第4話 時は流れ
わたしの名前は矢島豊子。試験が始まってまずすることなんて、何も覚えちゃいませんよ。実の母からこの「ヤシマ商店」を継いで約15年。近所の子供と老人が駄菓子やカップラーメンを買いに来る程度、ほとんど固定のお客様しか相手しない気楽な毎日だ。近くに高校があるけれど、たまの運動会の時なんかに賑やかな声が聞こえてくる程度でなんの接点もなかった。今時の高校生が、こんな寂れた商店に興味を示すことなどない。そもそも駅と反対方向だし。レジの前に腰かけ、新聞を眺める。それから傍らの置時計に目をやった。13時2分、来るとしたらそろそろだ。
「おばちゃん、きたよー!」
自動ドアがすっと開き、元気な声が響き渡った。顔を上げると、制服を着た眼鏡に2つ縛りの少女が笑顔で立っている。制服も笑顔も全てが眩しくて、老眼鏡の奥で目を細めた。彼女は岩本奈子、今年の1月に知り合った少女だ。
「いらっしゃい。うん?今日はもう一人いるのかい」
「うん、友達連れてきた」
奈子のうしろから、黒髪が光るショートカットの少女が顔をのぞかせている。
「こんにちは、市川のぞみっていいます。奈子ちゃんに誘われてきました」
「そう、ゆっくりしていきな」
「おばちゃん、ここ借りるよ~」
奈子が慣れた手つきで傍らの小テーブルを引き寄せ、パイプ椅子も2つ運んでくる。あの時と打って変わって、その表情は穏やかでご機嫌にさえ見える。涙と汗でぐちゃぐちゃだったのに。ものの半年でわずかに大人びたようにさえ見えた。老年のわたしにとって、幼い彼女の成長スピードは竹と同じくらい速く感じる。正直あの時、奈子がなぜ絆創膏を欲していたのかわかっていなかった。色々と言葉を並べてくれてはいるが、どれもピンとこなかったのである。とにかく、絆創膏が無いとこの子は泣き止まないぞと、赤子をあやす気持ちで与えたのだ。そんな赤子が、数か月後に菓子折りを持って現れた時は、すぐにあの子だと気が付かなかった。あらまあ、しゃんとしちゃって。
「おかげで無事合格できました」
それから更に時が経ち、奈子は頻繁にうちにやって来るようになった。駄菓子やアイスを買って食べて帰ることもあれば、今日のように昼休みに昼食を食べにやって来ることもある。ここは居心地がいいらしい。孫と言ってもおかしくない歳の奈子が常連になるとは思ってもみなかった。毎日の繰り返しでも、続けていれば思いがけないことが起こるものである。
「ね、バトミントン部楽しそうだったね」
「わかる!先輩も優しそうだったし」
少女たちは菓子パンをぱくつきながらはしゃいでいる。何を話しているのか、やっぱりよくわからない。しかし、2人の会話を聞き流しているだけでも、気分は悪くなかった。きっとおしゃべりに夢中になって時計を見ていないだろうから、時間がきたら教えてやろう。
おわり
受験生が走る時 向井みの @mumukai30
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