異世界の看取り図
るふな
君に贈る最期の言葉
「だからお嬢ちゃん、君がこの施設に入園するにはまだ早いんだよ。お見舞いならあそこで、許可証を発行してもらってね」
ここ‘天上の園‘は、アルノール王国で唯一の介護施設だ。戦争が終結して早50年。平和になったこの王国で、次に問題となったのは高齢者の孤独死。
兵役が無くなり、平均寿命は急上昇。総人口に対する労働力が低下し、就職難民も増加した。働けない者に対しての救済措置は、ここ数年でやっと整備され始めたばかりなのだ。
天上の園もその救済措置の一つであり、昨年できたばかりの試作段階だ。高齢者の為の施設のはずなのに。目の前に居座る幼女は、この施設で暮らすと言って聞かないのだ。
「わしはエルフじゃから幼く見えるだけなのじゃ!今年で齢88じゃ!ここで暮らすのに十分な年を重ねているのじゃ!」
「口調を変えてもダメ。さっきまで普通に話していたじゃないか。それにエルフなら88歳でもまだ子供でしょう?」
「とにかくわしをここで暮らせるように取り計らうのじゃ小僧っ!」
僕は若輩者ではあるが、一応ここの施設長の座を預かっている。国民の血税で運営されているこの施設に、健全な若者が暮らしているとなると、どんな批判を受けるかわからない。
「ダ〜メ。誰かに会いたいならお見舞いで十分でしょう?そんなにここに居たいなら、ここで働くかい?」
「何を言っておる!働いてたらあやつと遊ぶ時間が減ってしまうではないか!それに面会時間は日中だけじゃろう。それではわしの友人が会いに来れないではないか!」
「よくわからないけど、遊びたいだけなら君の提案を飲むわけにはいかないね。僕も忙しいからそろそろ失礼するよ」
今にも泣きだしそうな幼女は俯き、僕の袖を掴んだ。ひたすら懇願する彼女の姿には何か特別な事情があるように思えた。
「頼む…わしらにはもう一刻の猶予も残されていないのじゃ」
必死な彼女から不安や焦りが涙となって溢れているのがわかった。僕の袖を握る小さな手は、小刻みに震えている。次第に抑えきれない嗚咽を漏らす彼女の姿には見覚えがある。それは僕がこの施設で働く理由と重なる気がした。
僕は一先ず話を聞くことにした。応接間のイスに座り、地に足のつかない幼女の名前がエルベレスであると知り驚いた。エルフの王妃の名を語るなど、子供の冗談であっても笑えない。ここにきた目的は、テルメンディルという老人に会うためとのこと。テルメンディルは普通の気さくな老人なのだが、隣国ではその昔、英雄と名高い冒険者だったらしい。
スケールが大きすぎる話に全く信憑性がないけれど、なぜか目の前の幼女の言葉には不思議な説得力がある。彼女は彼の残り少ない余生を、できる限り共に過ごしたいと、わざわざここまで出向いてきたのだ。面会時間外の夜にも会いたいと願うのは、ヴァンパイアの友人が、日中に徘徊出来ないからだそうだ。
「もう随分昔のことじゃが、わしらは仲間だったのじゃ。魔族の討伐にもよく行ったものじゃ。それが戦争が終わってからというもの、わしは王族として戦後処理に追われての。気がついたら何十年という時が過ぎていたのじゃ。」
「戦争が終わって平和になったのですから、いくらでも会う機会があったのでは?」
「戦争という混乱状態の中でもなければ、おいそれと王族が冒険者と一緒に遊びに行くことなどできぬわ」
「ですが…」
「もう長くはないのじゃろう…」
医師によると、彼の健康状態に問題はない。しかし身内に宿る魔力が残されていないなのだ。生命力たる魔力の枯渇は、老衰によるものだろう。
「えぇ、もう殆ど魔力が残っていないそうです。」
「若い頃無茶をしていたから、寧ろまだ生きているのが不思議なくらいじゃ。」
「事情はわかりましたが、立場上ここに暮らす人達と同じ境遇で扱うことは承認できません。そこで、テルメンディル様専属の介護師として働くというのは如何です?」
「ずっと一緒にいられるのか?」
「えぇ、その代わり彼のお世話はしてもらいますが、こちらも負担が減るので一石二鳥。友人は夜勤ということで、お二人で面倒を見られては?」
それまで暗い面持ちだった幼女に、パッと笑顔が花咲いた。椅子から飛び降り、僕の元へと駆け寄ると、手を取り感謝を告げた。その後はすぐにテルメンディルの部屋へと駆け出した。再開を果たした2人の空間は、それはもう幸せで満ち溢れているのが僕にもわかった。
夜になると、イシルと名乗る若い女の子が僕の部屋を訪ねてきた。エルベレスよりは年上に見えるが、それでも16歳前後にしか見えない。
「エルゥが無茶を言ってごめんなさいね。あの子は初めてだから、できる限りそばに居させてあげたいのよ。」
「初めて…と言いますと?」
「見送りよ。同世代の」
確かにエルフと人間では寿命が大きく異なる。人間よりもずっと長い時間を生きるエルベレスやイシルは、これから何度もこんな状況を経験するのだろうか。
「イシル様にも経験が?」
「私はまだピチピチの450歳だけど、これだけ見送ってくれば割り切れるようになるものよ。最期の時だけは未だに慣れないけどね…」
窓から月を見上げるイシルの瞳には、寂げな光が反射していた。その中に後悔という色を滲ませていることが、僕にははっきりとわかった。既に床についたテルメンディルの部屋に訪れたイシルは、そばの椅子で眠るエルベレスに優しく毛布をかける。テルメンディルを見つめ涙を流す彼女を前に、僕は音を立てないよう、そっと部屋のドアを閉めた。
それから数日は、賑やかな日々だった。エルベレスは施設の老人達を集め、魔法で芸を披露したり、イシルが夜中に作った笑い草クッキーのせいで、施設中が笑い声でいっぱいになったり、夜にはテルメンディルが花火という魔法を見せてくれた。ただ迎えを待つこの施設が、こんなにも活気に満ち溢れたのは初めてだった。
「お前ぇロリっ娘のくせになんでジジ臭ぇ口調なんだ?」
「うるさいのじゃ!オヌシこそ老ぼれのくせに、反抗期のガキンチョみたいな態度ではないか!」
「昔っから変わらねぇなぁ〜お前は。ドラゴン狩り勝負の時も俺に突っかかってきやがって。あれは絶対ぇ俺のが大きかったぜ」
「何を言うか、ギルドによる厳正な採寸の結果、わしの方が大きいと公認されたじゃろうがっ!」
「オボエテナイ。ココハドコ、ワタシハダレ、キミハ…」
「こら!冗談でもわしを忘れただなんて言うでない!笑えない冗談じゃっ!」
「忘れねぇさ…何年経ってもな」
テルメンディルは活き活きしている様に見えた。彼がこの施設に来た当初は、いつも窓際で遠くを眺めているだけだった。楽しげに語らう声は、連日夜まで施設に響き、僕が注意しに行く程だった。
別れの日は唐突にやってきた。エルベレスがこの施設に来てから4日目の夜、元から赤い瞳を持つイシルが、目の下まで赤く染めて僕の部屋を訪ねてきたのだ。凛として冷静なイシルが、これほどまで取り乱している理由は、言わずもがなわかる。僕は黙ってイシルの背に優しく手を添えた。
翌朝、テルメンディルの葬儀が執り行われた。急逝が告げられたのは昨晩だというのに、多くの参列者が見受けられた。
「人間は嫌いじゃ…わしの許可なく勝手に逝きよって」
「ちゃんとお別れできましたか?」
「うむ、イシルに言われておったからの」
「イシルさんはなんと?」
「言いたいことは全部言っておくようにと。今までの不満も文句も余す所なく全てじゃ。そうすると最後にはきっと‘感謝‘しか残らないから、それだけは絶対に伝えるように言われたのじゃ」
あぁ、僕が思った通り、イシルは僕と同じ後悔をしていた。最期の時、最愛の人にたった一言「ありがとう」と伝えられなかったことを。人はいついなくなってしまうかわからない。ほんの少し、目を離した瞬間に大切な人がいなくなってしまう事もある。僕は後悔という重い十字架を背負って生きているから痛感している。最愛の人にかける最後の言葉が感謝でありたい。大切な人との別れ際はいつも笑顔であって欲しいと。
「どうか嫌わないであげてください。エルフと人間ではどうしても埋め難い寿命の差があります。ですが、限りある命が身近にあるからこそ、その大切さを忘れず、感謝することができるはずです。彼との辛いお別れが、これからのエルベレス様の人生の、刹那に宿る小さな幸福を思い出させてくれるはずですから」
「救いようのない大馬鹿者じゃ…あやつは。わしが不死の霊薬を持って行った時も、頑なに断って…全然話し足りないではないか…馬鹿者ぉ…」
エルフの幼女は、僕の隣で袖を握ったまま泣いていた。
月が満ち、参列者のいなくなった夜更けになっても、イシルはテルメンディルの側を離れようとはしなかった。
「生き永らえるだけで、何もしてあげられないなんて…」
「そんなことはないと思いますよ。テルメンディル様はこの数日間、初めてここにきた時からは想像できない程に、幸せそうでした。イシル様もそれをご存知だったから、ずっと前から通われていたのでしょう?」
「…気がついていたのね」
「施設ができたばかりの頃から、深夜に幽霊が出ると従業員が騒いでいましたから。それも決まってテルメンディル様のいる東棟でしたし」
「話したら…話してしまったら、きっと彼の死を受け入れられなくなってしまう。だから彼が眠りについた後、寝顔を見るだけにしていたの。目を醒さなくなっても、訪れる悲しみに慣れておくために。でもある夜、私の手を取って…夢の中の戯言だったかも知れないけど…「愛してる」なんて言われたら…そんなの…ずるいじゃない…」
イシルにとって88年の歳月は、ほんの僅かな時間だったかも知れない。けれどきっとこれから何百年と生きていく中で、彼女の人生を照らす希望となるはずだ。深い悲しみ、闇があるということは、それだけ強い光があったということだから。
異世界の看取り図 るふな @Lufuna
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