88歳

ひぐらし ちまよったか

成人88號  ~夜の街でガオ!~

二十一世紀、人類はついに画期的な方法で、寿命を飛躍的に伸ばすことに成功した。


 ――実に十倍!


 『人生千年時代』の幕開けであった。



 ――日本政府は大いに困った。

 ――年金制度が破綻する……。


 現状六十五歳からの支給開始では、残りの人生……九百三十五年間も支給し続けなくてはいけない。



「さて、どうすべぇ……?」


 考え抜いた挙句、年金支給年齢を九百歳まで一気に引き上げ、定年年齢の大幅な引き上げを、企業側に提案した。


 ――目標、八百八十八歳の定年制だ。


 むろんそれは『人生千年世代』が、死ぬギリギリまで元気に働き続ける事が出来るという、研究データが有ったからこそできたことだ。

 一見、生産力も上がり、労働人口の減少にも歯止めがかかる、非の打ちどころの無い国策に思えた……が。



「人生千年のうち、九百年近くも働かなければいけないのか!? 人生の、じつに九割が労働じゃないか!?」

「青春を謳歌する時間が、あまりに短かすぎる! 国は国民を何だと思っているんだ!!」


 多くの反対の声が国民から上がった。



「さて、どうすべぇ……?」


 ――政府は再び考えた。


「働き始める年齢を後倒ししてやれば、いんじゃね……?」



 かくして我が国は、成人年齢がひきあげられ、88歳からが大人とみなされる国家となった……。




 児童公園に歓声が上がる。


 おじさん、おばさんのグループが鬼ごっこの様なものを楽しんでいるらしい。

 向こう側には、滑り台を登っては滑り降り、階段へと走り戻ってまた昇るを、ただひたすら黙々と繰り返すオッチャンがいた。


 べつに不思議でもなんでもない。


 このおっちゃん、おばちゃん達は皆、れっきとした子供、小学生である。

 かく云う僕も小学生。


 ――千年世代と言っても、生物としての成長が極端に遅くなるわけじゃなく、寿命が大きく伸びただけだ……成長も、もちろん老化もする。


 そして。


 成人年齢が引き上げられたために、88歳以下の『元大人』は、立場を『義務教育課程中の未成年者』へと戻されることになった。


 ――義務教育の修学年数が、大幅に増やされたのだ。


 計算方法は、次の通り。


 小学一年までは、普通に一年でひとつ学年を増やす。

 これは幼い頃に覚えておくべき『幼児教育』『道徳教育』は、肉体年齢が上がってから行われると、効果が期待できないという事に対しての配慮である。

 そして、小学二年生(満八歳)からは、一学年につき十年の教育年数が与えられる。

 つまり、八歳から十七歳までが二年生。

 小学三年生は満十八歳から二十七歳、四年生は二十八歳から三十七歳……。


 中学への入学は満五十八歳……昭和の昔は坊主頭が並んでいたが、今では白髪頭とはげ頭が、桜の頃の初々しい風物詩となった。

 中学三年が、満七十八歳から八十七歳……ここまでが未成年者である。


 中学を卒業すれば成人……晴れて大人の仲間入りだ。



 ――とはいえ、今は過渡期……この公園で遊んでいる小学生たちの大半は家庭を持ち、仕事もしている筈である。


 役職についている人も居るかも知れない。


 労働人口をガクンと減らす様な、急な改革は必要ない。

 国内最高齢者である善五郎さんが、現在138歳である。

 退職するのはまだまだ先だ。

 これから数百年かけて、じっくり徐々に、シフトしていけば良い。


 もうすでに、ここ数年、新社会人は誕生していないが、定年退職していく労働者もいないので、全く問題はない。

 むしろ、定年後に細々と年金暮らしをしていたリタイア組が、次々と復職を求めてきたために、労働者人口は逆に増えてしまったほどだ。


 彼らの多くが『未成年者』だが、過渡期という事もあって、政府も企業も、時代の牽引者としての再雇用を推奨していた。

 『団塊の世代』を筆頭に『お~モーレツ!』の合言葉のもと、高度経済成長を支え続けてきた世代の復職によって、日本経済は大いに活気付いた。

 現在、未成年者であり、かつ、定職についている国民は相当数いることになる。


 僕も小学校へは週一回、出席を取りに行くだけだった。

 小学校のカリキュラムは全て終了しているので、授業などはない。

 他の平日に普通に出社し、仕事をしている。

 労働人口の増加によって、個人への負担は緩和され、時間的なゆとりが生まれたので、『小学生』と『労働者』という二足の草鞋も、余裕でこなせる。



 ――大きく変わったのは気持ちの方だった。

 この公園に遊ぶ、おっちゃんおばちゃん達を見てもよくわかる。

 皆、一様に少年、少女時代を楽しんでいる。

 立場上は小学生だ、無心ではじける笑顔は、大人のいやらしさを全く感じない。


 ――美しくすらある。



 僕も、何だろう? このワクワクとした気持ちが押さえ切れない。


(僕は、何だってできる! 何にだってなれる!)


 ――漠然とそう考えている。



 一方で、公園の隅に設けられた喫煙コーナーには、紫煙を燻らす一団もいる。


 法律的には彼ら……違法である。


 『お酒もタバコも米寿から!』だ。


 だが……多少のお目こぼしは必要らしい。

 そのへん過渡期のファジーなところか?



 選挙も変わった。


 僕は働いて、税金も収めているので選挙権は有るが、新社会人になる予定だった今の二十代前半は、選挙権を持たない。


 もっとも若い世代は、投票にすらいかない人が多数なので、あまり気にはならないようだ。


 いずれは88歳以下は選挙権がなくなるはずだ。

 かなり極端な政治になりそうな予感はある。



 ――そのうち『ロリ』の定義も変わってしまうかもしれない。


 年齢が引き上げられてしまったら、『のじゃロリ』なんかは消えていくかも?

 キャラクターインパクトの喋り方が、ナチュラルトークになってしまう。


(新たなキャラが生み出されるのだろうな……『幼児語マダム』なんてどうだ?)


 妙齢のご婦人(小学生)が

「――アタチのミリョクでイチコロなのなの!」


(……ぼくには無理だな……)


(カクヨム戦士の皆さんに期待だ……)




 ――過渡期の今は、面白い時代が訪れる期待が半分、恐ろしい時代になる不安が半分、といったところだ。



 ――不安な部分、それは……。


 今朝ニュースでやっていた、現在日本最高齢の善五郎さん(138歳)の様子だ。


 ――全身くちゃくちゃで小ぢんまりとし、歯なんか一本も残っちゃいない。


 だが、ひたすら元気で、朝から五百グラムは有ろう分厚いステーキに齧り付いていた。

 レアレア程度に炙られただけの、ほぼ生肉を、歯茎だけの口を大きく開け、むさぼる様に食いちぎっている様子が映し出される。


 ――それは人類をはるかに超越した、別の生物に進化してしまったかのような映像だった。


 人類の生物としての限界寿命は、せいぜい百二、三十歳だそうだ。

 それをはるかに超えてしまった善五郎さんを、はたして『人』と呼んでいいのだろうか?

 この先も老化を続けながら生きていく彼は……。



 ――善五郎さんは林業の傍ら、『鳥獣駆除資格』を持ち、山野を駆け回っては大型のイノシシ、時にはクマなども仕留めて、村の治安を守っているらしい。


 たしかに彼ならば、あと数百年は平気で生きている事だろう。

 この先の彼の変化を、見守っていくしかない。




 ――そういえば、善五郎さんのニュースの後に、気になるニュースもやっていたっけ?


 国連の専門家会議が人の寿命について、上方修正する可能性を示唆したそうだ。

 三千年程度になるかもしれないと……。


 政府は早くも『88歳成人』の、年齢引き上げを検討し『100歳成人』を視野に入れた会合をするらしい。


 ――僕が成人する日は、一体……いつになるのだろうか?


 ――僕が大っぴらに『夜の繁華街でガオ!!』できる日は、本当に来るのだろうか?


 そして……


 その時に僕や、僕の周りにいる人たちは……


 ちゃんと『人類』していられるのだろうか?





 ―――― 了。

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