人を飼う

キングスマン

人を飼う


 200歳になると、エルフは人を飼う。

 人の里から生まれたばかりの赤ん坊を一人、授かるのだ。

 

 一年目。

 人の赤ん坊は犬猫のそれと同じく、幼く、脆く、庇護欲を刺激する。

 エルフはせっせとそれの世話を焼く。

 さっきまで理由もなく笑顔だったかと思いきや、次の瞬間は理由もわからず泣きわめき散らす。

 あたふたしながら、てんやわんやに振る舞うその小さな存在に振り回されるものの、ぐっすり眠るその顔を見ていると、不思議と癒やされる。


 五年目。

 人が他の動物と大きく異なる点は、外見が自分たちと近いこと、そして言語によるコミュニケーションが可能なこと。

 とはいえ、人は魔力を持たないので、魔法は使えないし、通じない。

 だからエルフは人に熱心に言葉や知識を教えるのだ。

 よりわかりあいたいからに、ほかならない。


 十五年目。

 このころになると人は、まるで二百年生きたエルフのような体つきに成長する。

 このころの人は育ての親であるエルフを家族ではなく、友のように接しはじめる。

 エルフもそれを快く受け入れ、エルフと人は、まるで同じだけの時間を共に過ごしてきたかのように、親睦を深めていくのだ。


 三十年目。

 三十年以上生きると人の外観は、第三成長段階を迎えたエルフのそれに近くなる。

 エルフは六千年を要するというのに、人はたったの三十年。

 この時期になると人は、育ての親であるはずのエルフを、まるで我が子のように扱いはじめる。

 それを不快に思うエルフはあまりいない。

 我が子が大人ごっこをはじめた、くらいの感覚しかないのだ。


 四十年目から五十年目。

 この時期、人に恋をするエルフが急増する。

 四十年から五十年生きている人間特有の何かが幼いエルフの色欲を刺激しているようなのだが、その正体は未だに解明されていない。

 その年代の人間から発する匂いだというものもいれば、見た目だというものもいる。

 これは幼いエルフに限らず、一万歳のエルフも、五十年前後生きているの人間に唐突な恋心を抱くことが多いため、これまで何とも思っていなかったものが急に愛おしく感じられることを意味する慣用句として『五十歳の人間』という言葉まである。


 六十年目。

 人の見てくれは、まるで十万年も生きたエルフのように豹変しはじめる。


 八十年目。

 明らかな食欲、運動機能の低下。

 否が応にも受け入れざるを得ない生物としての老い。

 ほんの数十年前までは一緒に走り回っていたはずなのに、あっという間にこんなに弱々しくなってしまった。

 大声で名前を呼ばなければ反応しない。

 困った。

 あまり動かなくなってしまった。

 困った。

 病気でもないのに、生命の炎が小さく小さくなっていく。

 いやだ。

 エルフは人をぎゅっと抱きしめて、ずっとずっと治癒魔法と蘇生魔法を放ちつづける。

 人に魔力はないので魔法の効果はない。

 わかっている。

 けれど、最後の最後まで、それを決してやめようとしない。

 そして、最期。

 エルフはそっと人の額にくちづけをして、二人だけのお別れをするのだ。


 幼いエルフは大切なことの多くを人から学ぶ。


 500歳を迎える日、エルフは自分の名前を自分で決める。

 多くのエルフは、人との思い出に由来した名前をつける。

 このエルフもそうだった。

 人と過ごした、たった88年の日々を忘れぬよう。

 人の世界の言葉で、己を名乗ろう。


 そのエルフの名は88ヤーヤ

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