88年分の円環装本

霧ヶ原 悠

88年分の円環装本


 昔々というほども遠くなく、昨日というほどにも近くなく。


 あるところに、元気と笑顔と夢がいっぱいの幼い女の子がいました。



 7歳になる前の日の夜、彼女はとても不思議な夢を見ました。


 夜空にたっくさんの本が浮かんでいる夢です。


 難しい字はまだ読めない少女でしたが、目の前にある本のタイトルが自分の名前であることは分かりました。


 いつも寝る前にお母さんに読み聞かせしてもらっている絵本ぐらいの厚さしかないそれをパラパラとめくってみました。


 でも書いてあることの半分も読めなくて、不貞腐れた女の子はたまたま持っていた工作用ののりで表紙と裏表紙をくっつけてしまいました。


 翌朝、目を覚ました女の子は夢でしたイタズラのことなど、すっかり忘れてしまっていました。



 それから、特に語るほどのもののない、平々凡々な人生を送った女の子は、88歳の誕生日を迎えてすぐに息を引き取りました。


 そして気がつくと、生まれた時に戻っていたのでした。



 混乱したまま数年を過ごし、7歳になる前の日の夜、彼女はとても不思議な夢を見ました。


 夜空にたっくさんの本が浮かんでいる夢です。


 目の前にあるのは、表紙と背表紙がくっついて円環になった本でした。


 「そうか! これは私の人生を記した本なのね。そして、時間が巻き戻ったのではなく、終わりまで来たから最初に戻ったのね!」


 「正解! まさかまさか、あの時のイタズラがこんなことになるなんて、驚きだろう!」


 突然、誰かがパチパチパチと手を叩く音がしました。


 「だあれ?」


 「なに、ただの通りすがりだよ」


 まぶかにかぶったハンチング帽のせいで表情は分かりませんが、身なりからおそらく若い男性でしょう。


 「自業自得とはいえ、一度終わった人生をもう一度繰り返さなきゃいけないなんて、キミには同情するよ。さあ、ここにちょうどいいナイフがある。これで表紙と裏表紙をもう一度分けてやるといい」


 女の子はちょっと考えて、首を振りました。


 「いいえ、いらないわ。代わりに、紙とペンをもらえないかしら」


 「なぜ?」


 「付け足すのよ。これが私の人生を記した本だというなら、ここに新しいページを足せば、その通りになるってことでしょう?」


 女の子は思い出したのです。


 「私、小さい頃は将来いろんなものになりたかったの。ケーキ屋さんとか、お花屋さんとか、お姫様とか、女優さんとか、ペット屋さんとか。なのに、どれにもなれずに普通の人生を送ってしまったわ。だからやり直すの。まずはお花屋さんから」


 「まずは? まるでその次があるような言い方だな」


 「ええ、あるのよ。お花屋さんの人生が終わったら、この表紙を分けない限り、また最初に戻ってくるでしょう? だからその次はケーキ屋さんをやるの」


 男性は大笑いしました。


 「正気かい、キミ! そんなとんでもないことを言い出したのは、キミが初めてだ!」


 そして、懐から美しい紙と万年筆を取り出して女の子に渡しました。


 「いいだろう。せいぜいキミがいい人生を送り続けられることを祈ってやろうじゃないか!」


 「大丈夫よ。こんなことができる私って、きっと運がいいから」



 今も世界のどこかで、彼女は内容の違う88年の人生を繰り返しているのかもしれません。



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88年分の円環装本 霧ヶ原 悠 @haruka-k

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