【KAC20225】たまくひのあま――八百比丘尼異伝

狐月 耀藍

たまくひのあま――八百比丘尼異伝

「そなたは妖怪か狐狸の類か、それとも神仏の類か」

「……いいえ? ただの人間のござりますれば」


 闇の中、行燈の明かりに浮かび上がるように、居住まいを正す尼。

 幼子の失敗を微笑ましく見守り、諭す老女のように、尼は小さく笑って答えた。


「ならば、斬れば死ぬのだな?」

「お試しになられますか?」

「……そうだな、試してみたいところだ」


 とはいえど、この怪しい尼がどんなあやかしの術を繰り出してくるか分からない。

 なにせ――


八百はっぴゃく年生きる人など、人とは思えぬ。人を化かす化生の類かそれとも神仏の化身か」


 尼は小さく笑った。

 ――聞き飽きた、とでも言うように。


「では、どうぞ、お斬りなさいませ。それであなたさまの気がお済みになるのでしたらば」


 本当に斬られるとは思ってもいないような尼の態度に、少々いらだつ。

 ――落ち着け。このような安い挑発に乗る必要はない。ただまっすぐと刀を振り下ろすだけで、この尼はただの土くれと同じモノに成り下がるのだ。


「……念のために聞いておこう。そなた、本当に八百余りの年月を生きてきたのか? もしそうだとしたら、どのような術を以ってしてそうなれたのだ」


 尼は、再び笑った。

 どうしようもなく愚かな過ちを、笑い飛ばすように。


「ひとが、本当に八百余りもの歳月を生きられるとお思いか?」

「では、本当はいくつなのだ」


 この尼の若い声、皴のない顔。

 どう見ても十八の自分と同じくらい――二十代程度にしか見えない。


 近隣の百姓に聞いても、特に変わった様子はないようだ。

 怪我や病を得たときは、百姓どもはここでちょっとした薬をもらうらしい。

 この尼の作る薬は、よく効くそうだ。


 その薬効とこの地で八百年生きているという噂、穏やかな性分しょうぶんらしいことも相まって、百姓どもは『八百比丘尼やおびくに様』と、生き仏でも崇めるかのような塩梅あんばいだった。


 だが、薬ごときで人が八百年も生きるとは到底考えられぬ。

 なにか、別のからくりがあるはずだ。


「いいえ、八十七になります。この体は」

「フン――十分の一にさばを読んだとて、面白くもないぞ」

「おや、誠の話ですのに」

「だとしたらやはりそなた、化生けしょうの類よな」

「申し上げたでございましょう、ひとですよ。――ひと、


 ゆらり。

 行燈の火が揺れる。


 生温かい風がうなじを滑っていくのを感じて、恐怖――そう、この、己を八十七の歳とたばからんとする二十歳そこそこと思しき女を、この、殿の御前試合にて最優とされた己が、おそれを感じたのだ!


 一瞬だった。

 刀を、いつものように振り下ろしたのは。


 そして、こともなげに、


 命は刈り取られた。




 日に当たれば、ひと形が崩れて狐狸の類に戻るやもしれぬ――そんな淡い期待は、ものの見事に外れた。

 尼は、――八百比丘尼やおびくにと呼ばれていた尼の死体は、変化が解けることもなければ霞のように消えることもなかった。


 本当に、ただのひとだったのか?

 そんな疑念がするりと忍び込んでくるのと同時に、己は何のとがもないただの尼を手にかけたのではないか、という罪の意識が徐々に膨らんでくる。


 殿のめい――八百はっぴゃく年を生きると噂される奇妙な尼を調べ、その長命ちょうみょうの技を持ち帰るためだったとはいえ、罪なき尼を手にかけた――その疑惑に、背筋が冷たくなる。


 ――致し方なきことだった。

 この尼が醸し出す空気に、たしかに己は命の危険を感じたのだ。

 そう、自分に言い聞かせ、一日経った尼の死体を埋めようとしたときだった。


 彼奴きゃつの目は、いつから開いていたのだろう。


 いつから、己は目を合わせていたのだろう。


 いつから、己は――



  ―― ◆ ◇ ◆ ――



「そなたは狐狸か化生の類か、それとも神仏の類か」

「……いいえ? ただの人間のござりますれば」


 ――なるほど。これは可笑おかしい。

 幼子の失敗を微笑ましく見守り、諭す老女のように、我は小さく笑って答えた。


「ならば、斬れば死ぬのだな?」

「お試しになられますか?」

「……そうだな、試してみたいところだ」


 恐れを知らぬといった若武者が、腰のものに手を掛ける。


「人が八百はっぴゃく年生きるなどありえぬ。そなたは人を化かす化生の類かそれとも神仏の化身か。それを確かめに来た」


 ――今度はそなたが・・・・我を担う・・・・か。


「では、どうぞ、お斬りなさいませ。それであなたさまの気がお済みになるのでしたらば」

「……もう一つ聞きたい。貴様は本当に、八百はっぴゃく年、生きたのか? どう見ても、三、四十にしか見えぬ」


 我は、再び笑った。

 我を斬りに来た、どうしようもなく愉快で、そして愚かで哀れな過ちを、笑い飛ばすために。

 ――そうか、あれからもう二十年も経ったのか。時の流れは早いものだ。


「いいえ、八十八・・・なります・・・・この体は・・・・


 そう。そして我を斬れば――

 次はそなたが・・・・八十九番目・・・・・の体に・・・なる・・のですよ。

 そうやって体を乗り換えて、は命を繋いできたのですよ。

 『たまいの尼』として、八百はっぴゃく余りの歳月を、ね――?

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