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 がたがたと揺れる馬車の中、目を閉じた私の頭の中は、暗殺計画のことで一杯になっていた。能力を使ったこともあってか、昂っていて寝付けそうにない。眠ることを諦めた私は、目を開けてぼんやり窓から外を眺めた。にぎやかな通りを走っていると、通りに停まっている馬車に、見知った男性が乗り込むのが見えた。


 明るい金髪に豪奢な装い、恰幅のよい体つき――コリングウット氏だ。その妹を思い浮かべてふと場違いな疑問が浮かんだ。ずぶずぶと沼にはまり込むようにいやな考えが頭を占めていく。きっと聞かない方がいいのに、尋ねずにはいられなかった。


「あの……お聞きしてもよろしいですか?」

「あぁ、もちろん。なんだろうか」

 身を起こして公爵に言うと、彼が心配そうにこちらへ体を向けた。


「その、確かめておきたいだけなんですが、コンスタンス様とのことで……」

 彼女の名前を出すと、公爵の顔は不快そうに歪んだ。蒸し返されたくないのかもしれないが、止める様子もないのでそのまま続けた。


「そういう……は、コリングウッド家のヘレナ様とも?」

 自分から切り出しておきながら、なんてはしたないことを聞いているんだろうと、顔が熱くなった。それでも聞かずにはいられなかった。関係があったのだとしたら、彼女のあの執着度合いも納得できた。


「なっ」

「す、すみません」

 公爵の黒い目がかっと見開かれた。やはり怒らせただろうか。信じられないというような顔で口を開いた公爵は、怒られるかと身構える私を見て、口を閉ざした。


 一呼吸おいた公爵が、落ち着いた声で再び話し出した。

「彼女とはなにもない。それにまだ子どもだ。手を出すわけないだろう」


 説き伏せるような公爵だったが、彼の倫理観に感心する余裕はなかった。『子ども』という一言が私の心をえぐった。ヘレナ様は私の二歳年下で、成人まであと一年。私は一応成人を迎えてはいるが、君も子どもだと宣告されたような気がした。――特に、コンスタンス様にお会いした後では。


 再び車内に沈黙が落ちる。沈黙に耐え切れなくなった私は、性懲りもなくまた口火を切った。

「あの、あの子犬たちが例の『かわいいやつ』の子どもですか?」


 彼の言葉を引き合いに犬のことを聞くと、少し雰囲気が和らいだ。子犬たちはやはり例の犬の子どもだった。親犬は随分悪戯好きなようで、陛下を困らせているらしい。


 思いのほか盛り上がった会話が落ち着いたところで、緩やかに馬車も止まり、御者が到着を知らせた。先に降りた公爵が再び手を差し出す。うやうやしく私を下ろす動作が落ち着かない。


「あの、人目もないですし……」

 そんなに丁寧にしてもらわなくても構わない。そう暗に伝えようとすると、公爵が差し出す手にのせたままだった私の右手がぎゅっと握りこまれた。


「私がそうしたいんだ、リンジー。君が許してくれるなら」

 それは婚約者の義務としてだろうか。喉まで浮かんだ問いは発せられることはなかった。笑みをたたえてこちらを見つめる黒い瞳に、なにも言えなくなった私は視線をそらした。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 翌日、これまで連続して能力を使い続けていた私には、念のために丸一日休みが与えられた。もうかなり能力に慣れたのか、体は回復していた。試しに周りには黙って少し力を使ってみても、だるさがあるくらいだった。


 能力の確認後にはすっかり時間を持て余してしまった。せっかくの晴れた夏の日だが、メアリは間が悪いことに休みで、私はいつもよりさらに手持ち無沙汰な状態だった。


 暗殺計画や皇弟と教皇の企みなど、重大な出来事が差し迫っているのに、頭に浮かんでくるのは公爵のことだった。これまでのことを整理するつもりで卓上に広げた羊皮紙の隅に、小さくオリバー様のことを書き出してみる。


「好きなことは乗馬、得意なことはダンス。ご兄弟はなし、多分。それから――」

 出会った頃のことを思い出しながら、ペン先を黒いインクに浸してかりかりと文字を綴った。


 愛馬の名前はアドニス。陛下と将軍、執事とは長い付き合い。特に親しいお友達はリチャード・プルマン様とハロルド・アンダーソン様で、彼らとは学園で同窓。――コンスタンス・ドノヴァン様も。子どもは恋愛対象外で、怒るととっても怖い。


 そこまで書いて、公爵が兄を私の恋人だと勘違いしていた頃のことを思い出して身震いした。不貞を責める彼の口調は鬼気迫るものがあった。それでも、誤解が解けてからはきちんと謝罪をしたうえで、誠実に接してくれている……と思う。


 取り留めのない話も最後まで聞いてくれるし、聞いたうえで彼の感じたことを話してくれる。初めて会った時も、宮殿での四阿でも、いつだって私の考えを大切にしてくれた。あまり口数が多い方ではないけど、気安い人の前では時々冗談も言う。それでもって笑うと――


(笑うと、雰囲気がやわらかくなって、一層かっこいい……)

 そこまで考えて正気に戻った私は、恥ずかしくなってペンを置いた。なんて馬鹿なことをしてるんだろう。インクだって紙だって高価なのに。


 書き出した文章はほんの数行で終わっている。最近になってようやく会話らしい会話を交わせるようになったものの、私はオリバー様の個人的なことはほとんど知らないのだと思い知らされた。


 家族のことや食べ物の好き嫌い、子どものころはどんな子だったかとか、一緒に過ごしていれば分かる、なんてことないことが気になった。こういう、ぽっかりとできた休みの日にオリバー様はどう過ごすのが好きなんだろう。一年のうちで好きな季節はいつだろう。


 そんなことを考えながら羊皮紙を眺めていると、唯一ある女性の名前で目が留まった。『コンスタンス・ドノヴァン』――彼女とのことでは、腑に落ちないこともあった。不貞についてあれほどの嫌悪感を抱く公爵が、既婚者である彼女と関係を持っていたことへの違和感がどうしてもぬぐい切れなかった。


 公爵の両親は離縁なさっている。権威あるガーフィールド家の不祥事だからかなり話題になったが、本当のところの離婚の理由は公にはならなかった。双方ともご健在のはずだが、私は顔を合わせたことがない。


 訳ありとはいえ、婚約したのに挨拶さえしたことがないというのはかなり異例だから、もうほとんど家族の縁は切れてしまっているのかもしれない。公爵の不貞への嫌悪感はご両親のこととなにか関係があるんだろうか。


 ふと別の考えが浮かんで、胸がずきりと痛んだ。公爵は否定していたが、やっぱり彼女のことを愛しているのかもしれない。堂々巡りをしてため息をつくと同時に、部屋の扉がノックされた。返事をして、くだらない落書きをした羊皮紙を急いで丸めて引き出しにしまうと、ほぼ同時にマーティンが部屋へ入ってきた。


 メアリの代わりに、白髪の執事が卓上に香りのいいハーブティと菓子を並べ始める。手際よく整っていく卓上を目で追いながらも、私羊皮紙に書いたことを考えていた。


 いつもよりも薄い色の液体で満たされたカップを手に、口もつけずにそんなことを考えていると、マーティンが話しかけてきた。

「出過ぎたことですが……。なにかお悩みですか?」

「え、いえ、そんなことないわ」


 また顔に出ていたのだろうか。私は慌てて否定して取り繕うようにお茶を飲み下した。

「そうですか、それは失礼を致しました。お供してもよろしいですか?」

「もちろん、うれしいわ」


 公爵にはごくまれにくだけた態度をとるものの、基本的にきちんと立場をわきまえている彼が、同席を申し出るのは珍しいことだ。しかし時間を持て余していたので、同席はありがたかった。


 少し距離をとって腰掛けた執事は、他愛もない世間話をしながらお菓子をつまんだ。メアリに負けず劣らず、執事もおいしそうにお菓子を食べる人のようだ。


 ほくほく顔で口を動かす執事になぜだか癒されながら、この執事なら秘密を守ったまま、公爵のことを教えてくれるかもしれないと思い直した。

「あの、誰にも言わないでほしいのだけれど……公爵のご友人で、コンスタンス様って知ってる?」


 そう切り出すと、お菓子へと伸ばされた手がぎくりと止まった。その手を引っ込めた執事は渋い表情でため息をついた。

「えぇ。存じ上げていますとも。お尋ねになるということは、知ってしまわれたんですね」


 遠回しに聞かれた問いに頷くと、少し黙った執事は、全て婚約前のことだと念を押してから話し出した。

「オリバー様とドノヴァン夫人は、元々学園で仲のいいご友人でございました。卒業してからしばらくして、狩猟の場で再会されたと記憶しております」

 聞けば、二人は共通の趣味である乗馬を通して再会し、時折逢瀬を重ねるようになったらしい。


「そう、だからあの時……」

 乗馬と聞いてようやくぴんと来た。初対面の時、彼女が私に乗馬を嗜むか聞いたのは、公爵との時間を邪魔される可能性があるか、探りを入れたかったんだろう。それに狩猟の集まりの時、マーティンが見送りを早々に切り上げたのも、二人のことを私に気付かせないためだったのだ。


「ほかにもその、幾人かいらっしゃったの?」

「え、えぇ。すべて清算なさいましたが……」

 気まずげにいう執事の口ぶりはいまいち歯切れが悪かった。


「もちろん感心できる話ではありませんが、坊ちゃんがその、きちんとした恋愛をなさらないのには理由がございまして」

 庇うような口ぶりで告げられたのは公爵家の内部事情だった。ご両親の離婚になにか関係するのでは、という私の予想は当たっていたが、現実は予想の斜め上を行っていた。

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