ようこそ、警視庁刑事部特殊能力隊「真名課」へ!
山下若菜
第1話 倉本と稲葉
子供の頃から勉強ができ近所では神童と持て
人が聞けば慄くような大学に入り、親に頭を下げて警察学校に行き、警察署地域課の交番勤務から警邏係になり、留置管理課を経てようやく刑事課捜査一係になり五年の警務の末、夢にまで見た「警察本部刑事部捜査一課」へと配属となった。
自身の努力はもちろんのことだが、本当に運に恵まれなければこうも上手く望む部署に配属されることはない。
倉本は人生の運を全て使い切ってしまったのではないかと思うような僥倖に震えながらも、深呼吸で心を落ち着かせ、捜査一課の門を叩いた。
そこで倉本はまた自分の幸運に震えた。
倉本と相棒を組むことになった刑事は捜査一課なら誰もが知る大ベテラン警部、
数多の事件を解決に導いてきた「捜査一課に稲葉あり」と言われる伝説の警部と相棒になるとは夢にも思っていなかった。
身に余る光栄に倉本の心はどこか遠くへ飛んでいってしまいそうだった。だが浮き足立つような態度では叱られると思い、奥歯を噛んで挨拶をした。
そんな倉本に稲葉は笑った。「まぁそんなにきばりんしゃんな」と声をかけてくれた。
国訛りで話す稲葉がなんと言ったかわからず倉本は眉根を寄せたが、その心情を察した同僚が「まぁ、そんなに気を張らなくていい、お前の思うようにやれって言ったよ」と書かれたメモ紙をそっと渡してくれた。
それから倉本は稲葉に連れられるようにしていくつかの事件の捜査に参加した。
人に優しく事件に鋭い眼差しを持つ稲葉は、倉本に素早く的確な指示を出した。捜査一課に回ってくる事件は凄惨なものも多いが、稲葉と働くことは倉本にとって充実感のある幸せな日々と言ってよかった。
だが、倉本が稲葉の国訛りを完全に理解した頃、事件は起きた。
歳を重ねた稲葉は、間も無く捜査一課を引退する。
そんな噂がまことしやかに囁かれていた。
確かに稲葉は孫が六人いる。言葉を選ばずに言えばお爺ちゃんだ。日々激務である捜査一課を離れることは稲葉にとっても良い選択であるように思えた。
倉本は焦っていた。
稲葉がいなくなってしまうことを思うと、堪えようのない悲しさと寂しさが湧いたし、もしも本当にもう少しで稲葉との相棒関係が終わってしまうのなら、稲葉が最後に育てた自分がどれほど刑事として有能になったのかを見てもらいたかった。
そんな時、所轄から緊急要請が入った。
人が、ミイラのようになって死んでいる、と。
倉本と稲葉はすぐに現場に向かった。
新宿は歌舞伎町の奥まったところにある雑居ビル。
コンクリート打ちっぱなしの外観は昼間見ればお洒落と言えないこともなかったかもしれないが、深夜二時、煌々ときらめく歌舞伎町のネオンに取り残されたように佇む電気の消えた四階建てのビルは、まるで廃墟のような様相を呈していた。
110番通報があったのは今から一時間ほど前になる。
このビルの地下から這いずるように出てきた男が、通行人のある道端で、まるでミイラのようになって死んだというのだ。
辺りは一時騒然となり、たくさんの警察官が警備についた。有毒なガスなどの可能性もあり、機動隊の要請もなされた。
だが調査の結果有毒ガスの発生は認められなかったため、倉本と稲葉は機動隊と共にミイラ男の上がってきたビルの地下へと降りることとなった。
コンクリート打ちっぱなしのビルにはエレベーターもあったが、玄関ポーチから地下に降りる階段もあり、目撃証言によるとミイラ男はこの階段から上がってきたらしい。
倉本と稲葉は機動隊と共にゆっくりと地下に続く階段を降りていった。
そこで倉本は自分の目を疑った。
眼前には火事現場のように真っ黒に煤けた廊下と、そこに転がる幾つものミイラ。
階段下に無造作に転がるミイラたちは、どうやら廊下の奥側から地上に逃げようとしていたらしく、地上からやってきた倉本たちに手を伸ばすような形で固まっていた。
倉本は稲葉に視線を送った。稲葉は小さく顎を引くと廊下の奥へと視線を投げた。防護盾を構える機動隊の後ろにつき、細心の注意を払いながら廊下の奥へと進む。進んだ先にもいくつもミイラは転がっていた。奥へと進めば進むほど、現れるミイラは黒焦げになっていた。
「こりゃあいかん…」
黒焦げのミイラに稲葉がつぶやいた。
「倉本」
「はい」
稲葉の眉間には深く皺が刻み込まれていた。
「こりゃうちらじゃどうにもならん。マナカば呼んでこい」
「真名課…」
稲葉の言葉を聞いた倉本の心に、墨を一滴垂らしたような黒い影が落ちた。
「
「ああそうたい」
廊下の奥へと強い眼差しを向ける稲葉に、倉本は首を横に振った。
「あんな課、年中ぼーっとしてるやつとかチャラチャラしてるヤツとかしかいないじゃないですか。あんな奴らに応援を頼むなんて正気ですか?」
「倉本」
「やれますよ、僕が行きます。真名課の応援なんて必要ない」
「倉本、違うったい。もしも俺の勘が当たっとたらこの事件は普通の人間には手に負えん」
「普通の人間?」
倉本の心に落ちた影は滲むようにじわりと拡がった。
「僕はこれまで刑事として、どんな人にも胸を張れるよう努力してきました。そして今は最高の刑事である稲葉さんの相棒です。僕が行きます!」
「倉本!」
稲葉の静止も聞かず、倉本は廊下の奥へと進んだ。
その時、ウオオオオオオ…という地響きのような
耳をつん裂くようなその咆哮に稲葉は体勢を崩し、唇を噛んだ。
「やはり「権化」か…倉本、戻れ」
そう言って稲葉は体勢を立て直すと、倉本を見た。
「…倉本」
稲葉の目に倉本の姿が映った。
廊下の奥に拡がる深淵の闇から現れた、無数の牙を持つ黒い鮫。
その鮫の開かれた大顎に、今にも噛み砕かれ飲み込まれんとする倉本の姿が。
「倉本走れ!」
稲葉はそう叫んだが、遅かった。
稲葉の目の前で、倉本は鮫の牙にかかり、あっという間に飲み込まれた。
「くそっ…倉本!」
稲葉は苦虫を噛み潰した顔で周囲を見渡した。
黒い鮫は腹に収めた倉本の味を愉しんでいるように見えた。辺りの機動隊員たちはあまりに思考外の出来事に、考えることを放棄しているようだった。
「全員退避!!!」
腹の底へと響くような稲葉の声に、機動隊員たちはハッと我に返った。
「アレからは逃げるしかなか!とにかく全員全力退避!!!」
稲葉の指示に、機動隊員たちは防護盾を構えながら下がり始めた。
「そんなことしとる暇なかったい、アレに防護盾なんか無意味やけん!」
その声が飛んだかと思うと同時に、鮫がギョロリとした灰色の目を剥き出しにして口を開けた。糸のような粘液が鈍く光る。口を擡げた鮫は何かを探すようにギョロギョロと瞳を動かしていた。
「とにかく走れ!」
稲葉の声に機動隊員たちは防護盾を捨て置き、出口へと向かい走った。
「そしてから、誰でもよかけん!真名課に連絡!」
走る機動隊員の背中に稲葉の大声が響いた。
「大至急、真名課の奴らば連れてこい!」
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