米田さん
ハヤシダノリカズ
米寿の妖精 米田さん
「なあ、おい、知ってるか」
「なにをじゃ」
「八十八の誕生日には、米寿の妖精ってのが現れるそうじゃ」
「妖精?」
「あぁ。まぁ、広い意味で言えばサンタクロースも妖精の類という話じゃし、米寿の妖精ってのは、妖精と言ってもジジイかババアなんだろうがな」
「妖精の見た目が子供じゃろうがジジイじゃろうがどうでもいいがよ。その妖精は何をしにくるんじゃ?」
「さぁな、『長生きおめでとう』と言いにきてくれるだけでも、一人暮らしの身にはありがたいもんじゃ」
「あぁ、そうじゃな。ワシを祝いに誰かがやってくるとか、それだけでええな」
「ワシらももうすぐ米寿じゃな」
「あぁ、そうじゃな」
二人の老人が春の陽気の下でたわいもない話をしている。
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玄関のブザーが「ビー」と鳴っている。
「すみませーん。ごめんくださーい。米田ですー。すみませーん。米田ですー」
玄関ドアの向こうから声がする。米田という知り合いを思い出そうとしながら、老人は玄関に向かう。『米田なんて知り合いはいないがな』と結論付けて、玄関のドアを開ける。
「こんにちはー!おめでとうございます、米田ですー。高山さまでいらっしゃいますよね、高山文明さん。八十八歳のお誕生日ですね。おめでとうございます。米田ですー」
高山文明はドアを閉める。
『なんだ今のは』直前に見た光景を、高山文明は反芻する。口数の多い営業マンといったよく通るその声の主は、ドアの向こうに確かにいた。営業マンとして間違いのないスーツを着て、地味なシャツに無難なネクタイをした、『米田』と自分の名前を連呼するそいつはどう見ても、人間サイズの、藁人形だった。
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「すみませーん。米田ですー。高山さんですよね。米寿の妖精、米田ですー。ドア、開けてくださいよー」
ドアの向こうで米田と名乗る藁人形はしつこく声を上げている。
『ん?妖精?……米寿の妖精と言ったか?今、コイツ』高山文明はドアの向こうの声の中から、先日の友達との会話の中で出たワードに気が付いた。子供でも老人でもないその姿に半ば呆れ、しかし、『もうすぐ行く事になるあの世ってのは、こんな変なモノが沢山いるのかも知れない。慣れておいて損はないな』との考えに至り、静かにドアを開けた。
昼過ぎのアパートの入り口の光景として、それは成り立っているのかどうか。高山文明は辺りを見渡して、近所の人間の奇異の目がこの藁人形に注がれていないかを確かめる。
「ありがとうございます、高山様、おめでとうございます。米田ですー。中に入れてもらってもよろしいでしょうか。米田ですー」
幸いなことに、近所に人影はなく、高山家の玄関の注目度はゼロである。
「わかったから、黙れ。静かに中へ入れ」
高山文明は『殺し屋だかヤクザだかが言いそうなセリフだな』と自分が発した言葉を思いながら米田を中に迎え入れた。
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高山文明と米田は小さなちゃぶ台を挟んで、それぞれ座布団の上に座っている。高山文明はあぐらで、米田は正座で。
「オマエはなんなんじゃ?」
「米田ですー」
「ええい、もうそれ、止めい。今度その『米田ですー』を言ったら、オマエの手と足と首に火をつけるぞ!」
「わかりましたー。米田で……」
「あぁ?」
米田が言いきらない内に高山文明は声を荒げ、睨む。
「すみません」
「よろしい。さて、米田さんよ。お前さんは米寿の妖精と言っとったと思うが」
「はい」
「なんでスーツを着た藁人形なんじゃ?」
「それはたぶん、日本だからです」
「どういう意味じゃ?」
「私は妖精というか、精霊というか、まー、神格が上がれば神と崇められない事もない、そういう存在なんですが」
「ふむ」
「私が司っているのが、【米】でして」
「ほぉほぉ」
「米と言えば藁が付き物ですし、人型を構成するなら藁人形……みたいな。そして、現代の日本の失礼のない恰好となるとスーツですから、こんな格好になったんじゃないか……と」
「ヒトゴトみたいな説明じゃな」
「あ、いえ、そういう訳ではないのですが。我々、その神格によって妖怪だか妖精だか精霊だか神だかになってしまう存在の、その外見的特徴は、何と言いますか、その……。自分ではどうしようもないのでございます。人々の信心や憧れや想像や妄想に左右されてしまうのですよ。例えば、弁財天様が楽器の上手な美女であり続けているのは、人々のそんな思いや認識があるからなんです」
「なるほど、おもしろい。興味深い話じゃ」
「ですので、知名度の低い私なぞは、こういった姿で精いっぱいという訳なのです」
「妖精さんたちの世界も大変なんじゃのう」
しみじみとした空気が流れている。
物の少ない四畳半間の真ん中に、老人とスーツを着た藁人形がしんみりと向かい合って座っている。
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「ま、せっかく来てくれたんじゃ。何もないが、茶でも出そう。米田さんよ、茶は飲めるのか?」
「あ、いえ、お構いなく。私はこんななりをしていますから、飲み食いは出来ないと思われがちですが、お供え物が見た目減らないのと同様に、私は目の前に飲み物や食べ物が置かれるだけでありがたいのでございます。ちなみに、私は日本酒が大好きです」
「んん?なに?日本酒を出せと言うとるのか。厚かましいヤツじゃな。まぁ、ええわい。お主がイケるクチと言うのなら、ちょっと付き合ってもらおう」
高山文明はニヤリと笑い、一升瓶と湯呑を二つ持ってきた。
八分目ほど日本酒が入った湯呑が二つテーブルの上に並び、
「それじゃ、乾杯」と、高山文明は湯呑を掲げ、
「乾杯」と、米田は藁の両手で器用に湯呑を傾けた。
「高山さんは何か欲しいモノとかありますか?」
「なんじゃ、欲しいと言うたらくれるのか?」
酒の力もあってか、少しづつ二人の心理的距離は近づいているようだ。
「ご期待に応えるのはかなり難しいんですけど」
「そうかい。ムリはするな。その気持ちだけで十分じゃ」
「高山さん、【わらしべ長者】って知ってます?」
「わらしべにアブだか何かを括りつけて遊んでおったら、物々交換で立派な屋敷を手に入れるとか、そんな話じゃろ?」
「ええ。そうです、そうです。実は、そのわらしべ、私のわらしべなんです」
「は?」
「ですから、あの物語に出てくるわらしべ、私の身体の藁なんですよ」
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米田の話すトコロによると、普通なら一般人の目にはとまる事のない米田であるが、時折、波長の合った人間には見える事もあるし、その身体に触れる事ができる事もある。わらしべ長者の主人公は、米田のその姿や存在を認識する事はなかったが、たまたま米田の身体から抜け落ちた藁を見つけて拾う事が出来たらしい。
それから、あれよあれよと事が進んで、長者になる事が出来た……そんな男が昔、本当にいたのだそうな。
「なるほどのぉ。あの話のわらしべはお主の身体じゃったか。それはなんとも感慨深いのぉ」
「えぇ。まさか、私の身体から抜け落ちた藁であんな事が起こるなんて思ってもみませんでした」
「なんじゃ、お主。お主には妖怪なり妖精なり精霊なりの、なんかこう……、スゴイ能力があるんじゃないのか? お主の藁には力がある事をお主自身は知っておったが、うっかりその身体の藁を落としてしまって、ソイツをわらしべ長者が拾って、ああいう事になった、って事じゃないのか?」
「いえ、全然。まったくもって知りませんでした。あれは想定外の珍事でしたなー」
「何をのんきな事を……」
そう言って、高山文明は笑う。
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「そもそもあらしはれぇ、べいじゅのようせいらなんてやりたくはなかったんれすよ」
外は暗くなってきている。目も鼻も口もない藁人形たる米田の顔部分はやっぱり藁の束であるから、表情もなければ赤みがさした訳でもない。だが、部屋に入ってきた当初はピンと張っていた藁の先部分がそれぞれだらしなくよれている。
『藁人形が酔っぱらうと、こんな風になるんじゃな。おもしろい』と、酒にはめっぽう強い高山文明は口には出さない。そう思ってニヤケながら米田の前の湯呑に一升瓶を傾ける。
「まー。いろいろあるわなぁ。お主にはお主なりの事情があるんじゃろうて」
「わがりばすー? そうだんですよ。神格をあげていけば、いづかはかびさばとあがめられるようになるんだがら、やれるごとやれってさぁ!」
要領を得ない米田の説明ではあったが、神格を上げる為に、多くの人間に認知されること、関わった人間から感謝や尊敬や信仰の念を送られること、果ては伝承や信仰が独り歩きして、人のそれらの念が勝手に自動的に大きくなって左うちわで座ってられる神になりたいこと、そして、米田と同等の存在である米田の友人の妖精に『米を司るモノなんだから、米寿の妖精として頑張るってのはどうだ? 縁起が良くて崇められるぞー!』とそそのかされたこと、『勢いが大事だからな。「米田ですー」ってフレーズを使って勢いに乗れ』とアドバイスされたこと、等を高山文明は米田から聞き取った。
「なるほどのぉ。あると思えばあるようになり、いると思えばいるようになる。妖怪、妖精、精霊、神の神格の
「えぇ。えぇ。わだしはひとからのねんがこれ以上おぢたら妖怪でずし、上がれば上がるぼどに神に近づけるんでずよー」
「だからこそ、草の根運動的に、米寿の妖精をやっとるんじゃな。ふむふむ。偉いのぉ」
「ありがどうございばずー」
「しかし、あれだよ、米田くん」
「はい?」
「米寿と言ったら八十八歳じゃ。八十八歳のジジイやババアがどう盛り立てても、影響力は小さいぞ? 大体、八十八のジジイババアに残された時間はそれほど長くはない。米田くん信仰というコンテンツを知ってもらう相手、そして、それを広めてもらう相手として、八十八歳のジジイババアはイマイチ相応しくないんじゃないかの?」
それを聞いた米田は押し黙り、そして、数本の彼の身体の藁がハラハラと畳の上に、落ちた。
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