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メアリが来てくれると、それまでの閉塞感が一気になくなった。基本的に用事を終えるとすぐ下がってしまうが、食事中は終えるまで側についてくれた。給仕が必要だったわけではないし、欲を言えば一緒に食べてほしいくらいだったが、話し相手がいるだけでずいぶん食が進んだ。
「今日のメインのお魚は料理人が相当気合い入れてたわ」
「そうなの、おいしいわ」
「それにデザートは王都のお店のお取り寄せよ! 今すごく流行ってる店で普通じゃなかなか買えないんだから」
普段はつんと澄ましているメアリだが、こと食べ物に関すると熱が入るのだ。きらきらと目を輝かせて語る彼女のおかげで、食事の豪華さやそのおいしさに今さら気付かされた。
「本当にガーフィールド家にお仕えできてよかったわ」
「メアリったらおかしいわ」
真剣に言う彼女がおかしくてつい笑ってしまうと、メアリが茶目っ気を出しつつ熱弁する。
「おかしくないわ! お給料、同僚や主人の人柄、勤務地、どの程度の自由が許されるか……人の数だけ仕事を選ぶ基準があるってことよ」
規模の大きい宮殿では、城に仕える人間のための食堂があって、使用人のための食事が供される。質素ではないものの、税金で賄われる分ごちそうとまではいかないそうだ。一方、公爵家では基本的に使用人も同じ料理が賄われるらしい。甘い菓子や果物については人数分なくて取り合いになることもあるそうだが。
『食事』。私からすると拍子抜けする理由でメアリは公爵家を選んだのだった。しかし彼女の言葉は妙に説得力があった。自分にとって何が大切か、きちんと分かったうえで、最善を選択した彼女をどこか羨ましく思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ついに訪れた茶会当日。かなり早い時間に軽い朝食を済ませ、身支度を整えてもらいながら覚えたことを頭の中で反芻する。公爵の婚約者として初のお披露目だ。ぼろを出してはいけない。
今日はメアリに加え、もう一人年かさの侍女も手伝ってくれている。先輩の前ということもあり、友人としてのメアリは封印のようだ。器用な彼女はよく躾けられた侍女らしく、気配をけして如才なくふるまっていた。
「とてもかわいらしくて素敵です」
「本当に」
鏡の前で全身を確認していると、優しげな侍女に続いてメアリがにこやかに誉めてくれた。
身につけているのは舞踏会に参加した時の薄い緑のドレスだ。他に用意もないので装飾品も同じだ。髪の毛は編み込みながら、頭の下の方でふんわりとまとめてもらった。
靴も舞踏会の時に履いた白いハイヒール。そういえば公爵は踵の高い靴が気に入らないようだったから、メアリに頼んで新しいものを用意した方がいいかもしれない。
化粧だけは、流行りに敏感なメアリの意見を取り入れて、いつもより冒険してみた。少しオレンジがかった口紅が夏らしく鮮やかで、慣れないながらも胸が躍った。
ノックの後、がちゃりと背後のドアが開いて公爵が部屋に入ってきた。鏡越しに目が合って、互いにぎこちなく視線を逸らす。
「おはようございます、オリバー様」
「あ、あぁ、おはよう」
振り返って膝を折り、公爵にあいさつする。
昼の集まりなので舞踏会ほど堅苦しくないものの、公爵は濃紺のジャケットを羽織っていた。髪色に合わせているのか、胸元や袖口には少し暗い金色の刺繍が細かく入っている。頬の包帯は痛々しいものの、彼の魅力を損なってはいなかった。
「もう用意は整っただろうか」
「えぇ、お待たせしました」
少し迷ったような公爵が、こちらに一歩近づく。思ったよりも近くなった距離に、つい怖気づいて半歩下がってしまった。
気まずい雰囲気を引きずったまま、馬車へ乗り込んで出発する。雲一つない良い天気だったが、馬車の中はどんよりと重い空気が漂っているようだった。いけない、婚約者としていくんだから。つい縮こまろうとする背筋を正して自分を諫める。今から切り替えないと、下手を打ってしまいそうだった。
しばらく無言でいると、公爵が静かに口火を切った。
「茶会での振る舞いについてだが……」
「はい」
「不審に思われない程度に君の手を取る。悪いが了承してほしい」
「承知しました」
「それから――」
公爵の口から、茶会を乗り切るために付け加えられた設定が語られていく。これまで社交に出なかったことについては、私が慣れない王都で体調を崩したことになっているそうだ。
お顔の怪我については軍の鍛錬に息抜きで参加し、打ち合いが過熱した結果起こった、ということになっているらしい。腑に落ちないなと思っていたら、将軍は公爵の遠縁にあたる方で、幼いころに鍛えてもらった縁もあって今でも時折軍にも出入りしているのだと教えてくれた。
詐欺師のように口裏を合わせる二人は、婚約者には程遠く感じられた。出会いから婚約までの流れは真っ赤な嘘なのだから詐欺師のよう、ではないか。義務的な返事を返しながら心の中で自嘲気味にひとりごつ。
その後も公爵はあいさつしなくてはならない貴族の顔ぶれや、茶会での作法について話を続ける。念を押すように繰り返す彼に、にこやかに返事をしながら、どうせなら別日の謝罪とやらも今ここで済ませてくれればいいのにと思った。分かりました、そうします、心得ておきます……思い上がった考えを押し殺して発する言葉が空虚に響いた。
庭園が近づいてくるころ投げかけられた一言にようやく意識を引き戻された。
「君の姉の、ジャクリーンが渡した紙の件だが、内容を君にも知らせるべきだと思う」
予想外のことで、体ごと公爵に向き合う。没収された紙のことはもう蒸し返されることはないと思っていた。
「よろしいのですか」
「あぁ。君の母親はダールトンの息のかかった者を使用人として当家に送り込む計画を立てていたようだ」
お母様ったらなんて大それたことを、思わず固まってしまう。
「それについてはこちらで既に対処してある」
「そうでしたか……」
ということは本当に送り込んできたが阻止されたのだろうか。母の豪胆さに肝が冷えた。
「あとは姉上から茶会で会おうと。……悪いが許可はできない」
期待を込めて見上げたが、もう結論は出ているようだった。
「分かりました」
「それから君の兄弟が婚約解消に向けて動いていることは知っているだろうが……」
「どうしてそれを、」
口を挟みかけて、はたと思い至った。あの場には執事もいた。目ざといマーティンが会話の真意に気付いて公爵に伝えたんだろう。そう納得して口を閉ざした。私と兄はつくづく腹芸に向いていない。
「何をしたって無駄だ。この結婚はひっくり返らない」
表情をなくした公爵が言い聞かせるように言った。馬車の空気が一段と重くなる。
ほどなくして庭園につき、公爵が差し出す手を支えに馬車から降り立った。彼のエスコートは舞踏会ぶりだろうか。ぎごちなく見えないようにと祈りながら、左腕にそっと右手を絡ませる。触れた瞬間、たくましい腕がぎくりと固まったような気がした。
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