タイムスリップレターでエッグライフ

Planet_Rana

★タイムスリップレターでエッグライフ


 その日は、耳障りな声に叩き起こされるところから始まった。


「おはようございます! 寝起きのところ申し訳ありません、六十七年後の貴方さまからタイムスリップレターをお持ちしましたのでお受け取りいただきたいのですが!」

「……手紙なら郵便受けにお願いできませんか?」

「タイムスリップレターはその仕様上、宛先のお相手に直接手渡ししなければならない決まりですので。まことに申し訳ありませんが受け取りの署名をお願いします!」


 寝起きの耳に響く、合成音声とも若い男性の声ともとれる声に寝ぼけた頭を揺さぶられながら起床する。「ふわ」と大口を開けながら玄関扉の覗き穴を除けば、金髪の女性が一人、抱えられるほどのジュラルミンケースを持っていた。


 宗教勧誘というよりは厄介ごとの予感がするが、どういうわけか「タイムスリップレター」という言葉には妙な信頼感が感じられた。

 配達員が「そう」というのなら、届いたものは「そう」なのだろうと。まるで夢を信じ込まされるような、都合よく化かされたような気分。


 それでもドアロックを外す勇気はなく、僅かばかり開いた扉から外を覗き見る。


 配達員の女性は寝起きで気の優れない青年に嫌な顔をすることなく、一枚の用紙を差し出す。ハガキ程の紙だが薄っぺらいそれには、なんだかぼやけた文字で会社名やら製造年が印字されていた。


「署名は筆跡で判断しますので、偽名でもなんでも構いませんよ! 末来は技術が進んでいますので」

「……筆跡鑑定がその場でできる、ということか?」

「はい。それらはだいたい人工知能の仕事ですが、実際にお客様の相手をするには人間の温かみが必須だということで、トラベル先には私のような配達員が派遣される手筈になっているのです」

「はぁ、よく分かりませんが……どうぞ?」

「ありがとうございます! 検証検証、っと……はい! 問題ありません。ご本人様ですね! 末来の貴方から今日の貴方へお手紙です。お受け取り下さい!」


 習字の記憶にちなんで「永」と書かれた紙を手渡しただけなのに、手続きはトントンと進み、彼女はドアロックの向こう側でケースを開けた。虹色にぎとぎとした緩衝材の上に封蝋つきの封筒がぽつんと乗っていて、それが手渡される。


「最新の研究で運命収束理論の安全性が保障されましたので、お手紙を開封した後に貴方がどのような行動を取ろうと問題はありません。ただ、そちらの封蝋を破って頂かないと私は未来に変えることができないまま死んでしまうので、できれば今、目の前で開けていただけたら幸いです!」

「……これが何かの起爆スイッチになってたり、高額な架空請求をされる可能性は?」

「ありません! あるとしたなら、それはこの時代での貴方の運が悪かったに他ならないかと。あと、架空請求を受けてしまった場合は今から数十年後に法整備によって保障されるようになりますので、意地を張らずに無料弁護士の案内をご活用ください!」


 無料弁護士というキーワードが気になるが、将来的に出てくるのだろうか。もしかしたら人工知能を組み込んだキューアンドエーシステムだったりするのかもしれない。


 とりあえず、朝から頭に響く声で叩き起こされて頭が回っていない俺は、彼女の目の前で封蝋を切った。


「あの、封を切りましたけど」


 顔を上げると、ドアロックの先にも玄関先にも人は立っておらず。


 煙に巻かれたような気持ちと、ぼんやりとした記憶が残る。

 俺は夢でも見たのかと頭をかきながら扉を閉める。







 学生時代につくった貯金とスズメの涙ほどの給金とをやりくりしながら一日一日を生き抜く生活をするようになって、二年である。


 独り暮らしの成人男性の所にだって、先程のように変な人が訪ねて来ることは珍しくない。それこそ入居してすぐの頃は勧誘系の詐欺師や、やばそうな信者に目をつけられたりしていたが最近はそれも見なくなっていた。


 ……見なくなったと思った矢先にさっきの郵便なんだけども、しかしタイムスリップレターとは何なのだろう。不信感よりも興味が勝つ。朝食もまだだが、中身を確かめておくことにした。


『――拝啓、過去の私。私は未来の君で、もう八十九歳になる爺さんだ。

 ここに至るまで、順風満帆といかずとも実りある日々を送ってきたように思う。

 未来のことを語るには字数の制限があって申し訳ないが、君が君の人生を悔いなく過ごすことができるように、私から一つお願いがあってこの手紙を送らせて頂いた。

 ずばり、君は二十二歳の私だと思う。その部屋には一台だけ冷蔵庫があるはずだ。

 私は君の末来だから、その時期にどれだけ苦労したかを知っている。身銭を切って貯金して外国に行って可愛い女の子と恋に落ちるなんて夢物語を実現させようと運命に抗っていることも知っている。すると、生活費から一番に削るのは水道代に電気代、そして食費だったろうと思うのだ。君は切り詰めた生活をしているね。恐らくはこの手紙を受け取ったその日の前日にスーパーの特価で売っていた十二個入りの卵パックがあるだろうと思う。

 卵は君の時代だと一人暮らしには高くて安売りでしか手を出さない代物だったろう。切り詰めた生活をしているならばそこに「卵の希少性」が生まれる。君は卵が好きかな。私は卵料理が好きだ。すき焼きも目玉焼きも厚焼き玉子も卵サラダもポーチドエッグもスクランブルエッグも好きだ。極めつけはオムライスだな。あれは美味しい。末来の私はあまり、卵を食べられないからね。今の内に好きなものを好きなだけ食べると良いさ。それらが意図しないところでソウルフードとなるだろう。ともかく、卵は君にとってのご馳走ではないかと推測する。過去の自分自身のことなのだから、明確に言い切ってしまってもいいのかもしれないけど、そこは君の意志を尊重したい。

 さて。私が今回手紙を送ったのは他ならない、その卵についてだ。

 君はこの手紙を読まなかったもしくは無視した場合、私がかつて辿った運命に巻き込まれることになると思う。八十九になっても具体的に憶えている程の事件だったといえば、君も無視することはできないだろう。だから心を落ち着かせて読んで欲しい。

 君はその卵を計画停電でおじゃんにするのだ。この手紙が届いた翌日にね。

 二〇二二年の三月十五日。君の住んでいるボロアパートから少し離れたところで電柱の移動工事が組まれているのは知っているかな。多分市町村が違うからチラシが届いていないなんて人為的凡ミスが原因で、君は数日後に窮地に陥ることになる。

 よって私は一生に一度、余命宣告と共に解放される「過去干渉権利」をもってこの手紙を君に送ることにした。過去の自分に送ることにした。何故かというと、その春と冬の境目に駄目になった卵を食べたお蔭で酷い食中毒に見舞われ、そのトラウマから卵料理を食べられない身体になってしまったからなのだ。

 私は今でも卵のことが大好きだ。大好きだが、喉と胃が拒否をして食べられない。せめて最後の晩餐に大切な家族がつくったオムライスが食べたい。そう願ってこの手紙を書いている。最期まで自分自身の為ばかりで君の心配をしていないじゃないかなんてそう言うことはない。しかし頼むよ、一生のお願いだ。私に人生最高の晩餐を約束してほしい。

具体的に言うと食中毒を回避して欲しい。卵を停電までに食べきるのだ! 敬具――』


「……なんじゃそりゃ」


 読み終わって、それらしい反応を口で表してみたが実感は沸かない。

 ただ、計画停電の有無は調べればわかることなのでネット検索をかけてみた。


 結果はその通り。隣町扱いの道向かいで電柱工事が予定されている。午前中から昼にかけて、たった数時間の計画停電だ。だが、季節外れの猛暑で温められたこの冷暖房未完備のボロ部屋で、もし冷蔵庫の電気が止められたらと思うと安心できないのは事実だった。


 手紙の通りだとすれば、昨日買い足したばかりの卵を含めた十五個のそれを、計画的に今日と明日の朝で食べきらなければならないということになる。


「というか、未来の俺には家族が居るのか。その家族が作ったオムライスが食べたいと」


 考えつつ、返信できない一方通行のタイムスリップレターを前に頭を掻く。

 未来の自分かなんだかは知らないが、近い末来の自分が食中毒で酷い思いをするというのなら回避しない理由はなかった。


 自炊生活で鍛えた脳をフル回転させる。丁度、まだ朝食を作る前だ。


 一日二日で十五個も卵を使うとなると贅沢な気持ちにもなるが。この際、過剰摂取であることに目をつむって作ることになるだろう。なんなら知り合いの家に「食べてくれ」と突撃するのもありかもしれない。


「よし。まずは目玉焼きを焼こう」


 それでも染みついた節制の癖は抜けきらず。内心と押し問答して作り上げた朝食は、ご飯にのせて醤油をかけるだけのシンプルな目玉焼きになった。







 仕事を終えて帰宅する頃にはすっかり夕方になっていて、卵料理を作るための買い出し分をどさりと机に置くことになった。すぐに卵を放り込んだ鍋に水を漬かるほど入れ、コトコト沸騰させること十五分。固ゆでのそれを手袋越しに剥いてボウルに入れていく。


 マッシャーなど我が家には無いので金匙で切りつつ潰す、レンジで蒸かしたジャガイモの皮を剥いて投入し、ざっくりと混ぜ合わせた。


 昼頃、自宅で作った厚焼き玉子弁当を食べながら、同じく一人暮らしの知り合いに「今夜卵料理を持って突撃してもいいか」と聞いたところ「それなら材料費出すから今日の夕飯頼んだ、ご飯は炊いておく!!」と言われたので (気の置けない友人だが食べ物に対して人一倍強欲なやつなのである)、その期待に応えられるように頑張ることにする。


 千切った蟹かまぼこを足し、細切りにしたキュウリを入れる。見た目彩り鮮やかなサラダができあがった。味見をして頷く。卵使い切るぞ大作戦その一、卵サラダの完成だ。


 これはタッパーに入れてできる限り冷やして持っていく。塩コショウにハーブなんかもパラパラと見栄えよく盛ってみたが、食べる際にはマヨネーズを足せと言わなければならない。蓋に付箋を貼りつけて、軽くラップをかけて冷ましておこう。


 サラダを冷ます間に、自分の夕飯を用意する。夜になると電気代が上がるので今が勝負時だ。朝に一つ、昼の弁当で二つ、今のサラダで四つ使った。ゆで卵は五つ残っている。


 生卵があと三つか。もっとサラダに回して良かったかもしれない。

 買ってきた食材を思い浮かべながら、しかし首を振る。


「計画停電で駄目になりそうな食材……スカスカな冷蔵庫に駄目になるものなんてあったか? 可能性があるとしたら冷凍室くらい……そうか、冷凍室。冷凍室はやばいよな」


 思い至って開けてみれば、そこには豚バラと鳥肉がバキバキになって凍っていた。


 全て今夜中に食べきるのは難しいだろうが、鳥肉は明日の朝に親子丼にするとして、豚バラは野菜炒めに回すことにしよう。今日は卵を食べ過ぎである。


 一人で食べるには多い凍った肉をフライパンに突っ込み、蓋をする。肉の赤身がなくなったら、買ってきた野菜炒めパックを一袋突っ込んで。野菜がしんなりしたところで焼肉のたれを交ぜた卵を投入して火を通し、味を整えて皿に移す。


 卵使い切るぞ大作戦その二、豚バラ野菜のスクランブルエッグ炒め焼肉のたれ味。が完成した。


 さて、朝から合わせて四品作ったことになる。

 残る七つの卵の内、生卵二つは明日の朝用に残すとして。


 ここまできたなら、もう欲張っていいだろう。サラダを作った時に取っておいたゆで卵はすっかり冷えている。つるりとした卵肌の水気をとる。

 まな板にラップをして、その上に下味をつけた大量のあいびき肉を広げた。


 ゆで卵がまるまま五つ、ひき肉に包み込まれて姿を消す。


 おおよそ普段の節約生活からは考えられない献立だが、こういう日があってもいいだろう。中学給食以来食べたことがないが、これに火を通せばミートローフという料理になる。


 フライパンの上である程度火を通して、箸で刺しても赤い汁が出なくなるくらい焼けたら、切り分けてレンジで再加熱。これで内側にも火が通るだろう。通っていてほしい。我が家にはオーブンがないのだ。

 なんにせよ、卵使い切るぞ大作戦その三、時短ミートローフの完成だ。


 切り分けたミートローフと野菜炒めを個別にタッパーに詰め、冷えた卵サラダに瓶マヨネーズを投入して混ぜ合わせる。シャワーで軽く汗を流したあとにそれらをマイバッグに入れて、家を出た。


 玄関の鍵をしっかり閉めて、左に数歩歩く。部屋の扉をノックする。


 どたばたと何かをひっくり返したような投げたような音がして、ほぼ無確認に扉が開かれた。近頃は物騒な話題も多いのだから気を付けて欲しいのだが――と、小学生以来の友人に内心呆れる。


 そんな自分の心情を知ってか知らずか目をキラキラとさせて、彼は白い歯を見せて笑った。


「おお、できたか! 待ってたぞ!」

「お前、本当に俺の料理好きだよなぁ」

「美味しいものが作れるやつに悪い奴はいない、ってな! ほらほら上がった、腹減ってるだろ、食べるぞ!」

「言われなくとも。俺も作ってばっかりで腹がぺこぺこだ」

「わーい! いただきまーす!」

「玄関先だぞ、気が早いな」


 作る側からしてみれば、料理を食べてくれる相手がいるのはありがたい。俺は生きてきた人生の中で一番、この日のことを忘れない思い出にするのだろうなと思った。


 ちなみに、料理は好評そのものだった。


 まず、豚バラ野菜のスクランブルエッグ炒め焼肉のたれ味。

 匙を差し込んで口に運べば、間違いない、焼き肉のたれの旨味がほとばしる。しゃくしゃくと歯ごたえの良いもやしと野菜に助けられながら、高カロリーメニューがぺろりと飲みこまれた。


 すっかり濃い口になったところで、卵サラダの酸味でリセットしつつ時短ミートローフをつまむ。ご飯は控えめに炊くよう言っていたことも幸いして、胃がはちきれるほど食べることにはならなかったが、これがなかなかに重い。肉だからか。


 とどめに卵サラダのジャガイモが胃の中で牙を剥く。


 全て美味しいのだ。美味しいのだけど、普段小食で済ませていた分、胃が吃驚しているのをひしひしと感じられた。同量をぺろりと平らげた友人には頭が上がりそうになかった。


「そういや、どうして卵を大量に消費するなんてことになったんだよ?」


 食事終わりに缶ビールを開けて、一杯やる途中のことだった。

 そういうの、計画的にやってる方なんだろ。と、無計画の自由人が言う。


 まさか末来の自分から「オムライスが食べたいから食中毒になるのを回避してくれ」と懇願する手紙がきたなんて、そんな突飛な事情をどう説明したものだろう。


「卵が……」

「うん」

「卵が腹いっぱい食べたかったんだ……」

「なる、ほど?」


 友人は分かったような、分からなかったような顔をして、酒に酔った俺に毛布をかける。


 家に帰って明日の朝は何をしようかと、とびきり美味しい親子丼を作るのだと心に決めて、それすらもおぼろげになるほど満たされた腹を抱え。俺たちは寝落ちることになった。







 朝。計画的に鳥肉を焼いて、卵でとじる。昨日の今日であまりお腹が空いていないので昼は軽くで済ませようと、ぼんやり考える。


 そうして。運悪く、あたった。


 食事の日付は二〇二二年三月十六日。

 すっかりお腹を満たして寝た俺は、一日友人宅で寝過ごしたことに気付かず起床した。合鍵で施錠後に自室に戻って、計画停電で駄目になった卵と鳥肉を口にかっこんだのだ。


 手紙を届けた女性の言葉を思い出す。そう、手紙を読んだからといって末来が変わるわけではないのだと。成程、運命収束理論は案外手ごわい相手らしい。だがしかし、食中毒になる末来を知っていた俺は「卵」にトラウマを抱えることなくその後の人生を謳歌した。


 歳を重ねると、未来の自分がタイムスリップレターなんて物をたかだか「卵」の為に使った理由がよく分かった。好きな物が食べられないという現実は、思いのほか辛いのだ。


 だから、俺はきたる末来に手紙を書くだろう。何が何でも食べたいと願う、ソウルフードな卵料理を食べる為に。いつか家族となる彼らが作ったオムライスを求めて、爺ちゃんになった俺は過去の君に手紙を出すことに決めるのだ。


 自分の人生に満足しているから。満足した人生を過去の自分が送れるように。


 ――拝啓、過去の私。私は未来の君で、もう八十九歳になる爺さんだ。

 家族が作ったオムライスを、どうしても食べたいのだと。だから頼む、と。いうように。




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