星月夜に人は踊る
1
宮殿の荘厳さに見とれていると、見上げるほどの高さの立派な門の手前でいったん馬車が停車した。こっそり外をうかがうと、私たちの乗り込んだ馬車の前に数台の馬車が並んでいる。どうやら門番が乗客を確認してようやく敷地内に入れるようだ。
数分待ったのちに確認を済ませ、そこからまた馬車を走らせる。庭園を抜けてようやく宮殿に到着し、馬車を降りると、すぐに身のこなしの洗練された使用人が出迎え、中へ誘導してくれた。豪華絢爛な大広間に入ると、そこはすでに華やかに着飾った紳士淑女でにぎわっていた。
天井からはシャンデリアがいくつも下がり、蝋燭の光を反射させて輝いている。人々はお酒の入ったグラスを手に談笑したり、管弦楽の調べに合わせて踊りを楽しんだりしていた。
両親と兄が国王に謁見している間に、姉と軽く食事をつまんでお酒にも手を出してみた。初めて口にするものも多く、背伸びして手に取ったお酒も存外口に合う。すれ違う令嬢の美しいドレスを見ているだけでもいくらでも時間が潰せそうだ。ぼうっと広間を眺めていると、よく知る名前が耳に飛び込んできた。
「みなさまカイル様をお見かけになって?」
そっと声のするほうを見やると、同年代くらいの令嬢が三人で話し込んでいた。そのうちの一人はどうも兄を探しているらしい。
「先ほど両親とダールトン侯爵家にご挨拶に伺ったけれど、カイル様はいらっしゃらなかったわ」
「もしかしたら軍のお仕事で今日は参加なさらないのかもしれないわね」
一人がそう答え、もう一人の令嬢が続ける。最初に問いかけた令嬢はがっくりと肩を落とした。見事な赤毛のカールもしょんぼりと揺れている。
(本当にカイルお兄様が慕われている……!)
つい姉のほうを見やると、淑女はほらね、という顔でこちらへ微笑んだ。
「落ち込むことないわ。今シーズンは他にも行事が詰まっているんだからお会いできるチャンスはまだあるわよ」
「そうよ。それに今日だってほかにも素敵な方がご臨席なさってるわ。ガーフィールド公爵にカイル様のお兄様のアーサー様――」
「そうね。カイル様にお会いする前にダンスの練習がたくさんできるわ」
二人の励ましに赤毛の令嬢は元気を取り戻したようだ。その後も今シーズンの注目の男性などを議題にかわいらしくはしゃいでいる。三人とも気性がよさそうだ。おまけのようなお兄様の扱いは少し引っかかるが。
いつまでも会話を聞いているのも忍びないので姉と目配せしてそっと広間の喧騒から離れ、空いていたカウチに腰を下ろす。深紅の布地に金糸で刺繍の施された長椅子は座り心地も抜群だ。人々の熱気にあてられ暑いくらいで、ショールを外した。姉もほんのり火照った顔を扇子で軽く煽いでいる。
「なんだか圧倒されてしまうわ……おとぎ話の世界にいるみたい」
一息ついて姉にため息交じりに切り出すと、同意の声が返ってきた。
「分かるわ。私も初めて来たときはそうだった」
「お義兄さまに出会ったのは舞踏会よね? どんな感じだったの?」
姉と義兄が出会ったころ、私は職業訓練校で寮生活をしていた。手紙では知らされていたものの、その詳細を聞いてみたかったのだ。
何度かせがむと、姉は少し恥ずかしそうしつつも話し始めた。二人の馴れ初めをわくわくしたり、はらはらしたり、胸を甘く締め付けられるような気持ちで聞いていると、ちょうど切りのいいタイミングで母と兄が戻ってきた。
「ジャクリーン、あなたの友人のマーラー夫妻が遊戯室にきてほしいって言ってらしたわよ」
「あら? そんな約束したかしら……失礼するわね」
姉は不思議そうな顔をしつつも、優雅に一礼してその場を離れた。
「ここは少し暑いから庭園でも散歩しようか」
「あら、だめよ。こちらにいらして」
お兄様の言葉に同意して腰を上げると、なぜかお母様に引き留められる。これから広間でなにか始まるんだろうか。
「お母様、またなにか企んでいますね」
なにやら思い当たったらしい兄が困ったように笑い、お母様が悪戯がばれた子供のような表情を浮かべる。
なにか思惑があるらしい母に兄が再び何か問いかけようと口を開くと、焦った顔をしたお母様が兄の後方を見やってぱっと笑顔になった。
「オリバー! ごきげんよう、良い夜ね」
「ごきげんよう、侯爵夫人。お久しぶりです」
見知らぬ男性が会話に加わり、私も慌てて席を立つ。男性の顔を見て一瞬兄が目を見開いたような気がした。
やけに嬉しそうな母が私と兄に歌うように言う。
「彼、フィオナ様の母方の親戚で、小さい時に何度かお会いしていたのよ」
「懐かしい。フランチェスカ様にはよく遊んでもらいました」
なんとも要領を得ない会話を聞きながら、ここのところ使うことのなかった脳内の貴族図鑑を必死でめくり、男性の素性を探る。
えーとえーと、フィオナ様というのは母の兄、つまり叔父様の奥様で、確か辺境伯のご出身だったはず。その辺境伯の母方の姓でオリバーっていえば――
「ガーフィールド公爵、」
そうそう、若干二十六歳の若さで当主を完璧にこなし、国王の覚えもめでたいというオリバー・ガーフィールド公爵だ。兄の呼びかけと同時に答えに行きつきぎょっとする。目上の公爵家、しかも当主を名前で呼び捨てとは…。お相手も気にしてはいなさそうだが、にわかに緊張感が体を支配していく。
公爵に呼び掛けたお兄様が丁寧に続ける。
「母が大変な失礼を。アーサー・ダールトンです。お会いできて光栄です」
「オリバー・ガーフィールドだ。構わないよ、母君には頭があがらなくてね。君の働きぶりは聞いている」
「まだまだ学ぶことばかりです。あぁ公爵、こちらは一番下の妹のリンジーです」
兄の助け舟に心の中で感謝し、なんとか絞り出すようにして最低限のあいさつする。
「ごきげんよう。リンジー・ダールトンと申します」
「リンジーは今日が初めての舞踏会なの。この子ったら緊張であがってしまって。よかったら一曲お願いできるかしら」
にこやかにやり取りを見つめていた母が公爵に問いかける。
「お母様!」
兄が抗議の声を上げるが、気にも留めずに今度は兄に指示を出す。
「あなたはあちらの伯爵令嬢と踊っていらして。結婚の話をしてものらりくらりとかわすんだから。たまにはご令嬢と交流する姿を見せて親を安心させてちょうだい」
「そんな急に言われても困ります」
なおも言い募る兄にお母様があっけらかんと言う。
「あら、困ったわね。私さきほど彼女の母親と約束してきてしまったわ」
ここまできてようやく気付いた。仕事熱心で結婚に後ろ向きなお兄様に、結婚を諦めて家を出て働こうとする私。今夜は二人に是が非でも考えを改めさせるつもりらしい。口約束とはいえ違えるのはマナー違反だ。そして貴族社会では何よりもマナーが優先される。
「諦めよう。終わったらすぐ戻るよ」
母の思惑にいち早く気付いたらしい流石の兄でも、今回ばかりはお手上げのようだ。失礼のないよう、そっと私に耳打ちすると公爵に一礼して行ってしまった。
「では、リンジー、一曲踊っていただけますか」
母と兄のやり取りを静観していたガーフィールド公爵が左手を差し出す。独身男性は令嬢と会話したら踊りに誘うのが一応のマナーだったりするのだ。これに至っては必ずではないが。
間接的とはいえ、身分が下の者から誘う無礼を気にも留めずに誘ってくれる公爵は寛大な方だ。本来なら喜んでしかるべきだろう。
「喜んで」
目の前が真っ暗になったような気分だったが、何とか笑顔を貼りつけて差し伸べられた手に右手を重ねる。
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