第2話 翌日の配信

「マズい。これは本当にマズい……」

 放送事故を起こした翌日、8時のこと。

 鬼ちゃんこと中山春斗はるとは、茶の髪を触りながらPCのモニターに釘付けになっていた。眉間にシワを寄せ、真っ青な顔で冷や汗を流していた。


 通知をオフにしたTwittoツイットには、全部読むことがでいないほどのメッセージが届いていたのだ。

 その内容は動画の感想ではなく、今回の放送事故について。


『お兄ちゃ〜ん。妹の作ったご飯はちゃんと食べなさいよお〜?』

『優ちいお兄たん成分をもっとちょうだい!!』

『おい! 妹くれ!』

『妹ちゃん次も出してくれ!』

 配信の感想もある。『今日も面白かったです』と。

 しかし、その嬉しい感想が霞むほどに春斗をオモチャにするメッセージが積もり積もっているのだ。


「……」

 これにはもう言葉が出なかった。ネットの怖さを思い知る。本当に重大なミスを犯してしまったのだと改めて実感する。

 春斗の場合、悪い行為である煽りをエンターテインメントとして届けてきたのだ。

 自業自得。そのことわざ通り、通常よりも拡散されるのは当然だった。


「こ、これ、次はどうやって配信すればいいんだろ……本当に。活動休止するわけにはいかないよ……」

 今回の件で休止を選べば、当然収益は減る。妹の進学費用を貯めるためにもそれだけはできない。絶対にできないこと。

 病気と事故によって他界してしまった両親に頼ることができない分、春斗が親代わりになって生活や将来を支えなければならないのだ。


「落ち着け、落ち着け……」

 自身をなだめ、次に収入源のサイトでもあるMouTubeを検索し、最近投稿した動画のコメント欄を確認する。

 チャンネル登録者数が5万人も増え、高評価数も増えていることに気づかないのは、それほど追い詰められている証拠。


 鼓動を早めながらマウスを動かすと、そこには予想していた展開が広がっていた。


『コイツ、マジで胸糞なんだけど。煽るなよクソ』

 アンチ……いや、当然のコメントに対し、『コイツは妹ちゃんのために頑張ってんだ。黙ってろ』との擁護。

 また、『この人はビジネス煽りをしています。勘違いしないようにしましょう』なんてお節介を焼いている視聴者もいる。


「……」

 確かに事実は書かれている。が、煽りをウリにしてきた鬼ちゃんにとって営業妨害をされているようなもの。

 実際、もう取り返しのつかないところまできているが、事実を広げられるのは困るのだ。


 こちらの願望はただ一つ。放送事故を起こす前と同じスタイルを続け、一定の再生回数と収入を得ること。

 今さらコンセプトを変えるようなことをすれば、最初から見てくれている視聴者は当然困惑する。

 動画や配信の軸がブレることにより、いつも見てくれる視聴者が離れる可能性まである。

 収入が関わってくる分、素を出すという冒険はできないのだ。

 安定を取るなら、普段通りのスタイルでいく。これに尽きるのだ。


「とりあえずバイト行く前に弁明的な配信しないと……。先延ばしにすればするだけ活動がしづらくなるし、この状態じゃバイトに集中もできないし……」

 これは自分がいてしまった種。自分で刈り取らなければどうしようもないこと。

 活動者として戻るためにも、逃げずに戦わなければならない。


「ま、まずはご飯食べよう……。質問される内容を考えながら……」

 恐ろしいほどの動悸に襲われる今、時刻は8時。

 妹の柚乃ゆのはもう学校に行っている。


「はあ。そもそもゆーを見送りすることもできなかったな……」

 放送事故を起こした不安から、昨日はなかなか寝つくことができなかった。その結果、普段よりも1時間と30分寝坊してしまっていた。


「放送事故もしちゃったしダメな兄貴だ……本当」

 無意識な呟きを漏らす春斗は重い足取りでリビングに向かう。

「あ……」

 リビングに着き、テーブルを見るとラップされたおかずがお盆の上に置いてあった。

 そして、もう一つ。

『おはようお寝坊お兄ちゃん。ご飯は作ったからチンして食べてね。もし食べてなかったら地獄に落とします。それじゃ、学校に行ってきます! 今日も頑張ろ〜ね』

「もう……。ゆーったら」

 女子らしい丸っこい字で書かれた手紙を最後まで読む春斗は、吹き出したように笑い……真顔に戻す。


「うん。兄貴も頑張るよ」

 最後に書かれた文字を見て、一人返事をするのだった。



∮    ∮    ∮    ∮



 朝食を食べ終えた後、春斗が『昨日の件について』とのタイトルで配信の予約枠を取ったのは10時だった。

 平日の午前中というのは視聴者を獲得するには適さない時間。しかし、今回の配信理由は今まで通り配信を続けるため。ただこれだけである。


 緊張をすればするだけ時間が経つのは早いもの。

 配信の開始まで残り2分。

 ゲーム部屋に居座る春斗は、配信をスタートさせるための準備を勧める。

 1200人の視聴者が待機している中で……。

 この時間にこれだけ集まるのは異例中の異例。それだけ放送事故が広がっていることがわかる。


「ふう……。頑張れ、頑張れ……」

 ——ドクン、ドクン。

 口から心臓が飛び出しそうなほどの緊張に包まれながら迎える10時。

 春斗、いや……鬼ちゃんは震える声を配信に乗せた。


「お、おう。まずおはようさん、お前ら」

 第一声で挨拶。すると、コメント欄には『w』の文字が連なっていく。それだけではない。

『おはようお兄ちゃん(笑)』

『お兄ちゃんの配信待ってたよ!』

『お前らそんなからかうなって(笑)』

『鬼ちゃん泣いちゃうぞ! あ、お兄ちゃんか』

『声震えてるやん!』

 煽り、からかいのコメントも並ぶ。

 それに対し、すぐに反応する鬼ちゃん。


「ちょっと待て。鬼ちゃんって呼べ、マジで。……え? 鬼ちゃんの由来? べ、別になんでもいいじゃねーかそんなの。は? お兄ちゃんって呼ばれてるからじゃねえよ」

 矢継ぎばやに質問を飛ばされることはわかっていた。だが、この質問は予想していなかったこと。

 思わず口ごもってしまう。


『図星やん!』

『なんでコイツ誤魔化すのこんなに下手なん(笑)』

『おい、お前の妹くれ!』

『もう素出せよ! 俺はついていくぞ』

 冷静な気持ちを持っていれば、先ほどの質問は拾わなかっただろう。

 だが、今はコメントというものに縋りつかなければ、無言になってしまうほどの緊張感に包まれているのだ。


「あ、今のうちに言っとくけど、この枠でゲーム配信はしないからな。短い配信になるけど、タイトル通り昨日の件を話すだけだから」

 と、本題に移る。


「ってかさ、なんでお前ら拡散したの? マジで。拡散しないって約束しただろ。まとめサイトにも取り上げられるわ、トレンド入りするわ、努力する方向を考えてくれ」

『約束してないよ!』

『なんのことー?』

『普段から煽ってるからそうなるんだよ』

『初見です! って、キャラ作ってる(笑)』

 文句を言うが、なにも効いていないのが視聴者である。


「まあ、昨日の件はこの配信以降なにも触れんからな。ってか、いくら弁明しても信じてくれないし。あと、お兄ちゃんとか言ってる視聴者はふざけんな。お前らの兄貴じゃねえし」

『いや、まず弁明が無理だろ(笑)』

『あれはもう仕方ない。割り切るしかないな、お兄ちゃん』

『コイツキレたぞ(笑)』

『妹にしか呼ばれたくないんだろうな……』

 視聴者との喧嘩。これで少しずついつもの調子を取り戻していく鬼ちゃん。


「あのさ、今回の件で俺が優しいとか、見直したとかいろいろ書かれてるけど、俺はそんな偉い人間じゃねえからな。第一に偉い人間が煽るような行動するわけないだろ。……あ? 妹のこと養ってるから偉い? バカか。大切な家族なんだから養うのは当たり前だろ」

 配信を盛り上げる目的でもなく、ネタでもなく、本心から出た言葉。

 それは当然、視聴者に伝わるもの。

『おいおーい。いい兄貴感出てるぞー』

『コイツは本当になんなんだ(笑)』

『弁明したいのかもうわかんねえな!』

『こんなお兄ちゃんなら欲しいなあ』

 途端、一気に早くなるコメント欄だが、早すぎて見ることができなかった鬼ちゃんは、一度コメントを止めて目についた質問に答える。


「ん? 今日の配信は投げ銭オンにしないの? お金投げたかったって? ……いや、これ弁明の枠だからお前らを楽しませるつもりもないし、すぐ配信やめるからオフにしてるだけな。こんなことで大切なお金はもらえないよ」

『今、素出たよな?』

『最後の方は出てたな。放送事故のした時のあの優しい声だった』

『俺たちのこと妹だと勘違いしてるんじゃね?(笑)』

『てか、よくこの調子で煽りキャラ頑張ってたな……。あ、台本書いてたのか』

 その通りである。台本がなければ、視聴者を騙すことはできなかっただろう。


「え? チャンネル登録者15万人おめでとう? いや、そんな登録されてないし、このコメント一番傷つくわ。俺はまだ10万人な」

『いや、増えたぞ?』

『あの件で5万人増えた』

『見てねえのかよ(笑)』

『多分、ふて寝したんだろ』

「え? そんなに増えてるの? 嘘でしょ」

 同じようなコメントが並び、気づく。確認する。


「あ、本当だ……。え、待って……ミュートする」

『ぷっ、なんなんこれマジで(笑)』

『ミュートって!』

『もう素でいいやんか!』

『喜ぶ声出せよ!(笑)』

「う、うるせえ。黙ってろ」

 煽りの鬼ちゃん。あの放送事故の一件で、煽られる立場になってしまう。素の人間性、優しいが故の単純さがバレてしまう。


 そうして最初は10分程度で終わらせる配信が、お互いに煽り合った結果、30分も続けることになった。


「……まあ、昨日はいろいろあったけど配信スタイルはこのままで行くから。そもそもこっちが素だし、これは真面目な話な」

『正直素で攻めていいと思うけど、妹の学費を稼ぐためには仕方ねえのかなあ』

『スタイル変えると再生回数とか回らなくなる可能性もあるもんね。鬼ちゃんが言ってたけど』

『これからもゴリゴリに煽ってくれ。その度に放送事故の動画見直すわ(笑)』

『煽りはほどほどにな。応援してるぞ』


「……いや、煽り行為してるんだから、そんないきなり優しくするんじゃねえよ。う、うん。じゃ、これで配信終わるわ。明日から普通にゲーム配信するから、時間があるやつは見てくれな」

『乙』

『明日煽りにくるわ! お兄ちゃんを』

『俺も!』

『体に気をつけてな』

 最後は暖かなコメントで締められる。


 春斗はマイクを切り、配信が切れたことを3回確認して大きな息を吐き出した。


「はあー。よかった……。本当によかったー! めっちゃポンコツなところ出たけど、なんとか切り抜けられた……」

 椅子に座りながらガッツポーズを繰り返す。収入源が守れた嬉しさは尋常じゃなかった。


「さ、さて……。チャンネル登録者をもっと増やすために頑張ろ……」

 今日のバイトの時間は15時から。

 春斗はすぐにABEXを起動させ、動画投稿用に画面の録画を始める。


 そのまま配信をつけず、プレイベートでABEXをプレイすること1時間。

「えっ!?」

 鬼ちゃんは驚きの声を上げてPCに顔を近づけていた。

 戦闘前の味方プレイヤーが表示される画面に、『Ac_Ayaya』のIDがあったのだ。


「え、偶然? 凄……。やった」

 今回の味方は普通の人ではない。

 プロゲーミングチーム、Axcis crown所属。チャンネル登録者数30万人。個人で活躍している女性Vtuberなのだ。


 鬼ちゃんはまだ知らない。あややが配信中であることに。

 向こうの画面にも、『Oni_chan』の文字が表示され、あややのコメント欄は大きな盛り上がりを見せていた。


 そして、鬼ちゃんとあややは初絡みではない。

 とあることで以前、コンタクトを取ったことがある相手なのだ。

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