お口に合いましたか?

羽馬タケル



料理を始めてみた。



……いや、正確に言えば、始めざるを得なかった。


理不尽とも言える交通事故で妻に先立たれ、幼い一人娘と二人きりとなった結果、俺は「父親」として家の為に働くのと同時に「母親」として日々の暮らしを支えていく事も余儀なくされた。



死んだ妻の見よう見まねで始めた家事は、最初は失敗の連続だった。


洗濯と掃除は、まだ過去の記憶と会社の後輩からのアドバイスで何とかなったが、料理だけはしばらく苦戦が続いた。


「少々」と「小さじ」の区別がつかなかった結果、高血圧を引き起こすような味付けになったり、鶏肉に牛脂を用いたりなど感性のみで作った俺の「手料理」は、当時小学生だった娘の顔を何度もしかめ面にさせたモノだ。



このままではいけない、と考えを改めた俺は、本格的なレシピ本を読み込んだりテレビで料理番組を繰り返し見る事で、少しずつ料理を覚えていった。



YouTubeも、参考にした。


とある料理研究家が、ハイボールをあおりながら作る動画を見た時、初心者の俺でもさすがに不安を覚えたモノだが、酔っていながらも確固たる理論に基づいて生み出されるレシピは本物であり、そのレシピには大いに助けられた。



結果、俺は少しずつではあるが、自分と娘の二人を満足させる事の出来る料理を作れるようになってきた。


得意料理も増えた。


「簡単なモノでいいか?」と言って、パスタや煮込み料理を作るのもお手のものとなってきた。



が、まだまだ試行錯誤の連続であり、調理を終えると俺は「口に合ったか?」と、その出来を娘に尋ねるのがもはや日課となっていた。



「お父さん、今日は何作るの?」


「豚バラ大根」



本格的に料理を始めて、数年。


砂糖と塩で味付けをした冷凍大根を使い、醤油と酒とみりんで味付けした「豚バラ大根」は、俺の最も得意とする料理となり、この頃になると高校生となった娘も、俺の手料理をどこか心待ちにしている雰囲気を醸し出していた。



さらに数年が経った。


短大を卒業して就職をした娘はある日、一人の青年を連れてきた。



「前に言ってた、付き合ってる彼氏」


「柴田直人です」


この「直人」という青年は、今、真剣に娘さんと交際をしており、いずれは結婚をさせて下さいと俺に切り出した。



若い二人の勢い混じりの決断に、俺は「父親」と「年長者」という立場から一度は難色をしめしたが、直人という青年の娘に対する愛が本物だと分かると、


「これまでは俺が雪絵の人生を支えてきたが、これからは君が雪絵の人生を支えてくれ」


と告げ、二人の結婚を了承した。



娘が結婚して家を出ていくと、俺は一人となった。


残されたモノといえば、愛していた妻との思い出と、娘と二人で過ごした悪戦苦闘の日々の思い出くらいだ。


しかし、それらの思い出は、窓ガラスから差し込んでくる3月の陽光みたく、一人となった俺の日常をじんわりと温めてくれた。



さらに数年が経ち、定年退職後に一人マンションの1LDKで暮らしていた時だ。



俺を、悲劇が襲った。


これまでの無理と、退職をした事で張りつめていたモノが切れたからなのか、買い物先のスーパーで脳内出血を引き起こした俺は半身不随となり、一人で日常生活を送る事が出来なくなった。



俺は施設介護を望んだが、それに反対したのが既に結婚をしていた娘であった。


娘は俺を在宅介護すると強く主張し、周囲の反対を押しきると、寝たきりの俺を笑顔で自宅に招いてくれた。



「なぁ、在宅介護とか大変なのが分かってるのに、何でそんな無理をして俺をココに招き入れてくれたんだ?」


セッティングされたベッドに寝かされると、俺は疲労感を漂わせている娘に向かって、それとなく訊いてみた。



「だって、お父さんもアタシが小さい時、一人でアタシを育ててくれたじゃん」


娘は屈託の無い笑顔を浮かばせると、続けて言った。



「で、お父さんさぁ。

よく、アタシに訊いてきてたよね。


『今日のご飯、口に合ったか』って。


正直言うとさ、あの時は面倒くさいな、って思って適当に答えてたんだけど、結婚して旦那にご飯を作り始めたらお父さんのあの時の気持ちが何となく分かってきたんだよね。


あっ、料理を始めたばっかりの時って、こんな自信無くて緊張するんだな、って」



数十年の時を経て聞かされた娘の告白に、俺はただただ閉口するしかなかった。



「だから、今度はアタシの番だよ。

今度は、アタシがお父さんの面倒を見るの。


介護食で美味しいのって難しいかもしれないけど、もしまずかったらあの時のアタシみたいに遠慮なく言ってね。


あの時のお父さんみたいに、アタシも介護食を美味しく作れるよう必死で頑張るから」



夕食の時間となった。


俺が食事をするテーブルの上には、かつて俺自身が得意料理としていた「豚バラ大根」が載っていた。



「口に合った?」


小さく切られた大根と豚肉を俺の口に放り込むと、娘がおそるおそる尋ねてくる。



俺は目尻から一筋の涙をこぼすと、「……美味しい」と麻痺によるたどたどしい口調で答えた。

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