朧守閑話 其ノ四「ある日の巡察 東組編 第一幕」

夜白祭里

ある日の巡察 東組編 第一幕

 寂れた神社の境内を赤い光が高速で飛び去った。

 刀が残像を斬り、黒い衣装に身を包んだ青年は小さく舌打ちした。

「ちょこまかと……!」

 邪物はあざ笑うようにふわふわと闇の中を飛んでいく。

 勾陣の中に隔離したまでは順調だったが、そこからが問題だった。

 とにかくすばしっこくて、かれこれ一時間ほどずっと追いかけっこをしている。

 邪物の行く手の闇で霊符が舞った。

“十二天が一、勾陣!”

 行く手に出現した黄の壁に、赤い光が急停止して方向を変えた。

「仁兵衛殿! そっち行ったよ!」

 成り行きで一緒に勾陣に入った真樹は、霊符で邪物を誘導しながら声を上げた。

「おう! 任せろ!」

 回り込んだ青年の手から、十近い霊符が放たれた。

“十二天が一、太常!”

 一斉にオレンジに輝いた霊符が、邪物の四方八方からぐるりと取り囲んだ。

“閉ざせ!”

 オレンジの幕が伸びた。

 邪物を包み込むように形作られた球体が、ドクンと一度大きく跳ねて収縮する。

 光が収まった後には、淡く瞬くビー玉が石畳の上に転がっていた。

「ふう、鎮まったか……」

 ビー玉を水晶に仕舞いながら、信濃霊山の宵闇・里野仁兵衛さとの じんべえは深々と息を吐いた。

 黒いシャツにジーンズ、ジャケットといった、これでもかという宵闇スタイルの青年は人の好さそうな顔に笑みを浮かべた。

「良い掩護だった。感謝する葵主座」

「こっちこそ、いつもありがと! これ、うちの副将から差し入れ! 『いつもご加勢ありがとうございます』ってさ!」

「おお、有難い」

 よく冷えたおしるこの缶を渡すと、仁兵衛は嬉しそうに受け取り、さっそく一口啜った。

「くう、美味い……! 一仕事終わった後の甘いのは格別だなあ~~!」

「そういえばさ、仁兵衛殿って、東組うちによく来てくれるけど、ここらへんの担当なの?」

 自分の分のコーラを取り出し、真樹はさっそく探りを入れた。

(宵闇はやめといたほうがいいとは思うけど……、可愛い後輩の恋を応援しないわけにもいかないからね……)

 仁兵衛は天狗とは思えないほど気さくな性格をしている。

 背も高いし、隊内での人気も高い。

 宵闇でさえなければ、後輩の恋を、もっと応援できただろう。

「そういうわけじゃないが、どうしても東組からの依頼は優先したくなってしまってな」

「ほえ? なんで?」

「俺は、元東組の鎮守役でな。後輩の危機は見過ごせんさ」

「はあ!? マジ!? 仁兵衛殿、東組の先輩なの!?」

「ああ。信濃には武蔵国の元鎮守役がけっこういるぞ。俺達の世代だと、他に北組出身の奴もいたんじゃないかな」

「『俺達の世代』って……?」

「あ~~、八十年世代って感じかな」

「八十年代? 歌番組とかでよくやってるヤツ?」

「や、そっちじゃなくて。八十歳代って意味。俺で今年八十八歳……」

「ええええええええっっっ!?」

 さらりと投下された爆弾発言に、思わずコーラの缶を握りつぶす。

「仁兵衛殿、あたしとタメにしか見えないよ!? 八十八歳って、うちのジイちゃんよか年上じゃん!!」

「ははは、懐かしい反応だなあ」

 仁兵衛はおしるこを飲み干した。

「俺も昔はそう思ってたが、宵闇で八十八歳は、ひよっこもいいところさ。なんせ、信濃の峰守の冶黒様は八百歳超えだし、奥羽や鞍馬には千歳超えの大台に乗っておられる方がわんさかおられるからな!」

「て、天狗って長生きだよね……」

 後輩の恋の終わりの予感に、気の毒な気持ちと、実らない恋が終わってよかったという気持ちが入り混じった夏の夜だった。



 数か月後――。

「笹貫圭吾か……」

 霊符を手に、真樹はその名をもう一度繰り返した。

 あれだけの力を持つ宵闇だ。数百歳、もしかすると、千歳を超えているのかもしれない。

 黄の光が壊れ、新たな勾陣の光が揺れた。

「葵先輩! 大丈夫ですか!?」

 抜き身の霊刀を手に駆け込んできた、「可愛い後輩」こと副将の坂居理奈は怪訝な顔をした。

「あら、成川君の鬼化が解けてる……。先輩が鎮めたんですか……?」

「加勢に来てくれたヤツがいてね……」

 深々と息を吐いた。

『八十八歳なんですね。え? 年の差七十歳? そんなので私の気持ちは変わりませんよ。仁兵衛さん、天狗だし、見た目は私達と変わらないじゃないですか』

 仁兵衛の年齢を聞いた理奈は、全く動じることなくニコニコとしていた。

 当時、理解を超えていると呆れた彼女の言葉が、今夜は物凄く染みた。

「いやあ、参ったわ! アンタ、良いこと言うよね、理奈!」

「へ?」

「気持ちが大事だよね、気持ちがさ!」

 きょとんとする後輩の肩をポンポンと叩き、真樹はもらった霊符を大切に水晶に仕舞った。


― 閑話 其ノ四「ある日の巡察 東組編 第一幕」 完 ―

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