作品3-2

「おい。どこのどいつか知らねぇけどな、おめぇの冗談に付き合ってる暇はねぇんだよ。」


 その言い方に誘拐犯も一瞬鼻から息を飲んだが、負けてはいられない。


「こ、言葉に気をつけろ。お前の妻は人質なんだよ。命を預かっていることを自覚しろ。」


 そう言われても店主の頭の中には、目の前の鍋が煮えていること、サラダを切り分けてすぐ水にさらさないといけないことなど、午後の開店まで時間がないことに焦っていた。だからそれが怒りとなって表に出る。相手が誘拐犯だろうがなんであろうが、お構いなしなのであった。


「こっちは店のことで忙しんだ。馬鹿らしい。それになんだ、うちのもんが人質?身代金が3億?随分と安く見られたもんだな。一昨日きやがれ!」


 そう言い切ると、店主は投げるように受話器を置いた。


 店主が鍋の前に戻るや否や、また電話がなった。受話器を持ち上げた時点で聞こえてきた声で先ほどの誘拐犯だとわかる。


「もう一度言うぞ。これは誘拐だ。3億円用意しろって言ってるんだ。お前、自分の女が大事じゃねぇのか?」


 店主も仕方なく応戦する。


「うちのもんにそんなしけた金あてるなんてな、はなから誘拐にもなっちゃいねぇえんだよ。3億円?ほしけりゃやるよ。今すぐきやがれ。」


 とうとう言い負けたらしい誘拐犯は、


「またかける。」


と言って、静かに電話を切った。


「そのうち帰ってくんだろ。」


 あくまでもいたずらだと思い込んでいる店主は、そう独り言をつぶやいた。この時まではその電話のことをそんな大事に捉えてはいなかったのである。

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