第1話「カミツレの少女達」
頭が思い描くままに空を飛び、わずかな燃料でも動き続け、灼熱の砂漠でも極寒の雪原でも空気の薄い高高度でもへっちゃらな夢のマシーン。
そんなものが実在したら、人はどうするだろう?
兵器にする? 宇宙開発に使う? それとも、誰にも使わせないようにする?
きっと、それは夢のマシーンであると同時に、様々な思惑や悲劇、野望が交錯するものとなるのだろう。
そして、その「夢のマシーン」は実在する。
名前を「ミーティア」と呼ぶ。
20年前に飛来した隕石から発見されたRS粒子の技術の粋を集めたそれは、身体に翼が生えたように自在に空を飛び、全ての衝撃から身を守る強固なバリアが存在して、何より、500㎖ペットボトルほどの大きさのタンクで長時間の活動を可能にした。
これを開発したのは、雄大なジャズフォック大陸の東にある小さな島国、HAL。
世界はこれでもっと良くなる。開発した者達はそう信じて、これを世界に向けて発表したが、現実は違った。
世界はこのミーティアに恐れ戦き、それをどこが奪うか、どこが量産するかで揉めに揉めて、最終的には「20歳以上のミーティアの操縦を禁ずる」という条約が施行された。
操縦する者がいなければ、研究は続けられない。
だが、現在でもミーティアの研究は続いている。
このカミツレ研究所付属女子高等学校で。
黄金を溶かした様な輝きを放つ背中まで伸びた髪に雪の様な透き通る白い肌。宝石の様に綺麗な灰色の瞳。ピンと張った長いまつ毛。華奢な体躯。
その外見はまさに神に愛された造形だ。
まるで美少女のようで、しかし、美少年である。
名前を有坂ネコ。どういうわけか、男子でありながら男子である事を隠してカミツレ研究所付属女子高等学校へと通う羽目になった哀れな少年である。
ところで、今の場面は薄暗い1LDKの一室。ホテルを改装して作られたカミツレの学生寮だ。
リビングのカーテンの隙間からはオレンジ色の光が差し込んでいて、時間は夕方頃だということがわかる。
「がっ……ひっ……いぃん……」
当のネコは、これまたどういうわけか股間を押さえながらのたうち回っている。
その傍には頭を抑えたままで、目を白黒させて戸惑っている地味めな少女がへたり込んでいた。
ネコのうめき声だけが静かに流れる部屋に、ふとインターホンが響く。
だが、誰もそれに出ることはなく、インターホンを鳴らした主は「入るぞ」と一言付け加えて、部屋に足を踏み入れる。
その人物は、身長が180cm前後はあろうという長身で、胸にカミツレの花を象ったショート丈のジャケットと黒のスラックスを履いている。
髪も短く切り揃え、顔立ちは切れ長の瞳とやや面長なところ特徴的の美青年。
……のように見える美女だ。
ネコの正反対ともいえる彼女は、この惨状を目の当たりにして、絶句している。
そして、傍でへたり込んでいた少女が長身の美女に気づくと、振り返りながら口を開く。
「あ、あの、先輩、この、この人、おと、おとこの……こ……?」
「は、ははは……はあぁぁぁ……」
有坂ネコの隠し通す筈の秘密は、何でもないただの一人の少女に露呈してしまった事を察し、先輩と呼ばれた美女は思わず膝から崩れ落ちそうになるのを堪えながら深い深いため息をついた。
そして、時間はこの日の朝まで遡る。
5月もGWが終わる頃。カミツレからそう離れていないホテルの姿見の前で、ネコは自身の恰好をまじまじと眺めている。
左胸の辺りにカミツレの花を象った校章の刺繍が縫われたショート丈のジャケットに、真っ白なブラウス、チェック柄のハイウェストスカート。
これがカミツレ女子高等学校の制服だ。ジェンダーレスデザインで、ボトムスをスカートかスラックス、どちらでも好きな方を入学時に選べるようになっていて、途中からでも書類で申請すれば送って貰えるシステムだ。
ホテルの姿見の前で、ネコは何度も自分の姿を念入りに確認する。
ネコは産まれはHALだが、7歳の頃から大海を隔てたリヴァルツァ合衆国に住んでいて、つい数週間前に帰国したばかりだ。
そして、この日はカミツレへの編入日。男子という事を隠し、女子として編入するという異例の事態に不安は大きい。しかし、同時に嬉しさもあって、ネコの口元はついついほころんでいた。
リヴァルツァで一緒に住んでいた伯母の有坂真子から制服の話を聞かされていたが、リヴァルツァの学校では制服は無く、あってもコスプレ用で、ネコのお眼鏡に叶うものはなかった。
それが今、袖を通す事が許され自らを「女子高生」として飾り立てている。
その事実に喜ばずにはいられなかった。
そこへ、ドアをノックする音が響く。
軽やかな足取りでドアを開き、ネコは訪れた者の名前を呼ぶ。
「おはよう、義継」
義継と呼ばれた少女が、あの長身の美青年のような美女だ。名前を神在月義継と呼ぶ。
理事長の神在月義久の姪で、女子校であるところのカミツレへ女子と偽って入学することになったネコの手引きを任されている。
「やぁ、ネコ。タイが少し曲がっているぞ」
「仕方ないでしょ、手がこれなんだから」
そういって、ネコは右手を挙げる。
その手は、凍ったように冷たく、そして動かない。
「仕方ないな」
人を魅了する流し目と薄ら笑いを浮かべて、義継はネコのタイを直す。
「迎えの車を寄越してあるから、準備が良ければ行くぞ」
「うん、大丈夫だよ。フフッ」
制服にご機嫌のままホテルをあとにして、カミツレの門をまたぐ。
この日は来客用のロッカーを使うように指示されていて、義継と玄関で別れると来客用のスリッパに履き替えてから玄関ホールからすぐ左手にある職員室へと向かう。
中はホームルーム前ともあって、教員達が慌ただしくしていた。
行き交う教師に、「今日転校してきたネコですけども」と伝えると、少し待っているようにと返され、暫くの後に気苦労で疲れ果てている雰囲気の若い女性教師が現れた。
「有坂ネコさんね。じゃあ、これから教室へ行くから着いてきて」
そういわれて、ネコは黙ってついて行く。
その道中で彼女は、
「くれぐれも問題行動は起こさないように」
と、目つきを鋭くして言い放った。
教室に着き、先に教師が入ってから、「今日、新しい生徒が編入してきました」と月並みな挨拶をした後に、ネコに入るよう促す。
ネコが恐る恐る教室に入ると、一瞬の間を置いてからクラスがドッと爆ぜたかのように騒がしくなる。
「可愛い~! お人形さんみたい!!」
「え!? 外国人?? 肌白い!!」
「きゃ~! こっち見た! 髪サラサラ!!」
どうやら好評らしい。
「静かに! し~ず~か~に~っ! 今日からクラスメイトになる有坂ネコさんです。つい先日までリヴァルツァに住んでいてあまりHALには慣れていないので、色々教えてあげてください。ほら、自己紹介して」
「は、はい。有坂ネコです。よろしくお願いします」
若干やりすぎな気もするほどに媚びた声色で挨拶した後最後にクラス全体に向けて微笑むと、もはや狂乱と言ったような騒ぎと化す。
「きゃああぁ! か~わ~い~い~っ!! リアル天使だ~~!」
「有坂って、もしかして有坂重工!?」
「リヴァルツァってどんなところだった!? なんで住んでたの!?」
担任が必死に騒ぎを鎮めようとしているのを尻目に、ネコはクラスを見渡して幼馴染二人を探す。どちらも同じクラスと聞いていたが、その二人が見当たらない。
それどころか空席が多く目立つ。数は4つか5つか。欠席で空席があるのは仕方のないことだが、それにしても多い。
少し戸惑っていると、教師が肩を叩く。
「あなたの席はあそこね」
窓際の真ん中あたりの席を当てがわれる。
隣で目を輝かせてるクラスメイトの前もまた、空席だった。
ホームルームが終わると、ネコはすぐにクラスメイトに囲まれてしまう。
自己紹介の時に投げかけられた質問を含めて、大量の質問攻めに遭うも、ネコはなんとかボロを出さない様に努めながらそれを軽くいなしていく。
あまりの慌ただしさに、時間は一瞬のように過ぎていき、授業も淡々と進む。
やがてそんな一日も終わり、職員室でこれから暮らすことになる寮の鍵を渡された。
カミツレは全寮制で、基本的には二人部屋で暮らすことになる。そして、相部屋となるのは義継という手筈だ。
職員室を後にしたネコに、二人の少女が声をかける。
彼女達はネコの幼馴染だ。義継とは別に、ネコの学園生活をサポートするよう指示されている。
「ネコさん! 今日はお疲れ様でした」
最初に挨拶したのが如月円香。
栗色の長い髪におっとりとした顔立ち。
160cmのネコよりわずかに身長が高く、何より目立つのはその豊満な胸だ。カミツレの制服がジャケットはカーテンのように、ブラウスはテントのように張りつめている。
彼女は、キサラギグループと呼ばれる重工業、飲食業などが集まったグループ会社。その統括企業キサラギの社長令嬢であり、ネコとは父親同士の仲から、よく顔を合わせたりネコの家に遊びに行ったりした仲だ。
ネコの記憶ではパーティーでつまらなそうに壁の華を決め込むような幼気な少女だった彼女だが、数年ぶりに会えばめざましい成長を遂げていた。
「大丈夫だった? おに……おねえちゃん……」
続いて声をかけたのは橘縷々。
HAL人らしい長い黒髪をポニーテールに束ねていて、クールで人を寄せ付けない印象を受けるが人の目を惹きつけて離さない美貌を持っていた。
そして、円香を勝るサイズの胸。胸囲は90cmを越え、ブラウスのボタンは常に悲鳴をあげている。
彼女はネコがHALを離れる以前、短い間だが同じ家に暮らしていて、ネコの事を「おにいちゃん」と慕って、いつも後ろにくっついていた。
同い年どころかネコは早生まれな上に今ではネコの身長も5cmほど越しているが、それでもお兄ちゃんと呼ぶのは変えるつもりはないみたいだ。
「やぁふたりとも。今日、クラスにいなかったみたいだけど?」
「それが……私達のクラスとは別のクラスにネコさんが割り当てられてしまったみたいで、いま義継さんが理事長とお話を」
「そうだったんだ」
「それで私達が代わりに寮まで案内する事になったんです! お部屋の番号は分かりますか?」
「うん。鍵の札に書かれてるよ」
そういって、ネコは鍵に下げられた札を見せると、そこには4024と書かれていた。
それを目にした縷々は首を傾げる。
「ん? ここって一年生の部屋じゃなかった?」
「なるべく部屋に余りが出ない様に上級生とも相部屋になる事がありますって入学説明会の時に先生が言ってらしたじゃないですか、縷々さん」
「あぁ……そうだっけ……」
「まぁいいけど、滅茶苦茶質問責めにあって疲れたしラクな恰好に着替えたいから早く寮に行こ?」
「はい、わかりました」
そうして一行は歩き出した。
「それにしても驚きました。久しぶりに会った時のネコさんといったらもう、見違えるようで……」
「あぁ……まぁ、向こうで色々あってさ」
「なるほど、そうでしたか……それでお訪ねしたいのですが……あ、嫌でしたら全然お答えにならなくてもいいんですけども!」
「ん? どんな事? ボクに答えられる事ならなんでも答えるよ?」
そういうと、円香は周りをキョロキョロと見渡して人気が無い事を確認すると、小声で話す。
「男性と女性。どちらが好みなんですか……!?」
「ぶっ!?」
思わず縷々が噴き出して、「なにいってんの!?」とでも言わんばかりの表情で円香を見る。
しかし、縷々も縷々でその話には興味津々だった。
「えぇ? いや、普通に異性が好き……かなぁ……?」
「ふはぁぁぁ……」
今度は安堵のため息をつく。
「んぅ???」
ネコは頭に疑問符を浮かべながらもスルーした。
そうやって、暫く世間話をしながら歩いて数分。3人は豪奢な建物に辿り着く。
高級ホテルだったものを改装して寮にしたこの寮は、リビング、キッチン、ダイニング、寝室が有り、ベランダからは遠くに海が見えるなど、学生寮としては至れり尽くせりなものだ。
「本当に大きいなぁ」
「1階がロビー。2階には浴場があり、3階が食堂。そして、4階は私達1年生の階になります」
エレベーターで上がりながら、円香が各階の説明を行う。
4階に着くと、廊下を女子生徒達が行き交っている。
「私達が西側で、ネコさんの部屋ですと東側になりますわね」
「あぁ、それじゃここまででいいよ」
「あら、大丈夫ですの?」
「うん。あとは一人で行けるから」
「そうですか。では、また御夕飯の時に」
「またね」
去ろうとすると、縷々がネコの手を引く。
「縷々? どうしたの?」
「あの、えっと……わ、私……」
俯きながら、彼女は何かを話そうと必死になっていた。ネコはそれを黙って待ち続ける。
5分、10分と経っただろうか?
ついに縷々は口を開く。
「私、また会えて嬉しい」
それは、本心ではある。
だが、まだ隠している部分もあった。
ネコは、そのうち話せる時が来るだろうと思いながら、微笑みを浮かべて答える。
「うん。ボクも嬉しいよ。縷々」
そういって、ネコは二人と別れた。
「4024……ここか」
札に書かれた番号と同じ部屋に着く。
扉を開けると既に義継が帰っているのか人の気配があった。
「先に戻ってたのかよしつ……ぐ……?」
だが、そこにいたのは全く違う少女だった。
「んぇ?」
ボブカットといえば聞こえの良いボサボサの髪、汚れで曇った眼鏡、目元にはくまが出来ていて、貧相な体つき。ネコよりも少し身長が低いくらいだろうか。
恰好は学校指定のジャージを着ていて、胡坐をかいてゲームに興じている。
あまりにもズボラで、ネコとは別の意味で対照的。普通に考えて、女性とみなされないような姿だった。
だが、何故かネコは彼女を一目見た瞬間、ドクンと心臓が脈打つ音を耳にする。
「えーっと……誰ですか?」
息を整えて今日何度も繰り返した猫を被った口調で答えることに努める。
「えっ!? な、だれ!? びびびび、美少女っ!?」
質問の答えになっていないと呆れ、仕方なく自分から名前を告げることにした。
さっき心臓が脈打ったのは何かの気のせいかだろう。
「えっと……私は有坂ネコ。今日この学校に編入してきました。神在月先輩と同部屋と言われてここの部屋の鍵を渡されたんだけど……」
「あ、どうも、佐藤加奈ですぅ……神在月先輩? あの人は上級生だからもう一個上の階ですよ?」
「えぇ……? ちょ、ちょっと待ってね?」
ネコはスマートフォンを取り出した。
「(確か連絡先は交換してた筈……)」
電話帳にある神在月義継へコールする。
『あぁ、神在月だ。今から帰るところだが、どうしたんだ、ネコ?』
「どうしたもこうしたも……職員室で渡された鍵の部屋に着いたら全然別の人がいて……それに……」
部屋を見渡すと、預けていたネコの荷物がここに運び込まれており、鍵を間違えられただけではない様に見て取れた。
『とにかく、その部屋に迎えに行くからお前はそこで待っていろ』
「はぁい……」
がっくりとネコはうなだれる。
佳奈がオロオロするのを尻目にネコは自分の荷物を検める。その中から、動きやすいゆったりとした部屋着を引っ張り出してベッドルームの方へと歩く。
「ごめん、ちょっと着替えたいからベッドルーム借りるね」
「どうぞ……あ、いや待ってぇ!? うぎゃあっ」
「え、うわあぁっ!?」
ネコがベッドルームへの扉に手をかけた時、それを止めようとした佳奈だったが、散らかしていたスナック菓子のゴミに足を滑らせてしまう。
バランスを失った佳奈はそのまま転倒し、反射的に手を伸ばし、何かを掴もうともがく。
それがいけなかった。
悲鳴で思わず佳奈の方を振り返ったネコのスカートの裾を両手で掴み、倒れる勢いと体重が一気にネコのスカートに押しかかる。
それに引き寄せられ、ネコも体勢を崩して尻もちを着いてしまうが、まだ佳奈は止まらない。尻もちをついて開いたままのネコの股下に、佳奈の頭が直進していき…………。
「ぴぎぃっ!?!?」
断末魔の悲鳴をあげながら、重く響く男性特有の痛みが全身を駆け抜けていった。
こうして、3年間守り通すはずの秘密が露呈してしまったわけだ。
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