突然若返ったので、恋以外の青春を取り戻します。

香澄るか

突然若返ったので、恋以外の青春を取り戻します。

 窓から差し込む温かな光で目覚めた。


 おはよう世界。

 あたし今日ね、88歳になったのよ。



「あ、おばあちゃん、誕生日おめでとう」

「米寿っていうんだっけ?」

「おばあちゃん、何か欲しい物ある?」


 同居している娘家族が矢継ぎ早に話しかけてくる。

 祝ってくれるのは嬉しい。でも、気分は憂鬱だ。


「……そうねえ。若返る薬とか?」


 一気に室内が静まり返る。

 一瞬しまったと思った直後、孫の大樹がぷっと吹きだして空気が変わる。


「ばあちゃーん、それは無理だわ。ドンマイ!」

「知ってる」

「あれは? 化粧品とかバッグ! 靴も!」

「夢愛、それ欲しいのはあんたでしょう?」

「あ、バレた?」


  彼女がべっと舌をみせたらどっと笑いがおこった。


「あたし、ちょっと出かけてくるわね」

「ばあちゃーん。徘徊してると思われて、昼間からおまわりさんに声掛けられないようにね?」

「ちょっと、あたしに失礼じゃない? 88歳だからって馬鹿にするんじゃないよ」


 ウチの家族たちは、お喋り好きで明るく賑やかなのはいいのだけれど、そのぶん遠慮がない。

 あたしは眉間にたっぷりの皺をつくりながら家を飛び出した。


***


 わかっている。50代60代のように若いというつもりはない。顔や手はまるで木の年輪のごとく、年々濃い皺が刻み込まれていく。昨夜これでもかと化粧水を塗り込んだとはいえ、あたしは誰がどっからどう見たって、おばあちゃんだ。


 でも、おばあちゃんとしか呼ばれないのは、扱われないのは、なぜ?

 母親が、子供を産んだ瞬間から呼び方が「ママ」や「お母さん」に変わってしまうように、祖母も孫ができた瞬間から、抵抗する間もなく「おばあちゃん」になる。

 孫はかわいい。最初はあたしだって人並みに喜びを感じていた。でも、束の間だった。そのうち呼ばれることが嫌になった。というより、寂しい。

  

 おばあちゃんというフィルターを一枚挟んで見られているような気がして、本当のあたしが消えてなくなってしまったようだ。


『きよ香さん』


 遠い記憶の片隅で、懐かしい大好きな声があたしを呼ぶ。


「秀雄さん。あなたに名前を呼ばれていたあの頃に、もう一度戻りたい……」


 胸が締め付けられる。

 思わず、胸元を抑えながら気持ちと一緒に身体を前に傾かせたときだった。


「おばあさん、大丈夫ですか?」


 頭上からかかる声にハッとした。

 どうやら具合が悪いと勘違いされたらしい。

 あたしは声に顔を上げる。そして、ちょっとムッとした。


「あんただっておじいさんじゃないかい」


 そう。声をかけてきたのは、あたしと歳はそう変わらない男。ただ、珍しいのが、その装い。紳士服で、帽子まで被って洒落ている。


 あたしの鋭い視線に少々たじろぎながら、男は苦笑する。

 悪気はなかったようだ。その証拠に、帽子を軽く持ち上げてお辞儀をする。


「失礼。たしかに、わたしもおじいさんですね」

「……あたしもちょっと虫の居所が悪くってね」


 気遣ってくれたのにと詫びると、男はくすっとだけ笑ってベンチに座るあたしの隣に腰掛けた。


「よかったら聞かせてもらえません?」

「え?」

「赤の他人に話す方がすっきりすることもありますよ」


 本当なら普段そんなことはしない。

 けれど、男の包み込むような優しい声につい気が緩んでしまった。


「あたし、おばあさんと呼ばれるのにうんざりなの。若返りたい」

「おや」

「これでも昔はすごくモテたんだ。高嶺の花なんて言われたりしてね。肌もきめが細かくって、ぷるぷるで。自分で言うのもなんだけど、本当に綺麗だった。……性格は、勝ち気で男勝りとか言われたけどね?」

「ほほ。そうなんですね。いやー、でも、今でもその面影がしっかりと残ってますよ。さすがの美貌です」


 あたしを上から下まで見たあとうんうんと頷く男。

 あたしの口元も緩む。お世辞だとはわかっていても嬉しくないわけがない。

 すると、男はとんでもない言葉を告げた。


「その願い叶えて差し上げましょうか?」

「え? なにを言っているの?」

「若い頃に戻りたいというあなたの願いです」

「……は?」


 困惑するけれど、男の目は真剣そのもので、男はあたしに近寄ると二度、叶えましょうと言った。


***


 その後の記憶が無い。気付けば、男の姿はなく、公園のベンチにひとりだった。


 一体何だったんだろうと思った瞬間、自分の手を見て目を疑った。

 肌がつるすべー!?

 慌ててトイレの鏡へ走ると、若さと美しさを取り戻した自分の姿が映っていた。


 本当に戻ってる!?

 あのじーさん何者!?

 信じられなかったが、あたしは切り替えの早さもピカイチだった。



 さっそく、若いファッションやメイクを楽しんだ。若者限定のイベントも参加して、スイーツバイキングも堪能した。

 さて、次はどこで何をしようかと思案しているところへ、突然声をかけられた。


「ひとり?」

「……は?」


 まさかの、幼馴染のとしきだった。当然じーさん。

 あんた、いい歳して、しかも誰にナンパしてんだい……と、呆れる。

 でも、すぐそうも言ってられない事態が起こった。


「えっ、待って? きよちゃん……?」

「なっ、何言ってんの!?」


 としきがあたしの名を呼んだ。

 心臓が急速にバクバク跳ねる。やばい、どうしよう!?

 

「あ、いやっ……そんなわけないか!! あんまりにも似てたけど、きよ香80のばーさんだしな!! ごめんね、君みたいな若い子と勘違いして!! 失礼だよね。はははは!!」


 としきは、流石にあたしが若返ったなんて思いもしないからか、盛大に声をあげて笑う。

 この野郎……。頭にきたあたしは、あはははと一緒に笑いながら、たまたま履いていたヒールで足を踏んでやった。


「ぐへっ」

「ふん!」


 こんな凶器を履いて歩く気が知れなかったが、今なら同意しよう。


***


 腹が立つとお腹が減ってきたのでランチへ繰り出した。

 途中としきとは別の男たちにたくさん声をかけられた。なかにはスカウトマンもいたけれど、あたしはしれっとどちらの誘いも断った。


 恋愛だけはしない。

 それがあたし自身に誓ったことだったから。

 それに、いつこの現象が終わるかわからないのに芸能活動なんてやってられない。孫なら泣いて喜んだろうけれどね?


「……んー?」


 ふと、前方から若者集団がやってきた。それだけなら気にしないが、真ん中を歩く一人が目に留まる。


「大樹!?」


 そう、あたしの孫だ。

 いつ出かけたのか、友人たちと道の真中を横一列で大きい顔して歩いてくる。


 あたしは、彼が目の前にくるまで仁王立ちで待ち構えた。

 でも、大樹は目も合わせることなくすっと横を通り過ぎて行く。まあ、この姿じゃ仕方ないが、なんだかそれがショックだったあたしは、咄嗟に呼び止めていた。


「大樹! 横に広がったらみんなの邪魔だよ! 端に寄んな!」


 大樹はもちろん、友人たちも驚いてこちらを見ていた。


「大樹、あのひと知り合い……?」

「いや、全然」

「えっ、なんそれ。こわっ」

「美人ではあったけど、大丈夫? ストーカー?」

「いやー……? けど、なんつーか、うちのばーちゃんみたいだった」


 歩き出した彼の言葉に目をまるくする。

 そうだよ。あんたのばあちゃんだよ!!


 思わず言ってやりたくなるのを堪えて、あたしはひとり笑った。


***


 時間が過ぎるのはあっという間。

 もうあたりはっすかり暗くなって、夜が迎えにこようとしていた。


「せっかく若返っても、ひとりじゃ限界があるわねー。それに……」


 あたしは空を見上げながら手をかざす。

 頭上からはぽつりぽつと雨が降っていた。


 本当なら帰宅したら済むけれど、こんな姿じゃ到底無理だった。

 さすがに遊びすぎてホテルに泊まるほどのお金はないし、泊めて貰う宛もない。それ以前に早く帰らないと家族が捜すかもしれない。


 どうしよう……と思っていると、突然傘を差しだされた。

 驚いて見上げると、オシャレに着飾った見覚えのあるギャルがいた。


「大丈夫ー?」

「夢愛!?」


 信じがたいけれど、孫の夢愛ゆあだった。


「このままだと濡れちゃうよ? これ使いなよ。折りたたみ持ってるし」

「でもっ」

「遠慮しない。ウチ、おばあちゃんが厳しくって。困ってるひと見捨てたりしたらあとで拳骨喰らうから。助けると思って」

「ありがとう……」


 夢愛は笑顔で手を振っていなくなった。

 背中を目で追いかけながら、嬉しくて、泣きそうになった。

 うちの孫、めちゃめちゃ良い子なんだけど!?


 そう実感すると同時に、急に現実に引き戻されていく。

 一体何をやってるんだろう……。

 本当に、今日半日以上すごく楽しかった。堪能した。

 でも、いつまでこれがつづくの? 

 このままだと、あたしはあの孫たちのいる家にもう戻れないの?

 なにより、家で待つ、あの人の部屋に……。


『きよ香さん、帰りましょう』


 一緒に手を繋いで帰っていたときのことが蘇る。


 このままずっとなんて、いいわけない……!!

 あたしは、傘を手に走り出した。


***


 息を切らして辿り着いたのは、最初の公園。

 そこにまるで待っていたかのように立つ人影に、思わず傘を手放し駆け寄った。


「お願い! 我儘わがままだけど、元に戻してほしい! 家族のもとへ帰りたい……っ!」

「お帰りなさい。……きよ香さん、楽しかった?」

「うんっ。お陰ですごく楽しかった……っ! ありがとう秀雄さん……!」


 あたしは、涙で霞む目を凝らしながら、懸命に彼に笑った。

 優しく抱きしめられた温もりは、たった一人の大好きな人のものだった。



 次に目が覚めると、あたしは部屋の布団のなかだった。

 経緯は不明だけれど、家族に連れ帰られたらしい。姿も、いつの間にか元に戻っていた。

 もしかしたら、都合のいい夢を見ていたのかもしれない。


 号泣する孫たちにおばあちゃんと連呼されたけれど、不思議と前ほど嫌じゃなかった。

 でも、せっかくだから、今日からちょっと変わろうと思う。


 あたしはちらっと枕もとの写真を見てから「今日からは、おばあちゃんじゃなくて、きよ香さんと呼んでちょうだい」と笑った。

 

 








 

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突然若返ったので、恋以外の青春を取り戻します。 香澄るか @rukasum1

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