第2話 モロコシ咥えたキツネを追いかけて
「どこだ……ここは?」
俺の目の前には、不思議な光景が広がっていた。
本来なら俺の畑の隣は、キャベツ畑だったはずだ。
だだっ広い畑に、整然と並んだキャベツが植えられており、今ならようやく第五葉辺りが展開していたはずである。
その先には、リンゴの果樹園が広がり、そこから一軒の民家を経て広大な長野のアルプスの山々が広がる景色が続いていたはずなのだ。
だが、俺の目の前に存在していたのは、まるで熱帯雨林のようなジャングルと、そこに一人佇んでいる少女だけだった。
「あれ……着いて来ちゃったのか?」
少女は俺の言葉に振り返ると、無邪気な様子でそう呟く。
少し赤みがかった長めの髪と、ジャングルにはぴったりな、露出度の高い革製の服を着ている。
そして大きな目と小さな八重歯、そして絞られたウエストに代表される、スタイルの良さが魅力的な感じの子だった。
ぽりぽりと頭を掻きながら、俺の方へと近づいてくる。
それを夢でも見ているかのように、呆然と眺める俺。
思わず口から質問がついて出る。
「誰?君は……って、は?」
突然間抜けな声を出してしまった。
だがそれも無理はない。
ビキニに近いような腰布を巻いた格好は許そう。
赤い髪と口からはみ出た八重歯が似合っているのもまあいい。
しかし……その耳はなんだ!?
少女の髪の上……いや頭の上か?には、まるで動物を思わせるような三角形の獣の耳が付いていたのだ。
ちなみに、人間ならみんなあるはずの耳の位置には、髪の毛で隠れてはいるが、何か耳らしきものがあるようには見えない。
これは一体……。
「しまった……門を閉じるの、失敗しちゃったか……」
獣の耳を持った娘は、俺の前まで来ると、あさっての方向を向きながら、にゃはは……と頭を掻いた。
失敗したと言っている割には、反省した様子は無い。
とりあえず俺は、混乱した頭を整理するためにも、娘に対して聞き返す。
「門……?」
「えーと、キミらの世界と繋がった門があってな、帰る時にそれを閉じるのが遅くなってもーて……」
君たちの世界……?
混乱した頭を整理しようとしたら、さらに頭が混乱してきた。
なんだ?
この状況は一体何が起こっている?
さっきまで俺は、普通にトウモロコシを収穫していただけなんだが……。
一応この状況が分かっていると思われる、目の前の少女へ、俺は質問を繰り返す。
「俺たちの世界?帰る……?てことは……?」
「そう。ここはうちらの世界。うちはルルガ。キミは……?」
「え?俺は……ヤマダ。ヤマダヒロキ。いや、てことはもしかして君は……?」
ルルガ、と名乗った娘に聞かれ、つい反射的に名前を答えてしまう。
だが、俺はその単語を聞き逃すことは無かった。
『うちらの世界』……?
混乱した頭が、少しずつその答えを形作り始める。
「……ゴメンな!えらいお腹減ってたから、つい……」
「やっぱり!君があのキツネだったのか……」
信じられないが、そういうことらしい。
とうとう混乱した頭の中に、一つの答えが導き出されてしまった。
目の前の活発そうな少女は、さっきまで俺が追いかけていたキツネであり、ここは彼女の住んでいる世界。
ということはやはり……異世界!?
俺は異世界農家になってしまったのか……。
なんだかそんな見当違いのことを考えながら、少しずつ現在置かれている状況を把握しようとした。
ルルガに向かって尋ねる。
「じゃ、じゃあここは日本じゃないっていうのか?……俺がいた世界とは別の世界?一体どこなんだここは?君はキツネじゃなかったっていうのか?君は一体……」
「ちょ、ちょっと待った!そんないっぺんに言われても困るな!まあ一つずつゆっくり答えるから、ちょっと落ち着いてくれ……」
興奮して矢継ぎ早にクエスチョンを繰り出していく俺を宥めるように、ルルガは両手で「どーどー」という素振りを見せる。
思わず勢いで肩を掴みそうになっていた俺は、小さく深呼吸すると気を落ち着けた。
「あのな、まずキミらの世界……ニホン、ていうのか?とはここは違う。別の世界だ。で、ここはうちらの集落の外れの辺り。うちはここからキミらの世界へちょこっとお邪魔してたんだ」
「やっぱり、日本じゃないのか……」
「そう。そんでな、うちは『門』を作ってキミらの世界へ遊びに……じゃない、ちょっと用事があって行っとったんだけど、うちがこっちに帰る時に、その門を閉じるのがうまくいかなくて、キミはそこを通ってこちらの世界へ来ちゃったんだ……多分」
辺りは一見、ただの熱帯雨林のように見える。
寒い長野は針葉樹林帯がメインだったため、一目でここはどこか違う場所なのだと分かった。
後ろを振り返っても、俺のトウモロコシ畑はもう無く、そこにも同じように熱帯雨林が続くだけだ。
そう考えてみると、目の前の娘さえ居なければ、異世界だと言われても気付かなかっただろう。
そしてもし、この子が実はコスプレイヤーだったりしたとしたら……?
そんな想像を少し巡らせ、僅かな望みに賭けてみたい気持ちも生まれていた。
「ま、マジですか……」
「そうだ。で、うちはそっちの世界へ行った時は、一番似ている種族に姿が変換されるらしいから、その……キツネ?に見えてたってわけだな、多分」
「そ、そうだったのか……」
「そうだ、多分」
当たり前のようにそう説明するルルガ。
その答えに淀み無く、残念ながら説得力は大いにある。
……いや、頼むからメンヘラさんの思い込みであってくれ……!
心の中ではそう願いながらも、もう少し色々と聞いてみる。
もし作り話であるなら、どこかに綻びが出てくるはずだ。
「……で、その『門』は?俺はどうやったら帰れるんだ?」
「うーん、それがな……分からんのだ。うちが行って帰ってきたら、門は閉じる。で、門が開くのはいつも朔の時だけらしいのだ。もう門が閉まっちゃったみたいなんで、次に開けるのは多分……次の葉が落ちる季節か、雨が降る季節が来てからかな?」
「げげっ!」
その言葉を聞き、俺は持っている知識を総動員した。
周りの植生から判断すると、ここは熱帯地域のはずだ。
ということは、太陽の紫外線から守るためにクチクラ層を発達させた照葉樹林が中心となる。
てことは落葉樹ではないので、日本で言う『秋』は無いはずだ。
しかしそれでも葉が落ちるというのは、冬に近い季節はあるのかもしれない。
もしくは新たに葉が生え変わる春のことか、雨が降る季節……ってのはスコールのようなことだろう。
雨季があると考えるのが妥当だ。
以前訪れた東南アジアにおける雨季は、確か五月頃からだったはず。
で、今……っていうか空間だけが移動して、時間軸は変わってないのだとすると、今は八月。
次の春か雨季ってことは……ざっと半年以上か!?
「お、おお……神よ……」
俺はガックリと膝を着き、全く信じてなどいない神に呪いの言葉を吐いた。
……大体待てよ、異世界召喚なんて、ほとんど何か偉い人たちが集まる宮殿とかに呼ばれて、高貴な姫様が「あなたは選ばれし勇者なんです!」とか言って、そんでもって何故かチートな強さで惚れられてキャッキャウフフの展開に……。
「ヤマダ。どうしたヤマダヒロキ?」
思わず現実逃避し始めた俺に、ルルガは心配そうに声を掛けてくる。
この野性味溢れる展開に、ついつい絶望しかけてしまったが、心を折るのはまだ早い。
……もしかしたら、この先に黄金宮殿が待っていて、エスニック美女たちが俺を大歓迎でもてなしてくれるのかもしれない。
まだだ、まだ諦めるには早いぞヤマダヒロキ……!
「ああいや、何でもない。ちょっと疲れただけだ……」
「そか?疲れてるならうちの集落へ来い。おいしい実を貰ったお礼に、何かごちそうしよう」
「……そうさせてもらうかな」
良し!
……全然ご馳走したつもりはないが、勝手に君が食べてただけだが、この際それは水に流そう。
だからせめて、まともな生活ができる所であってくれますように!
……辺りからは何だか分からない生き物の鳴き声が聞こえてくる中、俺はルルガに連れられて彼女の集落へと向かうのであった……。
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