米寿のお祝いに駆け寄る曾孫を――刀匠の弟子はヤンデレ娘に恋をするか?

虎山八狐

寿観29年7月14日金曜日

 裏鍛うらか針依はりえは美しい女だ。

 彼女の人生は怖ろしいまでに美しいのだ。小学生の時、裏鍛鍛冶屋の刀を長年買ってきた桜刃組の元構成員の息子である鹿村かむら大和やまとの左目を穿って婚約せざるを得ないようにした。そして、良妻賢母となる為に女子大学に行って栄養士の資格を取っている。いずれ裏鍛鍛冶屋を継ぐ婿をとる身として真っ直ぐに突き進んできたのだ。

 美しい。

 自身の機能を自覚し、特化したものは美しい。

 裏鍛直正なおまさが打った刀もそうだった。初めて美術館で見た時に、他の刀と違って明確に「殺傷する」ことを思わせられて魂が震えた。弟子入りして、直正がつくる刀は桜刃組等のヤクザの手に渡って実際に殺傷していると聞いて酷く納得した。

 私もこれらと同じく美しく生きようと願ってやまなかった。


 今日の仕事終わり、直正の鍛冶場に大和がふらりとやってきた。彼は裏鍛鍛冶屋で働いているが、此処に単独で来ることは初めてだった。彼はいつも通り柔軟に対応する笑みを浮かべて、師匠と兄弟子の玉雄と私を夕食に誘った。彼は自身の家で無駄に豪華な料理を振舞った。師匠と兄弟子はいつの間にやら多量の酒を飲まされ、普段は重い口もよく動くようになっていた。酒が飲めない私には好物のドクターペッパーが用意されていた。大和は麦茶を飲んで巧みに話し、師匠と兄弟子との心理的距離を一気に縮めていた。流石針依が見込んだ男だと感心していると、師匠は唐突に真っ赤な顔できっと大和を睨みつけた。

「本題は何や。自分の父母を厄介払いして儂ら三人だけに何をする気だ」

 大和は一度俯いてから、私を見据えた。彼は私とは正反対の男だ。コミュニケーション能力が高いうえ、男から見ても女にもてて納得の清潔感がある。気まずく、よく冷えたグラスを両手で握り直して俯けば、春風のようなテノールが耳朶を擽った。

「今から話すことは秘密にしてください。まだ針依にしか話していないことです。……私は桜刃組に入ります。だから、針依を眞上まがみ誠也せいやさんに頼みたいのです」

 衝撃の一言に私達三人は返事ができなかった。大和は動揺せずに言葉を発した。

「裏鍛鍛冶屋は現在派閥が二つありますね。刀匠と鍛冶職人。鍛冶職人は包丁等の主力の商品を多くつくり経済的に大きく裏鍛鍛冶屋を支えています。一方、貴方達刀匠は刀等ヤクザの武器くらいしか作っていません。それ故に、経営者の刀太郎さんは刀匠を軽く見ていますよね」

 ああと兄弟子は返事し、ぐい飲みをテーブルに叩きつける。

「年々刀匠が使える金を少なくしておる。儂らの仕事は裏鍛の地盤たるもの。しかし、広告塔に儂らを使うぐらいにしか考えておらん。刀太郎とうたろうは裏鍛家当主としてぼんくらよ」

 寡黙な彼がかような憤りを覚えていたことに驚いた。しかも、師匠も同意を示した。大和はそれらを曖昧に頷くことで受け止め、言葉を続けた。

「僕が婿入りしたら、その状況は続くでしょう。しかし、眞上さんであれば違う。刀匠の意見も通りやすくなる」

 兄弟子が感心し、顎を撫で回す。眼はゆらりと天井に向けられた。

「六年後……刀太郎が米寿の際には一族総出の宴が催される」

 突飛な発言だが、私以外は頷き、彼と同じ場所を見た。兄弟子の言葉は続く。

「そこでだ。そこで針依と誠也の息子、つまり刀太郎の曾孫があいつに駆け寄りお祝いする」

 私が想像できない私の将来を私以外の三人は共有できたらしい。

「さぞ喜ばれることでしょう」と大和。「あいつは身内に甘いからな」と師匠。「骨抜きよ」と兄弟子。三人は私に熱い視線を注ぐ。狼狽すると、大和が強く主張する。

「僕が眞上さんを針依の婿に仕立てます」

 無理に決まっている。私は針依に嫌われている。そもそも恋愛経験など無いし、結婚願望すら無い。グラスを握る両手を強めれば、その手が大和の両手に包まれた。濁りのない右目が真っ直ぐに私を見据える。同性であるのに、色気すら覚えた。こういう所に針依は惹かれているのだろう。彼は陰気な私とは正反対の存在だ。

「眞上さん。私に時間を下さい」

 強い自己嫌悪を覚え、首を横に振ることでしか考えを表現できなかった。師匠が頬を掻き、代わりに言ってくれた。

「しかし、まあ、こいつに針依の相手が務まると思わへんが。こいつも俺と同じ……何や……若い子がよう言う……虚無僧みたいな奴やし」

 大和は臆さず、僕を見たままに話した。

「コミュ障ですか。誠実さの表れでしょう。針依には貴方のような人間と共に生きた方がよろしい」

 歯の浮くような台詞に鳥肌が立つ。堪えられずに手を振り払った。勢いあまってグラスを落とし、割ってしまった。大和は一瞬目を見開いて硬直したが、自由になった手で自身の長い前髪を耳にかけた。露となった左の眼窩には義眼がはまっていた。精巧なつくりであるが、右目と同時に見るとやはり違和感があった。不均衡な双眸を晒しながら、大和は弱々しく言葉を紡いだ。

「僕が針依を見る時、失った左目が疼くのです。十一年も前の、幼い針依が起こしてしまった悲劇に苦しめられるのです。それはきっと僕だけじゃない。針依だって同じ筈です。僕と針依は一緒になるべきではない」

 大和は髪で左目を隠し、右目だけで僕を見た。

「針依が貴方を苦手にしている理由を本人から聞きました。貴方の通販で頼んだ荷物を誤って開けて見てしまった。それがヤンデレヒロインの十八禁恋愛ゲームだったとか」

 肝が冷える。恋愛ゲームではない。エロゲー、しかも所謂抜きゲーだ。師匠が「やんでれ」と繰り返し、大和が「針依のような病的なまでに情熱的で献身的な性格のことです」と補足する。師匠と兄弟子が「ヤンデレ」と繰り返す。

「眞上さんは針依と相性がいいのではないでしょうか。針依を救ってくれるんじゃないでしょうか」

 二次元と三次元、性欲と恋愛はまた別だ。しかし、それをこの色男と師匠達に説明する気力は無かった。ただ、羞恥に歯を鳴らすことしかできない。師匠が私の音を掻き消すように一唸りし、私を睨みつけた。

「誠也。針依と夫婦になれ」

 私は頭が真っ白になった。私を置いてけぼりにして兄弟子と大和が肯くと、師匠は更に言葉を重ねた。

「何やよう分からんが、何とかなりそうやないか」

 否定を口にしようとしたが、師匠が畳みかけてくる。

「俺もそうやった。村の中で女が余って押し付けられたもんだ。双方に恋だの愛だの情だのは無かった。しかし、俺が夫となり父となり、あいつが妻となり母となることで徐々にそういったものが育まれていったんや。それだけやない。責任も出てきた。人生が重くなったんや。その重さが刀をよくした」

 師匠はぐい飲みの酒を飲み干した。ぐい飲みがテーブルに置かれるや否や、大和が継ごうとしたが師匠は手で制した。そして、席をたち、私の後ろに立った。振り向こうとすれば、背中を叩かれて制された。

「誠也。針依と夫婦になれ。裏鍛家に取り込まれ、愛を育み、子を成せ。そして、至高の一振りを打て」

 師匠の言葉に肌が粟立ち、背骨が熱を持つ。鑢をかけられているような錯覚に陥っていく。

 そうか。

 私の刀を打つという機能を磨く為に必要な事なのか。

 頭で理解するよりも早く肯定を口にしていた。

 夏の夜の暑さが私を焼いていく。よしと師匠が私の両肩に手を置いた。それだけのことで世界の明度が高まった。


 私の人生は美しくなっていくのだ。

 針依のように。

 針依と共に。

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