第16話 ヤバい!……ヤバいヤバいヤバい……!

突然、遠くからミミナの声が聞こえた。


と同時に、目の前の子供はびっくりした顔をして狼狽えている。


俺はミミナの言っていることが咄嗟に理解できず、ポカンとしている間に、耳のすぐ横を何かがかすめていくのを感じた。


シュッ……バシッ!


それは真っ直ぐ目の前にいた子供の方へ飛んでいき、間一髪すぐ隣にあった木の幹へと刺さる。

……ミミナが放った矢だった。


「おいミミナ!こんな子供に何するんだよ!?」


まだ事態が飲み込めていない俺は、その場で起こった事に驚き、ミミナに対して怒鳴る。


……この子供がコボルドだって……?


ミミナは何かと見間違えてるんじゃないか?

そう思ったのだ。


しかし、ミミナはそんなことは気にせずに、次の矢を番えながらこちらへと全力で走って来ていた。


「ロキ殿には分からないかもしれんが、そいつの耳は間違いなくコボルドのものだ!私たちには分かるのだ!」


そう言いながら、二本目の矢を放つミミナ。

俺は後ろを見ていいのか前を見ればいいのか分からずに、アワアワとキョドッてしまった。


そんな俺のことなどお構いなく、コボルドだと言われた子供は、矢が届く前に何やらブツブツと呟いている。


「……!」


するとその直後に迫ったミミナの矢が、その子の目の前で急に方向を変えて弾かれたのが分かった。

……何だ?

何も見えなかったぞ?


驚く俺に、ミミナの声が届く。


「精霊魔法だと……!?精霊使い(シャーマン)か!」


ま、魔法……!?

あれがそうなのか?

と、驚く俺の元に、ようやくミミナが辿り着いた。


「お、おいミミナ……どういうことなんだ?」


「ロキ殿。私にも詳しい所は分からないが、とりあえずそいつの耳は間違いなくコボルドのものだ。魔法も使ったことから、もしかしたら我々に化けようとしていたのかもしれない……」


「え、マジで……!?」


振り返ると、そのコボルドと呼ばれた子供は、逃げるでも向かってくるでもなく、未だオドオドとしながら、木陰に隠れてこちらの様子を伺っている。


それを見た俺は、あの子がコボルドだとは思えなかったし、例えそうだとしても、こちらに害を与えるようには見えなかった。


「ま、まあ落ち着けよミミナ。そんないきなり矢を撃たなくても……。こちらに害を与えるつもりはないのかもしれないじゃないか」


「ロキ殿、あなたはコボルドの危険性を分かっていない。奴がどういうつもりなのかは分からないが、仲間を呼ばれる前に何とかしないと……!」


鬼気迫るミミナの顔にもいまいちピンと来ない俺が、再び後ろを振り返った時、突然事態が動いた。


「今だ!皆の者、かかりたまえ!」


その声と同時に、茂みからガサガサと音を立てて、いくつもの人影が飛び出てきた。

そしてそいつらは、先日見た、あの犬頭のコボルドに間違いなかった!


「しまった!やはり伏兵がいたか……魔法か!?」


ミミナが舌打ちをするのと同時に、腰に下げていた剣鉈を抜き放つ。


狩りの時に使う用の、獲物を捌くための鉈だが、もちろん戦闘にも使える。

そして器用に鉈を持ったまま矢を番えると、現れたコボルドに向けてそのまま撃つ。


それは一匹のコボルドの肩に当たったが、致命傷とはならなかったようだ。

そのまま向かってくる。


……と、俺も実はそんな解説をしている余裕は無かった。

数匹のコボルドたちに周囲を囲まれてしまったため、逃げることもできずに慌てて持っていた鍬を構えることしかできなかった。


……もちろん、へっぴり腰だ。


「あわあわわわわ……」


口からは、鬨の声を挙げる余裕もなく、狼狽えた声しか出てこない。

無理もない、これが俺の人生の初戦闘なのだ。

一応多少修行のようなことはしていたものの、それがいきなり練習無しに多数との戦いになったのだ。


うまくやれと言う方が無茶だった。


ヤバい……どうすれば……!?


突然の状況に、頭がパニクる。

現れたコボルドたちは、正確には五匹だった。

それに加えて、子供のコボルド一匹だ。


だが、茂みから現れたコボルドたちは皆、やはり犬……柴犬の頭をしている。


一体、あの子供は何なんだろうか……?

一応コボルドたちと一緒にいることから、やはりコボルドたちの仲間なんだろうか……?


しかしそこまで考えた所で、それ以上の思考をすることはできなかった。

というのも、五匹のうち二匹が俺の方へ向かってきたからだ。


……何とかミミナが頑張って、三匹は引きつけてくれている事は分かった。

だが、五匹ともなると、さすがのミミナでも相手をするのは無理のようだった。


(ま、マズい。マズいマズいマズい……!)


頭の中は、そんな言葉ばかりが巡っている。

向こうの世界にいた頃は、駆け出し冒険者などでたまに見る『剣をぶんぶん振り回す、みっともないキャラクター』のことを笑っていたものだが、いざ実際に自分がその立場ともなると、完全に笑うことなどできなかった。


犬頭という異質な相手に囲まれ、意思も疎通できない。

手には粗末だとはいえ短剣や斧を構え、こちらを殺そうと向かってくる……!


そんな相手を前にしては、とにかくぶんぶんと手にした鍬を振り回して、近づかせないようにするのが俺には精一杯だった。


しかも情けないことに、(早くミミナが敵を倒してこっちを助けに来てくれないか……)などとすら考えていたのだ。

こちらがミミナを助けに行くことなど、微塵も考えていなかった。


だから……あんなことになったのだ。


「ロキ殿!すぐに助けに行く!もう少しだけ頑張るのだ!」


そんな俺の考えを見抜いたのか、ミミナが三匹を相手にしながら、こちらへ向けて叫んでくる。

……俺は、ぶんぶんと首を振ることしかできなかった。


だが、コボルドたちも知恵は回るのか、手強いミミナの方は遠回しに囲むだけで、積極的に飛び掛かったりはしなかった。

それよりも、与し易そうな俺の方を先になんとかしようと近づいて来ているのが分かった。


(ヤバい!……ヤバいヤバいヤバい……!)


相変わらず俺の頭の中は真っ白で、まともな思考能力はゼロだった。


「わ、わああ……っ!」と、日本にいた頃の俺が見たら大笑いしそうなみっともない声を上げて、鍬を振り回している。

だが、とにかく力任せに鍬を振っていたおかげで、コボルドたちもまだ近づいては来れないようだ。


……そんな状態にしびれを切らしたのか、突然目の前のコボルドの一匹が叫んだ。


「おい、ハグレ!援護するのだ!」


視線の先には、まだ木の影で怯えているさっきの子供がいた。


飛び出してきたコボルドたちとは違い、その子だけはずっとあの場から動いていない。

頭の上の耳は垂れ下がったまま、ひたすら俺たちの成り行きを見守っていたようだった。


が、叫んだコボルドの声を聞いた途端、その様子が変わり、ビクビクしながらもこちらに手を向けてまた何やら呟き始めた。


「……**=+ー……」


「いかん!また魔法だ!ロキ殿ッ!!!」


ミミナの叫びも時既に遅く……というか、いっぱいいっぱいだった俺には、一体何のことかピンと来ず、気付いた時にはもう遅かった。


木陰にいた子供の差し伸べた手の前に、一瞬の空間の揺らぎが起こる。

……そして、そこに猫ほどの大きさの赤い塊が現れた。


薪ストーブの炎を思わせる、オレンジの光が揺らめいた瞬間、それは生き物のような形へと変化し、(ヘビ……いや、トカゲ……?)と思ったのと同時に、俺は炎と目が合った。


そして、トカゲは俺に向かって大きく口を開く。


「《火蜥蜴の舌》(フレイムタン)……!」


子供コボルドのそんな声が聞こえたか聞こえないかのうちに、トカゲの口の中から、一条の炎が俺に向かって伸びてきたのが見えた。


「避けろッ……!」


ミミナの決死の叫びにも、俺は全く動くことができなかった。


ただ呆然と、伸びてくる赤い縄を凝視することしかできない。


(あ、うわ……っ!)


多分、この時の俺は人生でベスト3に入るほど、間抜けな面をしていただろう。


……それほど、この世界に生きている実感が無かったのだ。

どこか上の空でゲームでもしているような気になっていたのかもしれない。


そしてそのことを、真っ暗になった視界と、その直後に漂ってきた肉の焦げる匂いで思い知ることになった……。


「あ、あれ……?熱くない……?」


「……大丈夫か?ロキ?」


突然俺の前に現れたのは、ルルガだった。

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