怪談「先に落ちる影」

Tes🐾

先に落ちる影

 Mとは高校の同級生で、同じ運動部に入っていたこともあり三年間ずっと仲が良かった。けれど卒業後は別々の大学に進学。それからは次第に連絡を取る頻度も減っていき、少しずつ疎遠になっていた。

 そんなMがある日の夜、突然電話を掛けてきた。

「他に話ができるやつがいない。頼むから聞いてほしい」

 切羽詰まった声色にすぐに心霊関係の話だと察した。

 Mは霊感があるらしく、高校時代には度々霊についての体験談を聞かせてくれた。多くは「学年主任のやつ、肩に女の人背負ってる。多分不倫絡みだな」なんて本当か嘘か分からないような話ばかりだったが、時々「あそこにいる奴はヤバすぎる。近づくな」と取り乱すことがあった。今回とは別件なので割愛するが、その後本当にヤバい事件に発展したケースがいくつもある。

 ちょうど、今のMもそんな時の状態だった。

「何があった?」

 挨拶を省いて聞き返すと、Mは小さく深呼吸してから話し始めた。


 事の始まりはMがバイトしている工事現場での出来事だという。

 場所は十二階建てのマンションの建設現場で、Mはほぼ完成している上階で設備の設置をする作業員に、細々とした部品を届けるという仕事を任されていた。

 当然、完成前なのでエレベーターも動いていない。しかも結構雑な現場だったらしく、後から「あれが足りない」「これが足りない」と言われ、何度も下の資材置き場と上階とを往復させられたという。

 そうした往復を何回かして、また上階に荷物や部品を届ける。その頃になると流石に足元がおぼつかず、部屋の外で手すりに持たれながら息を整えた。

 そして、顔を上げた時だ。

 少し赤くなり始めていた空を、上から下へ、さっと黒い影が通り過ぎた。

 ――まさか飛び降りか?

 驚いて一瞬後ろに飛び退きかけたMは、すぐに手すりから顔を出して下を見た。下には数人の作業員がいるだけで、他には何もなかった。

 けれど、何度思い返しても見間違いとは思えない。

 確かに人の形をした何かが目の前を落下していった。

「それから外を見ると、影が落ちてくるようになったんだ」

 それは決まって十二階、時間は少し日が傾き始めるくらいの頃だという。

 最初の数回こそ驚いていたMだったが、流石に何度も霊体験をしてきただけはあり、その後はなるべく無視を決め込んでいた。だが、唐突に現れるせいでどうしても目は惹きつけられる。

 そうして何回も落下する影を見るうちに気づき始めた。

 落ちているのは男だ。

 長身でがっちりとした体格。頭にはヘルメットを被っている――ちょうどMと同じ背格好。

「昔からヤバいモノとは何回も遭ってきたし、避け方も分かってるつもりだった。でも、自分が自殺する影はどうすればいいんだ?」

 俺は答えに窮した。

 当たり前だがMは生きているし、日々のバイトや学業は大変だが死にたいと思うほどの事はないという。

 だとしたら、霊感ゼロの俺にできるアドバイスはせいぜいバイトを辞めろくらいだ。

「やっぱそうだよな? 近づかん方がいいよな?」

 Mの奴も半ばそう結論付けていたらしい。その後は肩の荷が降りたかのように喋るMとバイトの辞め方や、近況を話し合ったりして通話を終えた。


 そして次にMと会ったのは、葬式で、棺桶についた小窓越しでだった。

 泣きはらすMの母親が途切れ途切れに話た内容を要約すると、バイトを辞めた次の週。ちょうどマンションが完成したその日の夜に、Mは建設現場に忍び込み、作業着とヘルメットを身につけ屋上から飛び降りた。

 Mの母はバイトの過労が原因だとして訴えを起こすなど言っていたが、ありえない話だ。Mは影が怖くて辞めたのであって、働き過ぎが原因ではない。例えそうだとしても、その時もうバイトを辞めていたのだから過労からは解放されていたはずだ。もちろん、Mが俺にも言っていない辛さを抱えていた可能性はある。でも、俺はすべてを打ち明けた後のMの声を今でも忘れられない。

 安心した声色で、もうあの場所には近づかないと言っていたのだ。

 けれどだとしたら、なぜMはあのマンションから身を投げたのか。

 わざわざ仕舞われていた予備の作業着やヘルメットを盗んで身につけるという手間を掛け、鍵の掛かった屋上の屋根扉を何らかの方法で開け、遺書も残さず飛び降りる。

 まるで、先に飛び降りをしていた自分の影に引きずり込まれたみたいじゃないか。


 あれから数年が経ったが、あの事件が最終的にどういう決着になったかは分からない。

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