シェアハウス鶉の巣からは本日も美味しそうな匂いがしてきます。

野村絽麻子(旧:ロマネス子)

第1話 鶉山さんのパッチワークピザ

 花曇り、というのがたぶん今朝のような空模様を指すのだろう。開いたカーテンからぼんやりとした明かりが漏れ、それからですら兄は逃げるように羽毛布団の隙間へと潜り込む。昨晩は遅かったようだからそれもまた仕方なし。そう結論づけて、なるべく音を立てないように、部屋をするりと抜け出した。


 回廊状に廻らされた廊下は、真ん中の中洲のような空間をぐるりと周回していて、中洲の南側にダイニングが、北側にはキッチンがある。さらに階段を上がると屋上に通じていて、今朝のような天気の日でも、臆することなく洗濯物が盛大に干されている。

 中洲から西と東にそれぞれ三部屋ずつ配置されたシェアハウスの、西側は男性の居室、東側は女性の居室と言われたものの、東側の居室のひとつに住んでいる「光希さん」はいわゆるオネェさんなのでその境も曖昧だ。北東の部屋にオーナーの鶉山さんが住んでいて、彼女がこの「シェアハウス鶉の巣」の全ての基準であるらしい。


 鶉山さんはよくキッチンに出没する。コーヒーの匂いがする時、たいてい彼女はそこにいる。

 ダイニングから続く珠暖簾を右手で避けながら顔を覗かせると、定位置に腰掛けた彼女が、手元の布地からチラと目線を外してこちらを見て「おはよう」と声を出した。テーブルの一角を占拠しているのは小さなハギレ。それを縫い合わせて作るパッチワークは彼女の趣味らしく、よくこんな風景を見かける。とても短い髪は薄化粧と相まってほとんど少年のように見えることがある。

「おはようございます」

 応えて棚からマグを出し、コーヒーメーカーに残っていた分を注ぐ。冷蔵庫の牛乳を少し貰って冷たいままコーヒーに足す。

「穂高くんは?」

「まだ寝てます、昨日遅かったみたいで」

 鶉山さんは、そうかぁ〜とうなり声をあげながら腕をぐっと伸ばした。まるで猫の伸びみたいだ。そう思ったのを知ってか知らずか、彼女の瞳がそれこそ猫みたいにパチリと瞬いた。ここに来てひと月と数日。覚えたことはいくつかある。これはそのうちのひとつ。鶉山さんのこの表情は、なにかを企んでいる時の顔だ。

「そしたら湊くん、ちょっと付き合って貰おうかな」

 鶉山さんの「要請」には応じなければならない、というのは兄からの教え。

「はい、もちろん」

 でも鶉山さんの「要請」はまったく嫌いではないことも、このひと月と数日で気がついたことだった。


 大きなボウルにはラップがかかっていて、その中にはボウルいっぱいの白っぽい丸い塊が、どこか眠たげに鎮座していた。それを、底から引き剥がすようにして取り出す。先に粉を敷いておいたテーブルの上に置いて、両手でゆっくりと潰していく。

「こうしてね、生地に含まれている空気を抜くの」

 手際よく生地を潰しては丸めて形を整えて、それを四等分にする。小さく分けられた生地をまた丸めて、伸ばして。

「これ、何になると思う?」

「えーと……パン、ですか?」

惜しい! 楽しそうに顔を顰めて見せてから、今度は麺棒で生地を薄く丸く伸ばしていけば、なんとなく想像がついてきた。それで単語を発するほんの一瞬前に肩越しに声が飛んでくるものだから、本当にここの住人は自由だと思う。

「夕凪さんのピザだ!」

 声の主は弾んだ足取りで駆け寄る。追いかけるように珠暖簾がじゃらじゃらと鳴り、まるで効果音だ。

 騒がしく登場した北別府さんは、小脇に抱えたウクレレを今にもかき鳴らしそうに構える。この人はだいたい何かしらの楽器を持っていて、最初の頃、不思議に思って尋ねると「音楽家として当然のこと」だと言った。兄に訊いても「北別府さんは音楽家だよ」と嘘とも本当ともつかない顔で言うばかりで、真相はまだ分からない。

「何系が良い?」

「うーん、今日は……スパイス系!」

「なるほど。じゃあ……」

 リクエストを聞いた鶉山さんが右斜め上を見た。そこになにがある訳でもないけれど、つられてそちらを見る。

「湊くん」

「はい!」

急に名前を呼ばれて少し驚いたせいで、なんだか良いお返事になってしまった。

「冷凍庫から『タンドリーチキン』って書いてあるの出して、流水解凍してくれる?」

にこりと笑う鶉山さんの耳たぶで小さなピアスが光るのを目に留めてしまい、何かが胸の内側を撫でたような、妙な手触りを感じた。それから目を逸らしつつ、冷凍庫の扉に手をかけた。


 順繰りに現れる住民たちに鶉山さんがリクエストを聞いて、キッチンにいるメンバーに指示が与えられ、その都度、誰かが何かを用意しては鶉山さんに差し出していく。タンドリーチキン、セミドライトマト、モッツァレラチーズ、アンチョビ、海老ときのこ、ツナマヨコーン、レタスと生ハム。トマトソース、ダブルチーズ、ガーリックソース、バジルペースト。

 最後にリクエストを聞かれたので、これ以上は何も思いつかないながらも頭を捻りに捻って「甘い系」と絞り出した。鶉山さんは「ナイスチョイス!」と軽く請け負って冷蔵庫や戸棚から、ハーシーのチョコソースやマシュマロやチェリーの缶詰を取り出していく。

 大きく丸く広げられた四枚のピザ生地に、バランスよく具材を並べていく。ハーフ&ハーフで合計八種類のパターンを作り、並べ終えた側からオーブンに生地を放り込んで、待つこと数分。ほどなくして、たまらなく美味しそうな匂いがシェアハウスを充していく。


 屋上テラスにはいつの間にか簡易テーブルとピクニック用のイスが並べられ、テーブルクロス替わりの大きくてカラフルな布は、きっと光希さんのものだろう。

 誰かの持ってきた花瓶には花が生けられ、ピザの他にも様々なお惣菜が盛られた皿が所狭しと並び、取り皿を配りながら今日は誰かの誕生日なのかな?と首を傾げる。

 最後のピザを焼き上げた鶉山さんがテラスに現れて、泡が揺らめくグラスを手に取った。北別府さんがチャラチャラチャとちいさくウクレレを爪弾いて、ふたりが何かの目配せをする。何が、始まるのだろう。思わず兄を見れば、完全に悪戯の時の表情を浮かべている。

 鶉山さんが笑いを堪えきれないように息を漏らして、それから、グラスを掲げる。

「湊くん!」

「はっ、はいっ!」

「シェアハウス鶉の巣へ、ようこそ!!」

 乾杯〜!と、なだれ込むように皆がグラスを合わせて、そこかしこに光のプリズムが弾けた。ピザを頬張る横顔の向こうから鶉山さんがこちらを伺う。

「してなかったでしょう、歓迎会」

「歓迎会……」

「そう。今日は『鶉の巣風・シェアピザ』だよ」

「シェア、ピザ」

 言われてみれば、それは確かに、まるでこのシェアハウス鶉の巣にそっくりだった。様々な個性がピザ生地に同居して、不思議な調和を作っている。スパイス系も海鮮系も、サラダ系もスイーツ系も、どれもとても美味しそうだ。とろりと溶けたチーズも、クツクツ煮えたトマトソースも、みんな等しく輝くように見える。そう、まるでパッチワークのようなピザ。

年齢不詳のオーナーこと鶉山さんも、正体不明の音楽家こと北別府さんも、キラキラしたオネェさんの光希さんも、いつも謎のお茶を飲んでる無口な丸岡さんも、鶉の巣のDIY番長こと白洲さんも、そして兄こと森高穂高も。誰ひとりとして共通点が無さそうなのに、皆がそれぞれを否定することなく、この鶉の巣を正しくシェアしているのだ。

「あ!ちょっとそれ反則!」

「いいじゃないのよ!どこで切って食べようが、お堅いこと言いっこなしよ〜!」

「チーズ系とスイーツ系の境目なんて美味しいに決まってるでしょ? 味見させなさいよ!」

 ……前言撤回。「正しく」ではないかも知れない。でも、少なくとも「楽しく」シェアしてるところは、まぁ、ほら、きっと、このシェアピザとなかなか似てると思う。

 花曇りの空はこんなランチパーティーにちょうど良いのかも知れない。暑すぎず、寒すぎず、ぬるま湯のように心地良いテラスの中でそんな事を思えば、向かいでピザを頬張った鶉山さんと視線がかち合い、バチリとウインクが飛ばされたのであった。

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