを読みだしたばかりで、僕がいないからと言って、入らなくなる道理がない。
飽きたわけでもないのだ。
書斎に入らなくなった、いや、入れなくなったため、どうやら学校の図書館で借りているらしい。
赤江の部屋の赤いランドセルから、鉄腕アトムの第二巻が出てきたのだから。
赤江は常々言っていた。
「学校の漫画は男子が汚く扱うから、いやだ。」って。
表紙の一部装飾は剥げ、角の部分は摩擦のためか丸みを帯びている。
手垢もかなりついているに違いない。
もちろん、書斎にはきれいな状態の鉄腕アトム全巻がある。
こちらを選ばず、学校の図書館の蔵書を借りてきた、ということは、彼女はもう書斎に入ることはないだろう。
そんなことを考えながら、僕は、書斎の空気をすべて食み切った。
空間は死に、明かりをともしても、明るさを僕の視覚では、とらえられない。
たぶん数日のうちに、書斎は妖の巣になるだろう。
僕は、死後、妖に魅入られ、妖の人間社会侵攻の地ならし係に、なったのだ。
妖に魅入られた理由は、わからない。
ふらっと、ダイニングの椅子に座る。
TVのリモコンを入れ、眺める。
正月特有の馬鹿馬鹿しい番組のオンパレード。
生前は、楽しかったであろう。
今はただ虚無だ。
ダイニングの空気をゆっくりと食む。
実家に帰る直前の夕食のシチューの、香りが空気に混じっている。
乳製品独特の香り。
ゆっくりと無臭になっていく。
空気が重苦しくなり、この空間が死んだことを知った。
気づくとTVの番組も通夜のような静寂に感じる。
TVに出ているタレントは、クイズ企画で大失敗を演じ、周りの笑いをとる、というおなじみの光景。
ポップで派手な音楽が流れているのに。
ここは静寂だ。
TVの光景を数分眺め、僕は満足してスイッチを切った。
次に香苗と僕の、寝室に向かう。
最近まで焚いていたアロマディフューザーの香りがかすかにする。
香苗が寝ていたであろう、ベットのくぼみに、横たわり、周りの空気を少しずつ食む。
ホワイトムスクの香が、ゆっくりと消え、空気の重さが変わる。
僕はあまり、三人の生活環境の空気を食みたくなかった。
すべて食むと、三人はここから出て行ってしまうだろう。
ただ、僕は空間、空気を食む妖だ。
食めないと僕は、二度目の死を迎えるのだ。
妖として、二度目の生を迎え、何度も食空欲求にあらがったこともある。
ただ、きっと妖の本能だろう。
まずは、トイレの空気を食んだ。
あまり清浄なものではなかったが、透明な何かで満たされる、そんな満足感。
その日からだ、子供たちがトイレに長居しなくなったのは。
香苗は、あらあらという顔をしていたが、普段から漫画やゲーム機、スマホを持ち込み、呼んでも出てこない、そんな生活をしていた子供たちだ。
空気が重たい、何か変だと思ったのだろう。
芳香剤の香も、漂わない。
においもしはするが、香らない。
違和感を抱くのはおかしくない。
トイレ、書斎、ダイニング、寝室、これらの空気を少しずつ食むことで生きながらえてきた。
三人の、少なくとも子供たちの空間を食みたくはない。
酸素缶の空気がなくなるように、食める空気、空間のパーセンテージがほぼゼロになっていく。
このまま、この空間を食みつくし、存在するのか、この4部屋以外は食まず、緩やかな死を迎えるか、僕はまだ考えれていない。
三が日が明けると、妻も子も帰ってくるだろう。
せめて、三人の顔を見てから、消えたい。
そう思いながら、僕は自室に戻る。
暗い、暗黒空間のような部屋。
刃物のような鋭い静寂。
回転いすに腰掛け、膝に顔をうずめる。
まるで、かごめかごめをしているよう。
後ろに迫る不穏な影を感じる。
きっと籠は僕と同族の妖だろう。
僕は、ふっと笑みを浮かべる。
これ以上僕が空間を食まないと知って、僕自身を食みに来たのか。
僕は、顔を上げる。
目に入るのは異形の妖。
きっとこの空間を奪いに来たのだろう。
縄張り意識のようなものを感じ、妖をにらみつける。
妻子に害をなすかもしれない妖に、思い切り体当たりをかました。
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