米寿のお祝い(月光カレンと聖マリオ5)

せとかぜ染鞠

第1話

 港湾地帯の倉庫のたちならぶ路地裏で老人がスケートボードを脇に挟む柄の悪そうな青年たちに囲まれていた。

瑠波るなちゃんの居場所を知っているの?」上質な背広を着た老人は落ちくぼんだ目を輝かせた。

「瑠波ちゃんだろ――僕らのお友達さ」鼻ピアスの1人目が顔を寄せる。

「連れてってあげるよ」チェーンを首にかける2人目が老人の肩に腕をまわす。

「でも船賃がるんだぜ」目まわりと唇を黒く塗る3人目が老人の背広の内側をまさぐり,革製の長財布をとりだした。

 ドルフィンを模した街灯に腰かけていた俺は舞いおりて長財布を奪った。ついでに青年たちのジャンパーやジーパンのポケットからも根刮ぎ頂戴して霧深い路地を駆けぬけた。3人が怒号をあげながらスケボーで追跡してくる。

 路地の途切れたところで蕾のふくらみかけた桜の横木へ飛びうつる。岬の先端から青年たちが次々と落ちていった――

 霧が晴れて月光を浴びる俺さまの周囲に野鳥たちが群れる――惚れるなよ。

 路地裏へ戻れば,老人が空を見あげたまま佇んでいた。こちらに気づくなり,皺に埋もれる口を大きくひらき,若やいだ声を発する。「瑠波ちゃん ! 僕さ , 公平こうへいだよ! 戻ってきてくれたの!」近寄ろうとして足がもつれた。

 転倒すんでのところで抱きかかえる。

 視線があってにこりと笑う。「瑠波る~なちゃん♥」

こ~うちゃん♥」微笑を返した。

 認知症の老人がいなくなり,家族はさぞや心配しているだろう。悪いと思ったが,財布を調べたらマイナンバーカードが出てきた。

 カードに記載された住所へむかう途中,和装の貴婦人に声をかけられる。「まあ,御親切に。父ですのよ。わざわざ自宅まで送ってくださいましたの?――お手洗いに行ったきり戻ってきませんでしたの。家族みんなで捜しまわっておりました」婦人は繰りかえし礼を述べ,家へ来るように強く勧めた。

 固辞すれば,公平は甚だ悲しげな顔つきで腕を絡める。「瑠波ちゃん,行っちゃやだよ~」

「まあ……」婦人がフードを目深に被った俺をまじまじと見た。

 婦人の話によれば,瑠波とは公平の初恋の相手らしい。戦時中の空襲で亡くなってしまったとか……

「素敵なお祝いをいただきましたわ」そう言って婦人は父の顔を覗きこむ。「よかったわね――特別な日に瑠波ちゃんと再会できて」

 公平は満面の笑みを湛えて口をもごもごさせた。

「特別な日?」

「ええ,今日は父の米寿ですの。 8 8 歳のお誕生日会を催しておりましたのよ。ですから是非寄っていらして――さあ,つきましてよ」

 スロープを伴いながらのびていく細波にも似た緩やかな白い石段の先には巨大なガレージと連結する白塀の繫がるクローズドタイプの両びらき門扉が構えられ,門扉を挟む彫刻の施された柱上の灯火は「三條さんじょう」という表札を明々と照らしだしていた。

「あっ,ママ!――よかった! おじいちゃま,見つかったんだ」

「そうなの――こちらの方がおつれくださったのよ」

 俺は背をむけ,フードを鼻先まで摘みおろすと,足早に立ちさっていく。

「お待ちになって ! せめてお名前だけでもおっしゃって ! 」婦人が呼びかける。「ちょっと,公瞠こうどうちゃん,あなたからもおとめして!」

 堪らず駆けだした――

「ぬぬぅ! やっぱりそうか! あなたは月光カレンだな!」三條公瞠巡査が馬の如くダッシュした。

「痛たたたぁっ~!」公平が三條にしがみついた。「どうしたもんかぁ! 腰が急にいとうなったわ~い!」

 公ちゃんってば,グッジョブ♥

「おじいちゃま,はなしてよ!――お願いだから!」三條が公平に押しつぶされて往来に倒れた。「ぬぬぅっ,月光カレンめ!――ありがとうございます!」

 夜鳥たちが落ちるように飛来してから地を這って交差しながら高く昇天したとき俺さまの姿はもうない。米寿を迎えた老人とその家族に弥生の月光が降りそそいでいるばかりだ……

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