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六花ゆきみ

第1話

私が小説を書くのをやめてから、随分、時が経った様に思う。結果はなにもなく、積み上げられのは何の価値もない文字列だけれど。それらは私にとって、最高に無価値でいて、かけがのない宝物だ。


きっかけは本当に些細だった。


中学のころ友人たちとふざけて書いたリレー小説。今、見ればきっと叫び声をあげて憤死するような文章。それを皆が飽きても私はやめなかった。それだけだ。


情熱があった訳ではない。プロになれるとも、なろうとも思ったことはなく、惰性でダラダラ文字を綴っていた。きっと感情をぶつける場所が欲しかったのだろう。心を、思考を、絶望を、悪夢を。吐き出す為だけに書いていた。


人に見せることもなく、書いては消してを繰り替えす。


それが変わったのは、高校に入ってからだ。


私の入学した高校は、少なくとも三カ月、どこかの部活に所属すると言うルールがあった。運動なんてからっきし、絵も描けなければ音楽も苦手、書道なんて絶対に無理。残された道は文芸部だけなんてのは、お決まりみたいな選択だった。


実際、文芸部は私のような人間の逃げ場のような側面を持っていた。入部した人間は揃いも揃って特技なし、趣味なし、個性なしのあぶれ者達だ。きっかり三カ月経てば退部して、それで終わり。


私も含めてそんな人間ばかりだった。


しかし、いや、だからこそか。


そう言う人間は意外と真面目なもので、文芸部の顧問から与えられた課題などはこなしていた。


「これを書いたのは君か?」


退部が許可される期間まで一月をきったころ、急に声をかけられた。


長身で神経質そうな眼鏡をかけた男は私が教室に入った途端、紙を一枚差し出す。


この前の課題だ。顧問から出されたそれは芥川龍之介作「羅生門」の続きを書けと言うものだった。普段の私なら荷を剥がれた婆が、己の行いを悔い、急に正義に目覚めて、羅生門を変形合体させた究極ロボット、ラ・セル・モンに乗り込んで世界中の禿の為に髪を傷める行為を平気でする若者から髪をむしり取り鬘を作ると言うハートフルな話を書くのだが、その日は随分と虫の居所が悪かったようで。


男が婆の荷をはいだ後、別の男に身ぐるみを剥がれて手足を折られ動けないでいるところを死体と勘違いした婆に生きたまま頭皮を剥がれると言う話を書いたのだ。因果横暴、自業自得。ただ悪意を吐き出した作品は顧問や同級生達をドン引きさせた後に未だにソーシャルディスタンス以上の距離をとられている。


その黒歴史を持ち出して何だよ。


説教でもする気かと身構えていると彼はいった。


「文章が荒い。同じ語尾や言葉をつづけるな。リズムが悪く読みづらい。物語とは人に読んで貰って初めて完成する。もっと読む人間のことを考えろ、書き方を学べ、語彙力を身に着けろ。悪意を綴るなら美しい言葉を、正義を語るなら汚泥の様な悪意をもて。何よりも」


彼は私の目を見た。


無感情で無機質な目は深淵みたいに底がない。


「殺意は読者に向けろ。キャラを憎むな、己を恨むな。文字を書くなら、読者を殺せ」


なーに言ってんだ、こいつ。


て言うか誰だよ。


助けを求めるべく、ソーシャルディスタンスをいまだに保つ真面目で勤勉な愛すべき同期を見た。全員、静かに目をそらす。おい、何更に距離とってんだ、もっと引っつこうぜ。


私たち同級生じゃん、話したことはないかも知れないけれど将来、もしかしたら「結婚できないよぉ!」「大丈夫、私がいるでしょ?」みたいな傷の舐め合いをする仲になってるかも知れないじゃん。


その未来が少し早くなっただけだよ、さっさと助けろ。


そうやって神経質そうな男に絡まれた可哀想な小動物と言う謎の構図が続くと。


「ふふ、ふふふふふ」


と、堪えきれない様な笑い声が響いた。


男は能面から少し苛立ちを浮かべる。


「何を笑っているんだ、鈴鹿」

「だって、御代くん、いつも常識がとかって私に言っている君が、挨拶もなしに初対面の後輩に突っかかってるのよ、目付き悪いしカツアゲしてるみたいで私もうおかしくて…」

「失礼なことを…」

「ふふふふふ。失礼は君でしょ」


男の後ろから可愛らしい女性が出てきた。ころころ笑う姿は玉の様だなんて、どこにでもある何の個性もない表現が浮かぶ。


「初対面、しかも女の子の後輩に詰め寄って、くどくどお説教だなんて、失礼よね。ああ、失礼失礼」

「それは」


自覚があるのだろう。ムッツリとしかめ面を浮かべて、よく回っていた弁舌が止まる。それを見て鈴鹿と呼ばれた女性は堪えきれない様に笑っていた。


奇妙な2人組だ。片や高身長無表情男、片や小さくて表情豊かな女の子。凸凹コンビ極まれりだ。


こんな濃い人間、無個性の集まる文芸部にいたのかと驚いた。いや、周りの断固とした「関わらない」と言う雰囲気を察するにきっといたのだろう。私が認識していなかっただけで。


男の無言が続く。これはチャンスなのではなかろうかと、愛すべきクラスメイト(話したことすらない)に助けを求めるべく1歩後退した。


しかし。


「待て」


見咎められた。ちっ、見た目通り神経質か。男が細かい所を気にするなよ。あと、私に寄られた子よ、しれっと立ち上がって別の机に移動するな。危機回避能力高すぎんか?


1歩に対して何メートル距離とる気だよ、慈悲はないのか?ないのだろう。と言うか同じことされたら私でもそうする。何ならトイレに行く振りして部活をさぼり、家に帰るまであるから同じ空間にいるだけ優しいのかも知れない。


その程度の優しさ見せるなら助けて欲しい訳だが。


増援はなく、逃げ場もない。進む道は前のみの状況に、私は嫌々顔をあげる。


「あの」

「怖がらなくていいよ、御代くん顔も声も話し方も怖いし、口が悪くて無駄に威圧感あるけど」


それ、どこに怖がらなくていい要素があるの?


「鈴鹿」

「大丈夫、大丈夫。こんなんだけど、自分で少し気にして笑顔の練習とかしてる様な可愛い所もあるんだから」

「おい、お前、何でそれ知ってるんだ」

「まあ、結局、口が弧を描いているだけで、死んだ魚が腐敗した様な目で口だけ引きつってるから余計怖いんだけどね、うける」


その汚染されたドブ川みたいな目が今、ものすごい勢いであなたに向けられているけど、それは大丈夫か?と言うか可愛い顔して、えげつない毒吐くなこの人。


て言うか結局。


「何の用ですか?」


私、平穏に1日を終わりたいんだけど。


こんな小説のキャラクターみたいに濃い面子と関わり合いになる様な、青春は一切求めていないんだけど。


無言ながらも視線で抗議する。


御代と呼ばれた男は見た目通りの神経質だからか、すぐにその意味を理解したのだろう。


「いきなり、悪かった」


頭を下げた。


きっと。


鈴鹿が言う通り顔面が怖くて口が悪いものの、常識的な性質なのだ。自分を鑑みてすぐに謝罪出来る程度には。


他にも言いたいことはあるのだろうが、諦めたように背を向けた。結局何の用だったのかわからないが、私の平穏は戻ってきたのだとホッとしていると。


可愛らしい少女が目の前で微笑んでいた。









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1 六花ゆきみ @yukimiyuki

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