曾祖母ちゃんの 思い出話【KAC2022第5回】

はるにひかる

今も何処かで。


「今週末、あんたの曾祖母ひいばあちゃんの米寿のお祝いが有るで、空けといてね」


 朝、学校に行く準備をしている時にお母さんが言った。


「はーい! 米寿って何歳だっけ?」

「八十八歳だがん。組み合わせると、“米”って感じになるじゃんね?」

「そっか、長生きだねえ。って事は、豊田の方に行くの?」

「うん、立派なお店が有るから、そこでやるって。じゃあ、鍵かっといてね。行って来ます」

「はーい」


 お母さんが用意してくれていた朝御飯のトーストを頬張りながら、曾祖母ちゃんに思いを馳せる。

 今年米寿を迎える、豊田氏の梅坪に住む曾祖母ちゃんは、1934年の戦前生まれ。

 私が住んでいるのはお父さんの実家の近くの名古屋市内だから、割と近くて、何か有ったら直ぐに行ける距離。

 でも、実際に行くのは一年でも両手で足りる位。……いや、一応両足も追加しておこう。

 今も腰を曲げながら元気に畑仕事をしている。



 そんな曾祖母ちゃんは、いつも色んな思い出話をしてくれた。

 お母さんの事、挨拶に来た時のお父さんの事、お祖父ちゃんの事、私が小さい時に亡くなった曾お祖父ちゃんの事、それに、子供の時の戦争の事。

 歴史の授業で習う第2次世界大戦の時、曾祖母ちゃんは尋常小学校に通う子供だった。

 或る日家に赤紙が来て、曾祖母ちゃんのお父さんは「お国の為に」って出て行って、曾祖母ちゃんのお母さんはそれを笑顔で見送った後、部屋の隅っこでひっそり泣いていたって。

 当時新聞に載っていた大本営発表とかでは、国威発揚だとか指揮を挙げる為だとかで良い事ばっかり書いて有ったけど、実際は違ったんだって。

 上手く行ったのは最初の真珠湾の奇襲位で、他はもうボロボロだったんだって(曾祖母ちゃんの主観です)。

 ……それで、曾祖母ちゃんのお父さんは、帰って来なかったんだって。

 空襲を避ける為の疎開先での生活は、それなりに楽しかったらしいけど、3月に名古屋で空襲が有って、怖かったって。

 豊田市にも、1945年8月14日にトヨタ挙母ころも工場が空襲を受けて、大人の人達も「お国の為なら」って復旧作業を頑張っていたんだけど、その翌日の8月15日に、終戦の玉音放送が有ったんだって——。


 お母さんが点けっ放しにしていた朝のニュースで、戦争を仕掛けた側の国で流れているニュースの話とか、その国の大統領の支持率が77%だとかやっているけれど、その調査もどこまで信じられるのだろうか。

 外向けには良い話をするに決まっているし、自分の国の軍事侵攻の正当化もする。


 話し合いで止められなかった周りの国々も悪いって言う人も居るみたいだけれど、これは「いじめられる側も悪い所がある」と云う強者の理論で。

 大前提として、最初に武力行使をした方が悪いに決まっている。周りに噓まで振り撒いて。



「ごちそうさまでした!」

 朝ご飯を食べ終わって手を合わせた私は、お皿を洗って、テレビを消して家を出た。


 私独りだけだとどれ程の事が出来るかは分からないけれど、今日こそはクラスで虐めに遭っているあの子に手を差し伸べよう。


 米寿のお祝いの席で、笑って話せる様に。


 ——曾祖母ちゃんに、誇れる私で有る様に——。

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曾祖母ちゃんの 思い出話【KAC2022第5回】 はるにひかる @Hika_Ru

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