公爵家の居候

「何か不満でも? 聖王の僕が決めたことなんだけど?」


「い、いえ! 王命でありましたら、従うまでです!」


 やや無理をした様子でクインテが応じる。

 そこで寿太郎が割り込んだ。


「その、ミルシスとはなんだ?」


「その辺は、おいおい、クインテ君が説明してくれるから。ま、今日のようなことをする組織だと思っていてくれたら、それでいいよ」


 そう言うと、聖王は立ち上がった。


「じゃ、そろそろ僕は帰るとしよう。あとは頼んだよ?」


 出ていこうとする聖王の後をクインテが追う。


「私は聖王様を案内する。人を寄越すから、お前はここで待っていろ」


「構わないが、その前にひとつ、いいか?」


「なんだ?」


 この忙しいときに……という感じのクインテに、寿太郎は遠慮せずに言った。


「俺の刀を返してくれ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 やってきた使用人に案内されて、寿太郎は屋敷内にある部屋へと向かった。

 案内された先はクインテの私室の半分の半分くらいの広さだったが、寿太郎は気に入った。なぜなら、それでも充分に広かったからだ。

 ベッドにも初めて触れた。


(……これがこちらの世界の寝具か……)


 いつも使っていた煎餅布団とは違う、ふわっとした感触に驚いた。

 もう、窓の外から見える空も真っ暗になっている。

 風呂に入ったせいもあり――長く話をしたせいもあるのだろう、寿太郎は眠ることにした。


 今日はあまりにも多くのことがありすぎた。

 いまだに寿太郎の頭は混乱している。


 だけど、寿太郎は特に不安を感じていなかった。


 戦乱を生き抜いていた頃に培ったふてぶてしさが寿太郎の根っこにある。あの頃に比べれば、今の状況なんて楽勝だ。


 死ぬことはない上に――

 快適な湯に、快適な寝床までついてくるんだから!


 それに、そもそも死すらも寿太郎は怖くなかった。

 いつ死んでもおかしくない、そんな世界に生きていたから。死ぬことは『普通』だったのだ。自分の命を大切だと思うこともない。

 それに。

 寿太郎は知っていた。

 自分が普通の人間よりもはるかに強いことを。力で解決できる類の面倒ごとなら、寿太郎にとって問題にはならない。

 寿太郎は恐れを抱くこともなく、のんびりとした心持ちで結論づけた。


(流れに身を任せてみるのも一興か)


 そして、眠る。

 眠って――

 翌朝。

 誰かが近づく気配に寿太郎は目を覚ました。


「誰だ?」


 と声をかけると、


「おはようございます。本日よりジュタロー様のお世話をすることになりました、マリーダです」


 メイド服を身にまとった茶色い髪の女が立っていた。

 年は10代後半くらい。愛想の良さそうな、にこやかな笑顔が似合う美しい女性だ。


「よろしくお願いいたします」


「ああ――」


 挨拶をしなければ、と思って身を起こした瞬間、はらりと掛け布団が落ちる。


「きゃああああああああああああああ!」


 瞬間、マリーダが悲鳴を上げて真っ赤にした顔を背けた。

 寿太郎には意味がわからない。


「……どうしたんだ?」


「あ、いえ、そ、その、すすす、すみません! ま、まさか、上半身が裸だとは思わず、びっくりして――」


「ああ、驚かせてしまったか」


 マリーダの言う通り、寿太郎は上半身の服を脱いで寝ていた。

 これは昔からの癖だった。

 マリーダが口を開く。


「……あ、あの、すごい鍛えられているんですね」


「そうだな」


 マリーダの言う通り、寿太郎の身体は筋肉で覆われている。特別に鍛えたつもりはないが、戦場を駆けずり回り、死なないために戦っていると自然とこうなった。

 筋肉の上には数々の創傷が傷跡となって残っている。

 マリーダが驚いたのは筋肉よりも、この傷のせいだろう。

 これもまた戦場を生き延びるたびに自然と増えていったものだ。


「用があるなら、そのまま待っていてくれ。服を着る」


 服を着て声をかけると、マリーダがクインテからの言付けを寿太郎に伝えた。


「クインテ様は多忙のため、明日の夜にお会いになられるそうです。それまでは外出を控えて、静かにしてもらいたいと申しつかっております」


「わかった」


 外に出なければいいので、敷地内なら好きに移動していいのだな、と寿太郎は理解した。

 それからマリーダが部屋に持ってきてくれた朝食を食べた。

 ゆでた卵にサラダ、スープとパンだった。牢屋で食べた味のないスープとパンとは違う、寿太郎が今まで食べた中でも一番のおいしいものだった。


(……まるで、ここは天国だな……)


 そんなことまで思ってしまう。

 朝食が終わった後、寿太郎はマリーダと別れて屋敷内をぶらぶらと歩き出した。

 黒髪の異邦人の噂は使用人たちにすでに広まっていた。すれ違う使用人たちは寿太郎に話しかけこそしないが、ちらちらと奇異の目を向けている。


 これは本来であればありえないことだ。

 公爵家に勤める訓練された使用人が客人にそんな目を向けることはない。だが、それが我慢できないくらいに寿太郎は人の目を引いていた。


 それもそうだろう。

 鍛えた肉体のおかげで姿勢がよくスタイルがいい。その上、聖王国では珍しい黒髪黒目。さらには猛禽を思わせる鋭い目つきが印象的な整った顔立ち。


 単純に、不穏な空気をまとう色男で、目立つのだ。


 もちろん、寿太郎はそんなことにまで気が回らないので、


(……やれやれ、いきなりの客人なので気になるんだろうな……)


 などとのんびりと思っていた。

 その間、わずか一日のうちに『公爵家の謎の客人』の噂はファルソンヌ家を超えて、聖王都の外へと漏れ出していった。

 翌日。


「おはようございます、ジュタロー様」


 マリーダがやってきて、寿太郎の新しい1日が始まる。

 昼食を終えた後、寿太郎は再び屋敷内を歩き出した。廊下を歩いていると、


「おう! おう! おう!」


 という野太い声が外から聞こえてくる。

 窓から外の庭を見てみると、剣を構えた男たちが掛け声を上げながら訓練していた。

 寿太郎を牢獄から連れ出すとき、鎧を着た若者がいた。彼のような公爵家の私兵たちだろう。


「へえ」


 寿太郎は胸がわくわくとした。

 同じ戦士だから。


(……まあ、敷地内ならいいだろう)


 そんなことを気楽に思いながら、寿太郎は庭に出た。

 屈強な男たちが、刃を殺したブロードソードを持って訓練している。

 寿太郎は少し離れた場所からそれを見ていた。

 訓練が小休憩に入ったとき、そのうちの1人が寿太郎に気づく。アッっという間に噂になったようで、全員の視線が時差で寿太郎に向いた。


(……このまま無視をするのも感じが悪いか?)


 そんなことを考えていると、一団から若い男が近づいてきた。


「あんた、黒髪の客人か?」


「そうだが」


「その身体つき、あんたも戦士だろ?」


 そう言うと、若い男が持っていた剣を持ち上げた。


「どうだい、少し手合わせしないか?」


「ほう」


 寿太郎は楽しい気持ちになった。

 身体を動かすことは嫌いじゃない。それが戦いであれば最上だ。

 それに、男の声色のどこかに寿太郎を試すような響きがあった。

 そこで逃げるのは癪に触る。

 ただ、不快感はない。

 武器を持つもの、他者よりも優越を競うもの。それくらいの気位でなくてどうする、そう寿太郎は思う。

 もちろん、それは寿太郎本人も同じ。


「いいぞ」


 模擬戦が始まった。

 寿太郎も刃を殺したブロードソードを持って男の前に立つ。


(……重いな。微妙な武器だ)


 鋭さで斬るというより、重さで押し込む――まさにそんな武器だ。

 速く斬ることに特化した刀の機能性とは比較にならない。

 この剣では寿太郎の本気を引き出せないだろう。まだ刀は返してもらえていないので、手元にないのが残念だった。

 だが、問題ない。

 全力など出さなくても、負けないから。


「おりゃあああああああ!」


 雄叫びをあげて襲いかかってくる若者の剣を、寿太郎は軽くかわす。


「はあ! うりゃ!」


 若者が次々と剣を振るうが、寿太郎は眉ひとつ動かさずに避け続ける。

 最初の頃にあった余裕は若者から消えていた。

 一撃でも当てたい、という必死な様子が動きから伝わってくる。

 もちろん、寿太郎に譲るつもりはない。


「ふっ!」


 一息とともに剣を振るって、若者が振るった剣を弾く。

 威力に耐えきれなかったのだろう――


「うおわっ!?」


 悲鳴を上げながら若者の体勢が大きく崩れる。

 直後、返す一撃で寿太郎は若者を一打ちした。

 ……さすがに全力だと可哀想なので加減はしたが。


「うぐっ!」


 若者は脇腹を抑えて顔をしかめる。

 寿太郎は拳を下げて、こう言った。


「勝負ありだな」


 若者は負けを認めて後ろへと下がる。

 ひそひそと兵士たちが会話を始めた。どうやら、若者は上位の使い手らしく、こうもあっさり負けるのは想像外だったらしい。


「次の相手はいるのか?」


 寿太郎の言葉に反応はない。

 そう、思っていたら――


「やあやあ、面白そうだ! 自分が立候補してもいいかな?」


 一段とは違う方角――出口方面から声が聞こえてきた。

 寿太郎が振り向くと、そこに10代後半くらいの男が立っていた。

 その男の手には――

(俺の刀!?)


 男がにこりとほほ笑む。


「クインテのお願いで、お届け物があってここにきたんだ。レイソンヌ侯爵家で――特務のキールだ」


 そして、こう続けた。


「きっと興味を持ってくれると思うんだけど、どうかな、ジュタロー?」


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