最終話 テイスティングの時間

 己の脚とは思えないスピードと跳躍力で、コンクリートの群れを駆け抜ける。マモンの力を手にしてからは、己の欲に忠実であるほど強力な力を生むという感覚が支配していた。だからこそ、自身が今一番求める行為に一途となるほど加速は増した。

「どうだ、その身体には慣れたか?」

 同様にして、共にエクサードを追うネビロスが問う。

「あぁ。とんでもない力だが、どうにかするさ」

 既に視界には、目的地となるテレビ局の姿が映っていた。どうやらその手前に聳える小さなビルの屋上にて、ベリアルとルキフグがエクサードと衝突しているらしい。

「恐らく奴を止められるのはお前とベリアルだけだ。ベルゼブル様と俺たち6柱は全力でサポートする」

「了解した‼︎」

 全力を足裏に込めて踏み込み、上昇していたエクサードの元へ跳ぶ。その場に存在した歪な姿には、氷塊がへばりついて行動を奪っていた。フルーレティの能力により一時的ではあるが、隙が出来ていたようだ。

 エクサードの背後よりその身を掲げ、その姿よりも高度を越した辺りから全力の踵を落とした。

「……ようやく登場ですか。マモン」

「悪いが、俺はマモンじゃないぞ」

 そのまま従って地に落ちるエクサードを見守りながら、フルーレティの立つオフィス内に着地。慣れない靴につま先を合わせ、もう一度下降したエクサードを確認した。

「どのような物質であろうと、水分を含めば重くなってしまう。機動性を重視したスーツには大きな障害となるため、奴は氷塊を溶かせない筈です」

 ところどころが悪魔の侵食によって作り替えられたエクサードには、必ず隙間が出来ているだろう。その内部から水分を含むとするならば、エクサードはその氷塊を物理によって破壊する他ないだろう。

 

 勢い付いてまたもコンクリートへ衝突するエクサード。その姿を真横で傍観していたベリアルとルキフグは、天を向いていた。

「フルーレティの攻撃が効いたな。しかしマモンまで参戦するとは」

「あぁ。しかもアイツ、オレ様と同じことしてやがるぜ」

「なんだと……?」

 ベリアルは、あの場に現れたマモンなる悪魔も同様に人間を乗っ取り動いていると語った。

『つまりあの中には人間が……⁉︎』

「そうだな。だが、アイツはオレ様とは根本から違う。人間側が操作してんだよ、あの身体を……」

 信じられなかった。少し前にこの身体を動かしてみたが、己がどれだけのスペックを手に入れようと、あれほどまでの動きは出来なかったからだ。

「おっと、んなことしてる場合じゃねえな……なぁ、ネビロス」

「当然だ。よそ見をするな」

 ベリアルの声がかかった方向からは、ネビロスが登場した。どうやら地下牢での交戦を済ませたというのに、その体力は全くもって消費していないように見える。

「まずは遅刻した謝罪しろよなぁ」

「悪いが、貴様に下げる頭など持ち合わせていない」

 眼前の瓦礫が生み出した煙も数を減らし、その向こう側にゆらゆらとしたエクサードの影が映る。

「どれだけ増えれば気が済むというのだ‼︎貴様らは鼠か‼︎」

 視線を映す液晶部分はどうやら別の素材なのか、その部分だけが綺麗に破壊されていた。その向こう側に、血眼の羽島が顔を覗かせている。

「相当焦っているようだな。やはり人類から迫害されるのは怖いか?」

 ネビロスはその姿を捉えたのちに、指を鳴らして周囲に大量の人魂を呼び起こす。どれもこれも、赤黒さと青黒さをグラデーションしたような模様をしていた。なんとも美しい姿に見惚れているうちに、しっかりとベリアルの視線は前の方向へ戻っていった。

「俺がサポートする。お前が殺れ」

「あぁ、いいぜ。任せろ」

 エクサードは両腕に付着している悪魔の異形を変幻させ、またしても鑿岩機の形を造る。未だ身体は氷に包まれたままだが、そこまで行動に支障をきたしていないようにも見えた。

「行けッ‼︎」

 迫り来るエクサードに向けて魂を連弾して打ち込み、視界を奪う。意識をこちらに向けることが出来れば、ベリアルの攻撃に気付かないだろうか。

「邪魔だぁぁぁ‼︎」

 エクサードは魂によって防がれた視界の壁を風圧で吹き飛ばし、考えられていた一連が一瞬で水の泡となる。だが、行動に生じた一瞬の隙も好機だ。

「ぅおらぁぁぁッ‼︎」

 エクサードの右斜め上より、ベリアルの拳がヒットする。先ほどとは違い、顔面の一部が破壊されていることによって少しくらいなら効果が大きくなっているかもしれない。

 当然の如くベリアルの拳が向くままに押されるエクサードの首は、大きな音を立てて方向を変える。だがそれも、最後の一発とはいかないらしい。

「人類の正義にっ……貴様らのような存在は必要ない‼︎」

 エクサードが腕をベリアルに向け、焔を放つ。拳を向けたままのベリアルは、その攻撃をモロに喰らってしまった。

『おい‼︎大丈夫か‼︎』

「てめぇ……なにしやがんだぁぁ‼︎」

 依然ベリアルの身体は燃え続け、噴射される焔は段々と量を増していく。自身の痛覚をベリアルに渡しているとはいえ、玄痛が襲うほどまでにベリアルの声がリアリティを帯びていた。

『ベリアルッ‼︎』

 もう既に声も届かないのか、無我夢中にその攻撃から脱出しようとするベリアルは暴れ回る。もしかすると、ここで脱落を強いられるのだろうか。

 なんて、考えていた最中だった。エクサードの周囲三百六十度のあらゆる方向から黒い穴が現れ、その中から巨大な針を模した物体が勢いよく飛び出した。それによってエクサードは防御に徹し、攻撃の手を止めた。

「あー……助かったぜ。マモン」

「久しいな、ベリアルとやら」

 どうやら先程の攻撃はマモンによるものらしく、上空よりベリアルの隣に着地した彼はこちらに目を向けていた。

「お前、そんな感じだったっけか」

「俺はマモンの力を借りているだけだ」

「じゃ誰だよお前」

「6柱襲撃の際に一戦交えたろう」

 どうやらこの男は、当時エクサードの中身に入っていた人物らしい。反撃の狼煙を上げ、悪魔との共同戦線に出たという。

「あぁ、アイツか。何があったかは知らねえが、心強いじゃねえか」

 共に肩を並べ、再度こちらに攻撃を仕掛けるべく立ち直るエクサードに対し構える。

「……ネビロス曰く、奴を止められるのは俺たち二人だけらしいぞ」

「おいおい、オレ様超重大な立場じゃねえか」

 こちらに向けて鑿岩機の腕を向けるエクサードが眼前に迫り、すぐに攻撃が届く距離まで近づいた。

 だが、届く攻撃はエクサードのものではない。こちら側のものだ。

「うるぁッ‼︎」

「はぁっ‼︎」

 構えていた双方の拳がエクサードの身を吹き飛ばし、その攻撃によって腕が元の形へと戻る。どうやら、一定のダメージ量があれば能力をキャンセルさせることも可能に近いらしい。

「行けっ‼︎お前ら‼︎」

 叫ぶネビロスの気迫に押され、一斉に二つの影は跳び上がる。空中にてエクサードに追いついて、隙を与えることなく攻撃を構えた。

「悪魔に身を売った貴様には、もうこの社会に居場所はないぞ‼︎」

「五月蝿いッ‼︎貴様の正義を全人類の正義に置き換えるなぁぁぁ‼︎」

 蓮磨の拳が、エクサードの右肩を打撃する。今までに蓄積されていたダメージが一斉に襲ったのか、そのスーツには拳の痕がくっきりと反映されていた。

「例えこのような映像が世間に広まろうと、人類が悪魔に向ける感情は変わらん‼︎いつまでも憎まれ続けるのが貴様らの宿命だ‼︎」

「だからよぉ‼︎んなこたどうでもいいっつってんだろうが‼︎」

 ベリアルの回し蹴り。その踵がヒットした左の腰に、凹みを生み出した。

「テメェは確かに人間の脳みそ使ってっけどよぉ‼︎人類全員がテメェの脳みそ持ってる訳じゃねえんだよッ‼︎」

「ましてや人間の枠をはみ出た外道の思考など、誰も望むはずは無い‼︎」

「黙れぇぇぇ‼︎貴様らに人間が理解できるものか‼︎」

 エクサードは、恐らく今持てる全力を発揮したのだろう。全身のラインから発した青白い光が、二つの身体を直撃。電撃の類か、身体が一瞬の間いうことを聞いてくれなかった。

 その一瞬ですら、奴には充分な時間だったのだろう。両手に構えた拳が、ベリアルと蓮磨の腹に触れてその身を吹き飛ばした。互いの身は、吹き飛んだ先に聳えるビルの外壁へと衝突した。

「貴様ら悪魔が人類にどれだけ忌み嫌われていたか分かるだろう⁉︎そうでもしなければこんな技術は生まれていなかった‼︎これで人類の勝利だ——」

「いや……テメェの負けだぜ」

 全力を出し切り、嘲るように笑うエクサードは背後から声を聞く。その声の持ち主は、背後で巨大な蝿の羽根を構えて腕を組んでいた。

「ベルゼブルッ……‼︎」

「テメェの敗因。それは、全力を出し切った今のお前が俺の攻撃を避けられない事と、ここに向かう際地下牢に繋がる大穴を開けた事」

 羽島は、その言葉で思い返した。全人類に向けられた情報を抑制するのに夢中になっていた思考では、隠蔽すべきその根本へ一直線となる道を作った事に気付けなかったのだ。

「アガリアレプトによると、もう既に警察が捜査に動いてるらしいぜ。それでもお前は、それが人類の総意だからって言って安心できんのか?」

「なっ……‼︎」

 ところどころを破壊されたエクサードのスーツには、恐らく近々限界が訪れる。今更証拠隠蔽の為に地下牢を破壊することは、明らかに不可能。それどころか、まず本部へ戻ったとて間に合う筈はないだろう。

「そして、お前の敗因最後の一つだ。分かるか?」

「私はまだ負けてなどッ……‼︎」

 ベルゼブルは、巨大な羽根を羽ばたかせて風圧でエクサードを吹き飛ばす。エクサードの最後に、蝿の王は全力の笑みを浮かべて語った。

「答えは、アイツらに足場を与えた事だぜ」

 ビルを蹴飛ばし、勢いを付けたベリアルと蓮磨。その拳は、ベルゼブルの風圧に流されるエクサードに直撃し、装甲の八割近くを塵へと変換させた。

「終わりだぜ、オッサン‼︎」

「貴様の正義、喰らわせて貰うぞ‼︎」

 

 

『世間を騒がせた、DR本部襲撃事件。この裏では、とんでもない陰謀が渦巻いていました』

 未だに壁一面は、晴天を写していた。元DR乃鳥支部3課の壁は、何故かまだ修理が施されていない。

 

 あの後、動かなくなった羽島は辛うじて息をしていた。あの男は、そのまま到着した警察によって逮捕されたのだった。

 意識を取り戻した現在でも容疑を認めていないが、羽島が破壊した穴から地下牢の施設が発掘され、無事に有罪判決を食らったと報じられている。

 6柱側からは、報道のインタビューに対してベルゼブルとフルーレティが対応した。

「我々は、囚われ拷問を受ける仲間を助けたかっただけ。放送を乗っ取ったのは重大な罪として、こちら側で背負うつもりです」

 この一件に対し、世間からの評価は一択だった。地下牢の存在が露わになった事により、完全にDRを敵として認識した民衆は悪魔側を擁護しているらしい。

 ベルゼブルは最後に、人間と悪魔がもう一度共存し合えるよう支配者として務めていく。と語っている。

 

 DRの各支部は地下牢や屠殺場の存在を完璧に機密とされていた為、一切の罪が与えられていない。そういった我々支部の人間は、現在は警察との合併によって「悪魔犯罪対策課」として成り立っていた。

 DR解散によって、職を失うと怯えていた我々も安堵の息を唱えている。

 そして今日も、この乃鳥支部3課はいつも通りに過ごしていた。

「通報ありませんねー……」

 相変わらずの表情で机に突っ伏したまま暇を持て余す浦矢が、組んだ腕に顔を埋める。

「おいおい、平和に越したことはないだろ」

 隊長も変わらず、いつも通りの声で笑い飛ばした。確かに、そうぽんぽんと通報があったらベルゼブルの職務放棄を疑いたくなる。

「いやー、でも……蓮磨くんが来てから一件も来てませんよ?」

 山藁さんが、隊長の声に返した。

 あの後、本部に居た蓮磨は行き先を失っていた。そこから色々あって、この乃鳥支部3課に就く事になったのだ。

「いや……平和ならそれでいいだろう」

 椅子にもたれ、コーヒーを啜る蓮磨。彼はいつの間にか、完全にこの風景に溶け込んでしまっていた。

「オレ様的にはもっとコア食いてえんだけどな」

「隊長、ここに治安悪くしてる奴いました」

 足元でゴソゴソと動く小さなベリアルを掴み、晒しあげるように頭上へと持ち上げた。

「ベリアル、お前よく食うなぁ」

「暴食みたいに言うな。オレ様は美味いもんしか食わねえんだよ」

 そう言って、もちゃもちゃと口を動かすベリアル。嫌な予感がしてその顔を確認すると、口の周りにソースをつけて大きく息を吐いていた。

「お前またオレの昼飯食ったな⁉︎」

「おう、ごちそーさま」

「お前なぁ……」

 どうやら、今日も田舎ツアー道連れの刑を実行しなければならないらしい。仕方ないと言い聞かせて、コンビニに向かう為腰を上げた。

 すると、3課の扉が開け放たれた。そこに立っていたのは、ここ数日何度も訪れてきた姿だった。

「おーっす、差し入れ持ってきたけど、食う?」

「おおマモン、食いもんなら食わせろ」

 なんか知らないうちに、毎日甘いものを持って現れるようになったマモンがテンションの高いポーズを決めてビニール袋をベリアルに投げ渡した。

「今日はなんだ?」

「シュークリームだぜ。昨日美味い店見つけたんだ。蓮磨も食うだろ?」

 口を閉じたまま差し出した蓮磨の掌に、マモンはシュークリームをひとつ乗せる。蓮磨はそのままシュークリームを口に運び、一口を齧る。

「あ、これ中身のカスタードギッチギチに詰まってるからゆっくり食え……よ……」

 ふと思い出したように蓮磨の方を向くマモン。だが既に手遅れらしく、蓮磨の顔はカスタードに塗れていた。

「ちょっ……蓮磨くん大丈夫ですか⁉︎」

 隣の席から立ち上がった浦矢が、ちょっと笑いながら安否を確かめる。

 そんな感じで甘い匂いが飛び交う3課は、いつも通りに騒がしく日々を過ごしていた。

「なぁ、トウヤも食うだろ?」

「……あぁ。マモン、俺も貰うぞ」

「おう、食え食え!」

 ベリアルは、ビニール袋に収められた箱から二つのシュークリームを取り出して一つをこちらに渡す。甘ったるい匂いが、昼食前の胃袋を刺激していた。

 ベリアルは、先程俺の昼飯を食らって満足げな顔を浮かべていたというのにもう腹の虫を泣かせていた。

 

「さぁ、テイスティングの時間だ‼︎」

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