言葉に出来るものと出来ないものについて、考えました。巡る想いと移り変わる景色。すれ違う会話と、その奥で零れ落ちていくもの。感情は廃墟ではない……。
ひとつひとつの言葉が、冴えわたるようです。koumoto様の作品の読後感は言葉にするのが本当に難しいのですが、この文字数でこんなに胸に響く作品を描き出されるのって、感嘆してしまいます。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
寂漠とした心象のようなものを描こうとしましたが、あまりに短く断片的なので、伝わらないかなと、書き終えた後に反省しました。ですが、このようなコメントをいただけてたいへん嬉しいです。
自分自身が衰弱しているような気持ちのときに書いた作品なので、拙くても、少しでも伝わるものがあれば幸いです。
編集済
拝読しました。
何度も読み直して、一つ一つの言葉の意味を理解しようと努めました。
作品全体の雰囲気は、良いと思いました。
他者から押し付けられる哀愁、世界に置いて行かれるような寂寥感、その中にあっても高潔であろうと抗う力強い意志のようなものも感じ取れます。
ただ、この作品から、八十八歳の老人を思い浮かべることは、少し難しかったです。
読者である自分自身が「老いる」という経験をまだしていないことに大きな原因があることは重々承知していますが、近しい年齢の身近な存在に重ね合わせて見ても、どこかイメージしづらい部分がありました。
他者や世界に対する対比として、老人の輪郭が少しぼんやりしているような。
一人の老人ではなく、「老い」として見た場合は、その不鮮明な輪郭がかえって対比の対象としては素晴らしく秀でているのかもしれませんが、タイトルが「八十八歳」とある以上、一人の老人に焦点を置いてしまいがちになるのではないかと思います。
あとこれは単純に、八十八歳にしては若い、と思ってしまいした。
昨今の高齢者はパワフルなのでこれがリアリティのある八十八歳なのかもしれませんが、作品を構成する一つの要素として「老い」があるのであれば、もう少しその辺りの描写があってもいいのかなとも思いました(すいません、これは書いていて読者の我儘だなと思ってます)
作中でなにげなく、二度使われている「流れていく」という言葉。これがとても印象深く残りました。もしかしたら、一番目を向けるべき部分はそこなのかもしれませんが、浅学な自分の力ではこの辺りが限界です。
以前、koumotoさんの「線の見えない子ども」を読ませて頂いたことがあります。
あの作品は、読んだ人間全てに強烈な印象を残すカクヨムでも随一の作品だと思っています。あの作品の印象を引きずったまま(めちゃくちゃハードルが上ったまま)、今回この「八十八歳」を読んでいるということを、ご理解頂けると幸いです。
改めて、koumotoさんの作品に深く触れることができ、とても勉強になりました。
この度は企画へのご参加、ありがとうございました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。こんなに真剣に読み取ってもらえて、こんなに丁寧な感想をもらえたら、作者冥利に尽きます。
おっしゃられるとおり、輪郭が不鮮明な、溶けていくような感覚を描きたいと思いました。老いの描写としては、あまり説得力がないというのは、言われるとおりだと思います。作者の力不足ですね。ただ一方で、あまりにそれっぽい、「老人らしい老人」の内面描写にしたくない、それだけは回避したい、とも考えていました。自分が幼稚だからか、年を重ねても内面が軽いままなので(若々しいという意味ではなく、あまりにも軽薄で投げやりという意味で)、外面と内面の乖離に戸惑っている老人も多いのではないかと、勝手に想像しています。それと、肝心なことには向き合わず、考えず、言葉にすることもなく、大切な問題を迂回するように、目の前の風景だけを断片的に認識する、というような感覚。流れていく、という言葉は、そんな感覚を表出したいと思って書きました。
「線の見えない子ども」について、そのような賛辞をいただけてとても嬉しいです。作者はまだまだ精進が足りないので、忌憚のない意見、とても励みになります。
あらためて、丁寧な読解と感想を、ありがとうございました。感謝です。