戻り坂

淡雪 隆

第1話

           淡雪 隆

 

     一 不思議な坂


 A県の九条郡に人口八百人程の首取村に不思議な坂がある。

 それは隣村(吉川村)との境にある『戻り坂』と呼ばれる坂である。隣村に行くには現在はちゃんと県道があり、車で行き来できる。しかし、県道が通るまでは隣村との行き来に昔の人が通っていた峠道である。

 百メートル程の高さの峠道でくねくねと細い道が続いて、七曲通りと呼ぶ人もいる。頂上に着くと、小さなトンネルがあるという。もう今では年数が経って、幽霊でも出そうな、きみの悪いトンネルである。通り道も狭くて大人二人で並んでやっと通れるくらいの道幅で道の両端は雑草が生え放題の凸凹道である。


 たまにハイキング好きの人が年に一人二人いる程度の道で、ただ何故『戻り道』と呼ぶかというと、逆説の意味で呼ぶようになったと言う。つまりこの峠道を登った人で帰ってきた人がいないと言うこと、また、隣村の吉川村から登った人も、首取村に降りてきた人もいないし、吉川村に戻ってきた人もいないと言うことで、当時の人が怖い坂だ。峠の途中に人を食べる妖怪がいる。とまことしやかに噂が広った。と言うことで『戻り道』と呼ぶようになったと言われている。大昔の事で、江戸時代の頃かららしいが。


 ところが村の人間ではない女性がこの道を登っていったらしい。首取村の畑仕事をしていた、ばあ様がみたらしい。春のことで、陽気も良くて桜も満開に咲いている。特にこの峠の頂点あたりは満開の桜の花が咲き誇っていて、とても綺麗だ。多分『戻り道』の由縁も知らない他所の人が綺麗に咲いた桜に誘われて、登っていったのだろう。その女性は、ジーンズにポロシャツ、薄い茶色のブルゾンを引っ掻けて軽装で、小さなボストンバッグを持って登っていったらしい。気候的には充分の暖かさだった。


 中腹まで登ると、何かの煙が立ち登っているのが見える。その女性、名前は高梨理恵子と言って、隣のB県から来たみたいだった。更に峠道を登っていくと、恵理子の視界に煙が大きくなった。頂上近くのトンネルの手前に煙の正体があった。竈だ! 何かを燃やしているらしく、もくもくと煙が上がっていた。竈の前にお婆さんが立っていた。腰もシャンとしたお婆さんだったが、本当の歳は七十歳位だろうか身体は元気一杯に見えた。


 理恵子は声をかけた。

「あの~、何をしているのですか?」と尋ねると、クルリと振り返り、

「おらのことけ~? おらは今、炭を作ってるだ」

「へ~、炭ですか! じゃあここは炭焼き小屋なんですか?」

「そだよ。じいさまと二人でそこにある小屋で住んでるだ。小屋と言っても結構中は広いんだよ」と右腕で指し示した。「じいさまと炭を焼いたりして暮らしてるだよ。世間のしがらみがなくて、暮らしやすいでな。しかし、炭も石炭にとって変わられて、その石炭も石油にとって変わられたけど、でもまだ炭がいいと言う人もいんだ。最近では、キャンプが流行ってるみたいで結構キャンプでは炭が重宝するみたいでな。作っては村まで降りて、売って回ってるんじゃよ。でも最近じゃ竹炭がいいと言う人も多くてね、竹炭も作ってるだよ」お婆さんの説明を聞きながら、


「へ-、竈って立て向きなんですね」 そこにはドラム缶を一回り大きくしたような円形のものがあり、その中に網を張ったり針金を通して炭になる木が倒れないように工夫がされていた。したの方に扉があり、そこから溜まった木の焼け落ちた灰などを掻き出すように、工夫されていた。

「そうじゃよ、じいさんが作ったんだべ。立て向きにアラカシ、シラカシ、コナラ、ウバメガシ等の木を長い間燃やして、炭素の塊になるまで焼くんだべ。一般の家でも作れるんだべよ」



「でもおじいさんの姿が見えないけど」

「家の裏で畑の世話をしてるよ。畑仕事、田んぼ作業等色々じゃ。あっ、来た来た、あれがワシのじいさんじゃ」と指差す方向を見たら、まだ矍鑠としたおじいさんだった。まだやっぱり七十歳半ば位だろう。


「おや、婆さんや、お客さんだべか? 若い女性とは珍しかんな。まぁ、あんた、何か急ぐようでもあるだべか? もしなかったら、家でお茶でもどうだら、婆さんやおめえは気が利かんやつじゃのう。冷たい麦茶でも出してやらんかい」

「あっ、ほんに気のきかんことで。すまんやったな、家においで」と彼女の腕を掴んで家まで連れていった。玄関をはいると家は古かったが、中は綺麗に整頓され清潔そうだった。確かに二人で住むには広くて、冬は寒いんじゃないかと思った。それを悟ったのか、

「大丈夫じゃよ。実はここまで電気がきているんじゃよ。だから何も困らんでよ。あんな風に三部屋もあるのは昔はここは旅籠替わりの宿泊所だったらしい。だから娘さんが急ぎ旅でなければ、泊まっていってもいいだよ風呂もトイレもちゃんと有るから」

「本当にいいんですか?」

「勿論いいだべ、宿賃も要らないんだべ、ところで名前を聞いてなかったな。ワシはトヨというだ。じい様は山田芳蔵ってんだ。あんたは?」

「あっ、私は高梨理恵子ともうします。隣のB県から来ました」

「理恵ちゃんかい、かわいい名前だ」トヨお婆さんはニコニコと顔をくしゃくしゃにして笑った。

「そうじゃ」と言うと、トヨ婆ちゃんは、私の手を掴んで外に連れ出した。理恵子は何なのだろうと不思議に思いながら、手を引かれたまま外へ出た。

 

   二 桜の下で


 私和外に連れ出すと、トヨ婆ちゃんは、

「ほぅれ! 観てみろや。勿論気がついとったと思うが。廻りを見渡してみろ。すごい綺麗じゃろ。廻りは桃色の桜の花で一杯じゃろ、今がここじゃ一番綺麗な時たい」確かに桜の花が綿雪のように降り注いでくる。何て綺麗なんだろう。異次元の世界に来たように感じる。理恵子もつられて、くるくると身体を回して、その荘厳な桜のなかで舞った。トヨ婆ちゃんは、

「そうじゃ、理恵ちゃんは、『満開の桜の木の下で』と言う言葉を知ってるかい。坂口安吾も小説にした言葉じゃ。聞いたこと無い?」理恵子は、

「はぁ、知りません」と答えると、

「そうかい、まぁ、どうでもいいことじゃな。ワシが好きな言葉なのじゃ」

暫く桜の舞を眺めていたが、

「さぁ宿に戻ろう。泊まるじゃろ?」

理恵子は躊躇っていたが、

「じゃあ、お言葉に甘えて泊まらせて貰います」トヨ婆ちゃんは”うんうん"と頷いて、二人とも家の中に戻った。

「あらまぁ。もうお昼を過ぎてるだ。そういえば他ょっと暑くなってきたと思ったべ。理恵ちゃん暑くなったらから、上着を脱いでも丁度いい塩だべ。それにお昼の支度を直ぐするからね。あの囲炉裏のところで座って待ってておくれ。勿論囲炉裏の火は落としてあるから。大丈夫だべ」

「はい、そうします」と言って、四角に組んだ囲炉裏の一面に座って待った。暫くするとトヨ婆ちゃんは、お昼ごはんを持ってきた。ごはんにお汁に何か軽く焼いた肉を少しと何か一品付け合わせを恵理子の前の膳に置いた。

「ご飯は釜で、炊いたご飯だよ、さあ、早くお食べ若い女性には口に会わねえかもしれないかもな」

恵理子は釜で炊いたご飯なんて初めてだった。それにおかずは野菜ばっかりだろうと思っていたのに………一口たべ始めると、

「トヨ婆ちゃん! このご飯美味しい!」お婆さんはニコニコして見ていた。

「お釜で炊いたご飯は美味しいだろ、特にお焦げのところが美味しいんだよ。そのお肉もたべてみてごらん」

恵理子は恐る恐る肉を少し齧ってみた。そして、佃煮も。

「美味しい! このお肉はさっぱりしていて柔らかいし、この佃煮も食べたことの無い絶妙の味ですね」

「そかね、そりゃあ、良かった。そのお肉はね塩コショウだけで猪の肉を焼いたものだよ。佃煮は鹿の肉を佃煮にしたもんだべ。意外とおいしいだべ? 若い人の口に会って良かったよ」

「うん美味しいよ! 猪や鹿の肉なんて始めてたべました。美味しい!」

「そうかい、そうかい、そりゃあ、喜んでもらって良かったべ」


 恵理子は急いで真ん中の個室に何かを取りに戻った。恵理子は赤いカバンからスマートフォンを持ってきて、写真を撮り出した。

「後で桜の景色と炭焼きの竈も撮っていいですか?」

「勿論いいだべ、でもここは圏外だから電話は使えないよ」

「はーい、解りました」恵理子は喜んでお昼を平らげた。

「あ~~、美味しかった。御馳走様でした」

「はいな、ごあいそさん!」トヨ婆ちゃんは、満足そうに後片付けを始めた。恵理子は満足で仰向けに寝転んだ。そこに芳蔵さんも入ってきて、

「婆さんや、俺にも昼飯を食わせてくれよ」と、空いた四隅の一面に座った。

「解ってるよ、ちょいまつべ」じいさんのお昼を運んできたお婆さんは、上着を脱いで、寝転んでいる理恵子を見て、

「あれ~、恵理子さん❗ どうしたんだべその両腕に青アザがたくさんあるけんど? まさか、あれかDVっちゅうやつかね。旦那にやられたんか? 恵理ちゃん、あんた、相当しんどい思いをしてるんじゃなかか。男に負けるじゃなかよ」恵理子は、はっ。として両手を組んで隠した。

「実はその通りなんです。私は殴られても、殴られても、あの人が好きだったからずっと我慢してたんですが……」

お婆さんが、悲しい目をして恵理子を眺めていたが、

「我慢なんて、するもんじゃなかよ❗ 男なんていくらでもいるもんだ」

「でも、私にはあの人しか考えられなかったんです。大好きだったんです」恵理子は泣きながら呟いた。

「そうかい、あんたも辛い思いを続けていたのかね」トヨ婆ちゃんは、優しく声をかけ、恵理子の背中を優しく撫でた。恵理子は堪えきれずに、

「実は、私は遂にこの暴力に堪えきれずに、夫を刺し殺しました。今指名手配までされて、逃げている途中なんです」トヨ婆ちゃんも芳蔵じいちゃんも目を大きく広げ、口をアングリと開けてため息を着いた。そして二人は鋭い眼差しで目を交わした。婆さんは、

「そうだつたのかい、そうかい、余程辛かったんだね! まぁここなら誰も来ないし、ゆっくりしていけや。でもねどんな理由があろうと人を殺す理由にはならないよ、特に人間ならね」恵理子はとどまらない涙をハンカチで拭うと、

「私、外で写真を撮ってくるね」と、二人から逃げるように。外に走り出た。『満開の桜の木の下で』美しい桜をたくさん写真に撮り、煙を上げている竈に近づき写真を撮り出した。


 --そうだ、ただでお世話になっているから、竈のしたに溜まった灰を掻き出しておこう--


 そう考えた恵理子は、灰を掻き出す竈の下方にある灰を掻き出すための扉を開いて、灰を書き出し始めた。すると中から白い固いものが灰と一緒に出てきた。

「あれっ、何だろうこれは?」と、摘まんでみると、骨の燃えかすだった。恵理子は更に掻き出すと、長いものも一緒に出てきた。恵理子はその骨を見て、なんとなくゾッとした。"ま、まさかね”人の骨じゃないよね。と考えた。掻き出し棒でコツンと叩くと脆くも崩れる。そういえば、恵理子は先程のトヨ婆ちゃんとの会話に違和感を覚えたのを思い足した。例えば”圏外"携帯なんて遣ってないのにどうして解ったの? "DV"新聞もTVもないのに、どうしてそんな言葉を使ったのだろう? そして、"特に人間ならね”と言った言葉。一体あの二人は何なのだろうと違和感を覚えた。

 

   三 何処へ


 二人に猜疑心を抱き始めた恵理子がじっと立ち止まっていると、

「恵理ちゃん! 何してるだ。お客さんはそんなことしなくてもいいんだよ」と言って駆け寄ってきた。恵理子は思いきって聞いた。

「トヨ婆ちゃん、灰の中に骨があるんだけど、どうして?」

「あぁ、それは猪や鹿の骨だよ。捨てるところがないから、一緒に燃やしたんだよ」

 恵理子は信じがたかった。猪や鹿の骨にしては、太いと思ったからだ。でもそれを信じたように振る舞い、

「な~んだ、そーなのか」と無理に笑顔を作った。




  そして、一週間が過ぎた………。



 戻り道を首取り村の駐在所の巡査が汗をふきふき登ってきた。

「やあ、トヨ婆さんと芳じい! 元気何してるか」と声をかけてきた。

「あれっ、お巡りさん。珍しいな。一体どうしたんかね?」と、二人揃って答えた。

「今日は職務で来たんだよ。誰かここに来なかったかい?」

「何でだべ」

「今指名手配の殺人犯を探してる班だ。この峠を通らなかったかなと思ってな。このポスターの女だ!」

 それを受けとると、

「こええな~、こんな美人の女が殺人犯かい? 世の中変わっただな~ でも残念ながらこんな人は通らなかっただな~、見かけね。おら達の知らないうちに、隣村までトンネルを通って行ったんじゃないけ」

「そうかい、隣村ならおらの管轄外だから、駐在所に戻るべ、なら二人とも元気でな」そう言って、巡査は来た道をテクテクと戻って行った。


 戻って行ったな、じいさん。

 あぁ!

 と、二人は心の中で会話した。家の中には赤いバックがポツンと残っていた。


             (了)

 

 

 

 

 


 

 








 


 

 








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戻り坂 淡雪 隆 @AWAYUKI-TAKASHI

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