16:I'll do my best
小林邸のほど近く、夜の公園の木の下、トシキが眠っているその隣に、アヤカを埋葬した。
「トシキ、ごめんな。僕、やっぱり役立たずだったわ」
手を合わせて深く祈り、何度も甲斐性なしの自分を謝る。
「僕もすぐに行くよ。ちょっと待っててくれ」
さっきまで隣に、冷たくなったアヤカを座らせていた車に戻る。
アヤカを海から引き上げ、一日かけて深夜の東京まで戻った。ようやくたどり着いた公園近くの一帯は、ほとんどが焼けていた。ここら周辺に及ぶ大火事があったようだ。
まさか放火犯はいないだろう。犯人は増えすぎたネズミだろうか。ネズミがケーブルをかじり、ショートさせたり漏電するのが原因で、火事になることがあるという。
ショートするような電気は、もう通じていない。小林邸のような家を除いて……。
「もしかして、うちが原因だったかな……。ご迷惑をおかけします」
焼野原のように変貌している、馴染みだった近所を通り、小林邸まで帰り着く。見事に全焼していた。というより、元の場所すらわからなかった。
斜向かいのコンクリート造りのマンションは残っていたけれど、周囲の木造家屋は全て焼け落ちていた。ちょっと燃え過ぎではないか。
「あれかなあ……」
マンションの地下に溜めていた、大量のガソリンが爆発したのだろうか。カラカラに乾燥した冬の風に乗って、消火する者もいない火災は、さぞや盛大に延焼したことだろう。
「もう一度、三人でゲームやりたかったなあ……」
食料や燃料を備蓄していた小林邸はもうない。近辺の食料は大体漁りつくしている。食べられるものはどこもそう残っていない。
「腹減ったな」
空腹を満たしてからやるかと、どこかで覚えのある判断をしてから、夜の街を車で食料を探す。コンビニやスーパーを探しても、食べられそうなものは全てネズミに齧られているか、黒く変色している。
ようやく小さめのホームセンターで、無傷のカップラーメンとカセットコンロを見つける。鍋とペットボトルと、そして練炭とコンロも持ち出し、車に載せてまた走り出す。
「えーと」
高い場所を、と探しているうちに、首都高に乗り、湾岸の方へ向かう。
東京湾を見下ろす橋の上で車を止め、夜明け前の海を眺めながら、調理したカップラーメンをすする。
「なるべく高い所から、と思ったけれど、まあここでいいか。んー、美味いわあ……」
冷たい風の中で、船の灯りもひとつもない、真っ暗な東京湾の景色を眺める。
海の向こうでは、箱舟が新しい世界を目指しているのだろうか。南の島へちゃんとたどり着き、そこで夢のあるアニメの大団円みたいに、平和な社会を取り戻すことができるだろうか。
「僕はそれはいいわ。ただちょっとさ、クレーム入れにきたよ。……食べ終わっちゃったな。足りないから、もう一杯いくか」
追加で超大盛とかいうカップ焼きそばにお湯を注ぐ。これを食べ終えるまでは、回答を待つかと決める。
「さて」
昨日から何も食べていなかったので、ありつけた食事がひどく美味に感じる上に、いくらでも食べられる気がする。体には良くないだろうが、もうこの体は要らない。
「なあ、見てるだろ? 僕らを作った、プログラムした、あなただよー。ちょっとさ、聞いてくれよお。……こんな世界、作るの大変だったの、わかるよ。細かいとこ手が回らなかったのもあっただろうし、みんな平等に公平になんてやってたら、何も面白くもないだろうしさ。でも、でもだよー?」
今度こその、最後の食事は、場所も食べているものも、クオリティはいまいちだけど、こんな自分にはふさわしいと思えた。
「ちょっと性能、上げ過ぎだったんじゃないの? たった何千年やそこらで、世界をこんなにまで変えて、こんな立派な橋までかけちゃう生き物を、ひとつだけ作ったのは、まあ、どういうつもりなのか知らないけれど、その分、苦しいのも痛いのも、感じ方がすごくなっちゃってるんだよ。……言ってること、わかるー?」
二倍だか四倍だかの、ふざけたカップ焼きそばをすする。困ったことに、ものすごく美味い。高級肉よりもはるかに。
「戦争ばっかりやってた昔なんかは、弱者にとって、もっとずっと地獄みたいな世の中だっただろうけど、もうちょっと苦しみも、シンプルだったんだよ。今はなんかさ、それとは違うんだよ。うーん、悩みも苦しみも、難しく、複雑に、高度に高級になり過ぎてて、もう、どうしようもなくなってるんだよ」
最初はつぶやくように、徐々に、聞こえてみろとばかりに、橋の上で声を張り上げてゆく。
「せめてもうちょっと、苦しみの質や量がおかしくならないように、設定煮詰めといても良かったんじゃない? キャラデザ失敗し過ぎで、バランス調整おかし過ぎるっての。ちゃんとバグ取りしてから運用始めろよ。はっきり言えば、僕みたいなの、出てこないようにしろよ」
世界は美しいし、好きだ。夕暮れの景色も、もうすぐ訪れる朝の光景も。
こんなに美しいものを独り占めできたり、トシキやアヤカ、ココと笑い合ったりするのも、楽しかった。
でも、それとは別だった。
どんなに世界が美しく輝いていても、それを穢してゆく自分がいる。僕だって自分以下を探していた。生きるために恥すべきことを隠れてやっていた。
そんな自分を受け入れることもできない。生きるための当たり前ができない。生きるという当たり前ができない。
「何なんだよ、この苦しみは。どこにどう必要があるんだよ?」
いっそザコキャラになって、下劣や卑劣を楽しんでしまえれば良かったのに、それもできない、似合いそうにない、そもそも初期設定が致命的に間違っていた僕を、なぜここまで生かしておいたのか。
「もういいよ。もう、終わりでいいんだ。さあ、発動なりしてくれ。海はそこだよ。簡単だろ? あなたには簡単すぎることだろ?」
さあやれ。聞けよ。届け。たのむよ、もういっぺん届いてくれ。
「僕を見ろよ。僕らを見ろよ。死にたいことが望みで、死ねないことが苦しみだぞ? こんなのもう、おかしいんだって。こんな生き物、あなた他に作った覚えあるか? ……ないだろ? あるわけないだろ? な? 失敗作なんだよ! さっさと責任取って、消去してくれよ。さあ、僕らを作ったその手で、さあやれー!」
叫び終えても、焼きそばをすすり終えても、誰の声も聞こえてこない。空から神々しく降りてきてもいいような、光も影も見えやしない。
「……返事、ないかあ。やっぱり、預言者とか、神の子みたいなすごい奴じゃなきゃ、相手になんかしてくれないか。クレーム無視ですか」
諦めて立ち上がり、もたれそうな腹を抱えて車に戻る。
「ま、自分でやるか」
車に戻り、未明の首都高速をのんびりと走り、最後のドライブを楽しむ。
東の空から闇が消えてゆく。透明な群青色のグラデーションのキャンバスにちりばめた星の中を、切れはしのような雲が桃色に光を受けて、風の中を走ってゆく。
コンポに入っていたCDが勝手に再生される。古いテクノポップがいい感じで流れてゆく。
できることはやった。やれることはもうなかった。僕はベストを尽くした。
でも、僕はまたがんばれるはずと、自分と同じ一人称を使い、少年のような声で歌う。
「また、は、もうないなあ……」
六つの橋に囲まれた、小さな町の中に入る。駅前の様子はかなり変わっていた。夏の間に伸びていた雑草が広場や道に溢れて枯れている。
古くて汚い安普請のアパートの前まで来て、車を止める。
「ただいま」
ようやく帰ってきた。自分の部屋に。
「ふう」
長い旅の終わりに、感慨深く吐息をつく。世界が終わったあの日、外になど出ず、さっさとここで済ませてしまえば良かったのか。でもまあ、これまでそう悪くもない時間だった。
「シャワー、浴びよ」
古い作りなので、屋上タンク式なのが功を奏し、バスルームで水は出るが、もちろんお湯は出ず、水は微妙に匂う。凍えながらそれで身体と髪を洗う。
久しぶりのよれた部屋着に着替え、布団を敷く。
コンロで練炭をめいっぱい焚き、懐かしの我が寝床で転がる。冷え切った身体に、部屋を暖めてゆく炎の温もりが気持ちいい。
「あ、目張りしてないと、ダメだったかな」
ガムテープやらビニールシートの用意を、また忘れていた。
「ここ、隙間風だらけだしなあ……。ちゃんと不完全燃焼させるには、やっぱり密閉しないとダメかなあ。ま、五分五分ってとこか」
疲れ切った身体は、睡魔よりも、温かさと気持ち良さに抗えない。
死ねずに起きちゃったら起きちゃったで、もう一度やればいいかと決めて、このまま眠ることにする。
「確率五十パーセントの、睡眠か永眠のデスゲームだな」
遮光カーテンを閉めきった、朝の暗い部屋の中で、ふと思い出し、桐生にもらったタブレットを手にする。
寝床の中で、ネット百科事典を開き、読み応えのありそうなページを眺めてゆく。死ぬ前のたしなみにちょうどいい。
「こんなのがあったら、本屋を回って情報を漁る必要は無かったよなあ……。あれ、これは」
京都の施設で共有されていたのだろう、調査班用のファイルらしきものが見つかり、開いてみる。
汚染状況の調査結果や、海外の状況、生き残りの発見記録だけではなく、消失現象への考察などが記されており、読んでいるとなかなか面白い。
「へえ、ココさん以外にも、京都に来なかった生き残りがいるのか。僕が最後ってわけじゃないんだな。お、これは、桐生の書いたものじゃないか……え?」
最後に更新された日付を見て驚く。自らの頭を打ち抜いたあの日だった。
誰に読ませるつもりで残したのか。タブレットを渡された僕は、それを託されたような気がしてならない。
「読ませて……もらうね」
少しばかり、神妙な気持ちになって、寝転がりながらタブレットの指をなぞり、先を進めてゆく。
――……欧米のみならず、世界中の信心を持つ生き残りたちは、今回の事態を神の意志によるものだと結論付けている。もはや、そこに行き着くしかないのだろう。
実際、生命の起源や発祥という出来事には、人知の及ばない大きな意思が働いているとでも考えない限り、およそ説明はつきそうにないのだ。
日本の海岸に、ひとしずく流した液体が、地球の裏側で同じく一滴垂らされた液体と混ざり合う確率。過去、子供向けに使われていたそんな比喩は、なかなかに適切だ。
ある研究者が、その確率を数字に出してみた。
10×10を、4万回繰り返して出た数を分母にして、分子を1にしたものが、生命が発生する確率だという。どんな計算機でも、巨大なモニターでも、表示しきれない数字になるだろう。
それが、偶然の重なりにより果たされたのだとしたら、宇宙の年齢、数十億や数百億という程度の年月では、どれほどの奇跡を与えられても収束し難い――
「桐生さあ……言い方がくどいよ。人類誕生は卒倒するくらいの激レアだとか、生物の発祥は今日死ぬんじゃないかと思うくらいの鬼プレミアだとか、そう言えばいいだけじゃん。てかさ、そんなの、なんでもありの製作者がいるに決まってるだろ。僕もトシキも、そんなのとっくに気がついてたもんね」
――そうであるならば、神の意志によって産まれ、繁栄を謳歌していた我々人類は、何らかの理由によってその意志に触れ、今度は抹消されることになったのか。
その理由とは何か。
神の掟の何に、我々は抵触したのか。
零と壱、生命と非生命の境目を蠢く存在、ウィルスによって根絶を決定づけられるほどの罪とは、いかなる行いであり振る舞いだったのか――
「桐生ー、語りすぎ語りすぎー。ポエムになってるぞ。気分がのっちゃって書いてるんだろうけど、ちょっとくどいぞしつこいぞ」
――ここから私の、個人的な考察を綴ってみたい。
これは、研究者としてあるべき反証も何もない、ただの駄文であり妄想だ。
きっかけになったのではないかという事象と変化を、ここ数十年くらいに期間を絞り、いくつか挙げてみることにする――
「おっ、いいねえ。どうせ理由なんてわかりゃしないんだから、好き放題言っちゃっていいんだよ。面白くなってきたぞ。語れ語れー」
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