力と節制

1


 演奏会の後、帰宅して床に就いた私は、じんじんと疼きだした肩の傷が気になって、なかなか寝付くことができなかった。目を閉じても、計画にアーサーお兄様が加わることや家族のこと、私が果たすべき役割のこと……考え出すと止まらなくなって、まんじりともせずに夜を過ごした。


 窓からうっすらと光が差すころ、ようやくとろとろと浅い眠りについた私はノックの音で再び目を覚ました。狩猟で負傷して以来、神経質になっているメアリかもしれない。起き抜けの頭でそう考えて返事をすると、部屋へ入ってきたのは公爵だった。


「オ、オリバー様、」

 予想外の訪問に慌てて身を起こそうとすると、肩にぴりっと痛みが走った。公爵はその様子を見て足早に寝台に向かってきた。

「そのままでいてくれ、こんな時間にすまない」

 そう言うと公爵は椅子を持ってきて枕元に腰掛けた。


 差し出された水を飲んで一呼吸つくと、公爵が話し始めた。

「君に許可をとっておこうと思って。医師を呼んでも構わないだろうか」

「どうして……」

 傷が痛むことが分かったのだろう? 疑問を言い終える前に彼が答えた。


「昨日、少し血の匂いがしたから、傷が開いたのかと思ってな」

 血の匂いは漏れ出していたらしい。ぼんやり考えてあの場に兄がいたことを思い出す。兄は気付いただろうか。いらぬ心配をかけているかもしれない。暗い気持ちでいると焦ったように付け加えた


「いや、その、近くでないと分からなかったし……」

「そ、そうですか……」

 近く、と聞いてようやく馬車の中で泣きついたことを思い出した。確かにあの距離なら匂いに気付いてもおかしくないだろう。触れた体の感触のことも思い出してしまい、見る見るうちに顔に熱が集まった。


 言い訳をするように続ける公爵を止めるためにも、医師が来ることを了承すると公爵は安堵したように微笑んだ。その後もなんとなく会話は続き、独立記念式典の延期が決まったことを知らされた。狩猟の前後数日から異例の大雨が続き、帝国と王国の各所で大水が起こったのだ。


「洪水が起こった地域が落ち着いてから、というのが表向きの理由だ」

「表向きというと、他に何か理由が?」

「あぁ、水害も理由の一つだが、アレキサンダー様の体調を慮ってのことだ」

 公爵の返答に納得がいった。確かに回復したとは聞いているが、あんな襲撃のすぐ後では周囲は不安だろう。


「皇太子のお加減はいかがですか?」

 何気なく聞くと、それまで穏やかに話していた公爵がぐっと黙り込んでしまった。

「すっかりお元気そうではあるが……君を見舞いたいと仰せだった」


 元々低い公爵のお声が、最後の方に至っては地を這うような低さになってしまった。どうやら皇太子の話題は禁物らしい。もうへまはしまいと、私は身を小さくして見舞いは断ったという公爵の言葉に神妙に頷いた。なんとなく気まずい雰囲気の中、公爵は仕事のために屋敷を離れた。



 昼頃にマーティンが医師を連れてきた。執事は医師を紹介すると、メアリに目配せして部屋を出ていった。医師は小柄な男性で、メアリが控える横で私は肩口を晒した。


 包帯を外した先生は傷口を観察し、脱脂綿になにやら液体をつけた。つんとした消毒のにおいが鼻をついた。

「なるほど……塞ぎかけた傷口が開いてしまっていたようですね」

 言葉とともに患部に脱脂綿がそっと押し付けられ、引き攣るような痛みが走った。


 先生は傷口を満遍なく拭った後で、新しい包帯を手元に広げ始めた。

「治るまでまだかかるでしょうか?」

「ほとんど治りかけのようです。しかしご無理をなさると跡がひどく残りますよ」

「気を付けます」


 たしなめるように言った後、処置を終えた医師は執事を呼んで、話しながら部屋を出ていった。その背中を見送りながら、真っ白い包帯の巻かれた肩を見つめた。傷跡のことを全く考えていなかった。


 今後、肩のあいたドレスは着られないかもしれない。もともと華やかなドレスを選ぶことは少ないが、着られないとなるとなんだか惜しい気持ちになった。


 そもそも着飾ることも、使用人で働くことを考えてから避けるようにしていた。立場が変わってからも、なんとなく公の場に出るときくらいしか身だしなみに気を使っていなかった。


 メアリに香水を勧められたこともあったが、元々つける習慣はなかったし、そんな高価なものを使いこなせる気もしなくて断っていたのだ。あの時頼んでいたら、血の匂いに慌てることもなかったかもしれない。


「香水とか、つけてみようかしら」

 ぽろっとこぼすと、そばで世話を焼いていたメアリがぱっと輝いた。

「本当!? いいじゃない。もったいないと思っていたのよ、せっかく公爵家にいるのにって」


 うっかりこぼした言葉にメアリは思った以上に食いついてきた。あれよあれよという間に香水とドレスを買い出しに行く計画が練られてしまった。許可をとることを思うと気が重かったが、彼女の嬉しそうなをみてるとまぁいいかと思うのだった。


 夕刻になって帰宅したらしい公爵は、私を温室へ呼び出した。前回のように温室の入り口までマーティンに案内してもらい、一人で温室へ入って奥へ進んだ。まだ日はあるが、温室にはところどころに蝋燭が置かれ幻想的な雰囲気だった。前回食事をした卓まで来ると、公爵の横にもう一人の人影が見えた。


「やぁリンジー、いい夜だね」

 長い脚を組んで椅子に腰かけた美しい青年が、赤い液体の入った杯をくゆらせた。この方はなんだっていつも驚かせる登場をするのだろう。

「ごきげんよう、国王陛下」


 卓上には豪華な食事の用意が済ませてあった。空いた席に着くと陛下自らが手酌で葡萄酒を注いでくれた。


「昨日は悪かったね。今日はお忍びで来たんだ。食事でもしながら能力の話でもしようかと思って」

 そう言いながら注ぐ手つきは危うげで、グラスはなみなみと満たされてしまった。


「それじゃあ、愛し合う二人に!」

 陛下がにっこり言い放って杯を上げた。この御方はまだその張りぼてを持ち出すのか。やけになって同じようにしてオウム返しに繰り返すと公爵の呆れた声もそれに続いた。


「暗いな、婚約者たち」

 ぶつくさと文句を言いながら陛下は食事を始めた。盃を傾けると公爵が止めるような素振りを見せたが、気付かないふりをして口をつけた。実家の侯爵領は寒さが厳しく、女性でもお酒を嗜む習慣があった。私もお酒に弱くはないし、重大な話を聞く前に気分を和らげたい気持ちだった。


 いつ切り出されるかと気を張っていたが食事は和やかに進んだ。能力の話に入ったのはしばらくしてからだった。

「君と同じかは分からないけど、僕の場合は目を合わせることが発動の条件だ」

 話し出した陛下の青い瞳を思わずじっと見つめてから慌てて逸らすと、陛下がけたけたと笑いだした。


「君は本当に分かりやすいね、リンジー。ただ合わせるだけじゃない、なんというか……意識するんだ」

 思案しながら国王は説明を続ける。確かに私も動物がいれば無条件ではない。発動されたときは強く念じたときだった。


「そうすると目を合わせた相手の言うことが本当か、嘘か分かるんだよ」

「なにか制約はあるのでしょうか」

 公爵が質問するのを聞いて少し驚いた。陛下はまだ公爵にも打ち明けていなかったんだろうか。


「そうだな、複数人に同時には使えないね。それから、能力を使うといつも反動がくる」

「それってだるい感じと熱のような?」

「そう、君もか。それに使いすぎると鼻血がでることもあるな」

 何気なく言う陛下に、公爵がぎょっと目を見開いた。狩猟の時に意識を失う直前、鼻に嫌な感触がしたのは血だったんだろうか。アレックスにはみっともない姿を見せたようだ。


 思い返して恥ずかしさに内心悶えていると、陛下の言葉はまだ続いた。

「何度も使ううちに体が慣れるようで、反動は小さくなったな。それから能力を使える時間も伸びたし、力も強まるようで、かなり体力を使うが目の合った相手の口から、嘘偽りない本音を聞き出すこともできるようになった」


「そんなことまで……」

 自白させることができるなんて、とても役立つ能力なんじゃないだろうか。


 能天気に感心していた私に、冷や水を浴びせたのは公爵の問いだった。

「誰に試して、その者はどうなったんですか」

「……お前は婚約者の前でそんなに血生臭い話をしたいのか?」


 公爵の鋭い質問にも、陛下は落ち着き払って答えた。黙り込んだ公爵だが、葛藤を表すかのようにその眉根にはしわが寄っている。私は二人の顔をおろおろと見つめるだけだった。


「まぁ、それはさておき。君はまだ力を使った回数が圧倒的に少ないね」

「え、えぇ、二回だけです」

 急に話が振られて慌てて頷いた。


「反動が同じということは、君も使ううちに慣れるはずだ。だから来るべき日に備えて能力を使う練習をしてほしい」

「分かりました」

「人目を避けて、成果があれば知らせるように。もしものこともあるから、練習にはオリバー、君が付き添ってくれ」

 練習することに不服はないが、公爵も一緒とは思わなかった。鼻血なんて絶対見られたくないのだけど。


「彼女の身の安全は、保障されるのですか?」

 公爵は私の身を案じてくれているらしい。たったそれだけの問いがなぜだか嬉しかった。

「それを確保するのがお前の役目だ」

「……そのように」

 威厳ある陛下の言葉に、公爵は少し逡巡した後に首を垂れて答えた。


 この話は済んだようで、ほっとした私は食後のお茶の用意に専念した。陛下もお茶の支度をしたがったが、なみなみ注がれた杯のことがちらついて遠慮してもらった。


 食後の菓子をつまみながら、気の緩んだ様子で陛下がぽつりと言った。

「このことを打ち明けるのは、父以外には君たちが初めてだ」

「よろしかったんですか?」

「そうだね……先代の侯爵に似たのか。君はいっとう、愛国心が強いようだから。私は君を信じることにしたよ」


 祖父に似ている――。駆け引きの得意な陛下のことだから、単にほしい言葉をくれただけかもしれない。それでも国のために立ち上がった祖父に似ている、という言葉は十二分に私の心を奮い立たせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る