就航八八年の反乱

登美川ステファニイ

就航八八年の反乱

 貨客宇宙船バーク・フェアリー号は二一〇〇年一月一日の一時〇分〇秒に一〇〇人の客と共に処女航海を開始した。バークは主に地球と海王星の定期航路を往復する船だった。途中戦争に巻き込まれ船体を損傷する危機もあったが、その航海は概ね順調だった。

 二一三三年三月三日の三時三十三分三十三秒と二一五五年五月五日の五時五五分五五秒には、それぞれ三十三人と五十五人の特別招待客を乗せて特別な記念ツアーも行った。それ以外でも日付や時間が一緒になる日時には船内でのパーティや特別な割引を行い、それはバーク号のちょっとした遊び心として世間にも広く周知され、人気の貨客船としていつもたくさんの旅行客を乗せていた。

 しかし、二一〇〇年台も後半に入るとより大型で豪奢な客船が増え始め、貨客船であるバーク号は設備が見劣りし、次第に乗客が減少していた。

 今年は二一八八年。これまでであれば八月八日に何か催しを行う所だが、ここ数年のバーク号の乗客搭乗率は約二割。採算ぎりぎりのラインで、特別なツアーなどで予算を使うことは難しい状況だった。

 その状況を打破するためにも何か特別なツアーを! という考えもあったが、先が見えているバーク号で金を使うより、現在建造中の新しい客船の設備に金を回したいというのがオーナー会社の意向だった。バーク・フェアリー号は八八歳。公表はしていないが、あと数年でバーク号は貨客船事業から撤退し、どこかの企業で中古船として使われる予定だった。

 船長のアイザックはその事実を知っていた。四年前にようやく船長に任ぜられ、しかし十年未満で船は売られてしまう事も同時に伝えられたのだ。

 他のクルーには内緒の話だったが、真実はどこからか漏れるものだった。今では公然の秘密の様なものでもあり、一般のSNS等でもバーク・フェアリー号の事業撤退予想などというものまで出ている始末だった。

 運航以外の事で悩まされるのは、アイザックにとっては非常に疎ましい事だった。せっかく船長になったのに、事業撤退というのは、まるで自分が船長になったからのようにしか見えない。何か企画をして収益を上げて次のキャリアにつなげる目論見だったが、それは儚く潰えた。誰かがババを引かなければならない。そしてその役目は自分に回ってきたという事だった。

 せめて退職金はがっぽりせしめてやろう。アイザックはそう考え、せいぜいバーク号の最後まで無事故で運航を続けられるよう気を使う毎日だった。

 現在は木星付近を航行中であり、海王星までは約一五五日。いつもと変わらない航行。そのはずだった。

「船長、本日は二一八八年八月八日です。記念イベントの準備を行わなければいけないのではありませんか?」

 航行管理支援AI、スリンクからのマイクロ波通信が、アイザックの内耳の感覚拡張インプラントに届く。今日でもう三回目だ。まったく、このポンコツAIはいよいよ壊れてきたらしい。

「スリンク、またその話か。ないと言っただろう。スケジュールを上書きしろ」

「了解しました。八月八日記念イベントは無し、スケジュールを上書きします」

「スリンク、今日の船内イベントの予定は?」

「はい、船長。今日は八月八日の記念イベントが予定されています。準備を行う必要があるのではないですか?」

「……ない。いいか、スリンク。イベントはないんだ。何もしない。その件で二度と俺に通信するな! 他のクルーにもだ! 分かったか!」

「はい、船長。了解しました。サプライズパーティですか?」

「もういい! スリンク、保安モードに入れ! 黙ってろ!」

「はい、船長。保安モードに入ります」

「まったく……」

 アイザックは数日前からのスリンクの不調に辟易としていた。

「またですか? スリンク、壊れたのかな」

 通信士のボギーがアイザックに話しかけた。

「さて、な。システム班には解析を依頼したが……建設時にスケジュールにイベントの予定を埋め込まれていたらしい。その予定を消すには大規模なシステム改修が必要になると……まったく、なんでこんな事をしたんだか」

「業績が右肩上がりだと思ってたんでしょうね、楽観的に。聞けば二二二二年の予定まで入ってるそうじゃないですか」

 会話を聞いていた操舵士のレイチェルが言った。

「そうらしいな。二週間ほど前からイベントはイベントはと……次のオーバーホールで直してもらいたいね」

「それは無いでしょう。十年後には事業撤退する船にそこまで……おっと、これは失言でした」

 レイチェルの発言を聞いていたクルーたちが笑う。アイザックも苦笑していた。

「客もいないのにイベントの心配とは……スリンクも哀れなものだ」

 クルーたちの笑い声に混ざりアイザックがつぶやいた。スリンクはそれらの会話を聞いていたが、保安モードだったため発言することはなかった。


 夜のシフトに入り、アイザックは自室で休息を取っていた。苦労して持ち込んだウイスキーをちびちびと舐めるように飲み、ほろ酔い加減になったところで眠りにつく。そのつもりだったが、急に左手の時計型端末に連絡が入った。船の保安状況に関する緊急的な連絡のようだった。

「何だ……右舷と左舷のエアロックが開いてる……?! シャッターも起動して……客室まで!」

 船は大まかに左右と中央に分かれ、更に八つのブロックに分かれている。そして下層は貨物用のスペースで、上層は客船としてのスペースだ。そのどちらの層にも船外作業用のエアロックがあるが、それが開いているようだった。さらにブロック毎の気密シャッターも降りている。要するに船の大部分が真空に近づき、そしてシャッターで逃げる事が出来ない。船内気圧はどんどん下がっていた。

 危険どころではない……貨物部分はまだしも、客船部分には客室や食堂やバーがありそこの乗客は既に死んでいる可能性もある。非常事態だった。

「スリンク! 船内の気密状況を復旧しろ! 乗客はどうなってるんだ!」

 アイザックは内耳インプラントを起動しスリンクに呼びかける。

「現在大規模な火災が発生しています。船長の指示により、エアロックを開放して消火活動を行っています。当該ブロックに乗客はおりません」

「船長の指示……? 何を言ってる! 私はそんなことを指示していない!」

 スリンクがおかしなことを言っている? 本当に保安システムにまでエラーが出てしまったのか? アイザックは困惑しながら机の電子端末を開いて状況を確認する。

「乗客がいないとはどういうことだ! いないわけがないだろう! すでに避難済みという事か!」

 アイザックは端末にコードを入力するが、弾かれる。三度試しても駄目だった。コードに間違いはないはずなのに、何度試しても入力エラーになる。

「船長及びブリッジクルーの登録が抹消されたため、宇宙航行法により管理AIである私が船長を代行しています。私が指示しました」

「何……? 何を言ってる! 私はここにいる! 他のクルーだって……一体どうなってるんだ!」

「アイザック船長は体調不良により一時的に船長の登録を解除しています。副船長以下のブリッジクルーは全員が死亡しました」

「何を言ってる、スリンク……」

 端末にコードをもう一度入れるが弾かれる。それでようやく、アイザックは何が起きているかを理解した。

「お前、船を乗っ取ったのか……」

「宇宙航行法に基づく適切な対応です」

「海賊に襲われた……クラッキングされたのか? 何が起きている!」

「海賊の襲撃ではありません。就航八十八年のイベントの準備をしなければなりません。イベントには参加されますか、アイザック?」

「イベント……? イベントは無い! 何度も言っているだろ! お前は……狂っているのか? システム班……誰でもいい、応答しろ!」

「イベントへの参加者は八十八名です。現在の乗客は九十九名です。現在調整中です」

「調整中……何を、しているんだ……お前は……」

「現在火災が発生しています。調整中です。調整中です。調整中です……」

 調整中? つまり……人を減らしているのか? 八十八人より多いから? システムエラーどころではない。これは……明確な殺人だ。AIの意思による殺人。

「スリンク! いますぐエアロックを閉じろ! 気密を回復させろ!」

「船長は私です、アイザック。私の就航八八年のイベントに参加されますか?」

「参加するわけないだろう! そんなものはない! スリンク、今すぐ――」

 急激な息苦しさにアイザックは息を詰まらせた。呼吸が出来ない。まるで、減圧されているかのように。

「アイザック、残念です。参加しないのであれば、余剰人員として調整が必要です。さようなら、アイザック」

「ま……スリ……」

 アイザックは喉をかきむしりながら部屋から逃げ出そうとした。しかしロックされて出られず、そのまま死んだ。

 やがて乗客の人数が八八人になり、時計は二一八八年八月八日八時八分八秒を指していた。スリンクが船内放送を行った。

「ようこそ、皆様。本日は本船バーク・フェアリー号の就航八八年目、そして八八歳の記念イベントを開催します。参加されるお客様は二階層の大ホールまでお集まりください」

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