転成神符

 廊下を数十メートル、腰をかがめたまま進んでいく。

 土埃の多い場所だ。しばらく……おそらくは、もう数十年と誰も通っていないのだろう。

 床板は水平に張られているようだが、壁との接地面は吹き溜まった砂粒で隅が見えない。


「ねえ……やっぱり引き返そう」


 ミアが俺の裾を引いたまさにそのとき、古ぼけた木の扉が現れた。

 俺は、ゆっくりドアノブに手をかける。


「ねえってば」

「……ミアは戻ってもいい」


 俺の言葉に、彼女はそれ以上何も言わなかった。


 ドアを引く。

 ぎぎい、と耳を不快な高音が襲った。


「……ここは……」

「なに、これ……」


 扉の向こうは……ミアの自室に酷似していた。

 当面使われた形跡のない薬品棚には、いつからその反応が起こっているのか分からない液体が並んでいる。

 イスも、机も、すべてがミアの部屋とそっくり……。


「気味が悪い」


 ミアの握った手が、ぎゅっと強くなる。

 自分で開けた手前、今更引くわけにもいかない。

 俺はわざとらしく「大丈夫だよ」と言って、足を前に進めた。


 テーブルの上には、これまた土埃にまみれたレポートが散乱している。

 その表題に目が留まった。


「『転成神符<てんせいしんぷ>の構成要件と使用細則に関する中間報告書』……」


 ずいぶん仰々しいタイトルだ。

 その上に、赤い文字で『ルグトニア王に報告!』と手書きされている。


「なに、それ……」

「分からない。誰かが研究していたものってことだと思うんだけど……」


 そのペーパーを手に取る。

 表題の下を覆っていた土埃が落ちる。


『賢者の塔研究所所長・プラム』


「……なるほど?」


 俺は室内を改めて見回した。


「ミア。キミの部屋のレイアウトをしたのは誰だ?」

「あの部屋は……ずっと昔に、賢者様が」

「そういうことか」


 この研究室のようなものは、プラムの部屋に違いない。

 プラムが使いやすいレイアウトで、ミアの部屋も作ったのだろう。


 だが……なんでアイツはわざわざこんな場所に研究室を?


「プラムの研究室って、上の階にはないのか?」

「あるよ……ねえ、もう出よう。勝手に入ったらダメだよ」


 ミアを見て、微笑む。

 だが、彼女はやはり何かが引っ掛かっているのかもしれない。

 不安そうな表情は、少しも緩まなかった。


「……これだけ、ちょっと見せてくれ」


 俺はさっきのレポートを彼女の前にぺらりとかざす。


「転成神符……どこかで聞き覚えがある言葉なんだ」

「分かった……それだけだから。それが終わったら、すぐ出よう」


 ミアに釘を刺されながら、俺は表紙を一枚めくった。




 ◇◇◇




 レポートは、転成神符についての基本的なことは書かれておらず、『従前から開発が期待されている転成神符だが』という書き出しから始まっていた。


 しかし、この報告書の要点……つまり『どういう技術で転成神符を作るか』という内容を見て、俺は確信した。


 これは、ロークラの超高コストMODだ。


 ゲーム時代のロークラのプレイヤーは、ゲームプレイ中に様々な要因で死ぬことがある。

 高所からの落下や、モンスターの襲撃、溺死、溶岩に落ちた際の炎上ダメージなどだ。


 通常は同じキャラクターのまま、最後に決めた復活地点からゲームをやり直すことになる。つまり、リスポーンすることができる。


 そして転成神符は、その際に使用する……正確には自動的に使用される事によって、好きなモブキャラの形を選んでリスポーンできるアイテムだ。

 人間型のMOBはもちろん、犬や猫などの動物、敵キャラはおろか、ボスの姿に変わることもできる。


「あの転成神符か……!」


 魔法MODと科学MODをトップクラスまで極めていないと作れない、高難易度アイテム。


 ぺらりと紙をめくる。


『現時点ではようやく1枚の呪符作成にこぎつけている。だが、1,000枚もの大量生産、かつ安定的な供給は不可能である。特に、賢者の丘にあるだけの資源では生産不能。ルグトニアから原料の安定供給網を構築することが不可欠だが、現実的とは言い難く、せいぜい劣化版である『転生呪符』を作るのが精一杯だ。加えて現状の転成神符は――』


「何をしておる」


 びくッ、と背筋が伸びた。

 ゆっくり振り返り、少し視線を落とす。


 そこには、いつもの笑顔のプラムがいた。




 ◇◇◇




「まったく、ワシのラボに勝手に入りおって!」


 プラムは研究用のイスにどっかり腰を下ろして、じろじろと俺たちを見ている。


「ミア、お主も止めんか」

「ご、ごめんなさい……」

「ミアは止めていた。俺が強硬に進んで、勝手に見ただけだ」

「止められんかったんなら同罪じゃ」


 はー、と深く息を吐く。


「ま、イツキにはいずれ説明せねばならぬことじゃ。ミア、お主は下がっておれ」

「でも……」

「ミア!」


 強い口調でプラムが言うと、ミアは俺とプラムを交互に見て、やがて頭を下げて部屋を出て行った。


「さて……どこまで読んだ?」

「転成神符を作ることができた、ってところ」

「理解は?」

「半分くらい、かな。まだ混乱してる」

「無理もない」


 ほほ、とプラムは軽く笑う。


「その転成神符が、ルグトニア王からの依頼ってことか?」

「いかにも」


 プラムは脚を組み、俺を見上げた。


「ワシの研究は、転生に関するものじゃ。1,000人規模で、一度に大量の転生を可能にする装置を作れと言われておってのう。じゃが、転成神符はもともと、ほれ」


 引き出しから、一枚の札のようなものを出して俺に見せた。


「このような札状のアイテムじゃ。プレイヤーが死んだときにインベントリにあれば、起動できる。お主も知っておろう」

「聞いただけだけどね、俺は。建築が中心だと、死ぬこともほとんどないし、死んでも問題ないし」

「……転成神符は、インベントリが開けんと使えぬ。そこで、転成神符と同様の効果を持つ装置を作るという研究をしておったんじゃ」


 プラムの目が、怪しく光る。


「転成神符を1枚作るのには大量の素材が必要じゃ。1,000枚もの転成神符を作れば、土地は痩せ、田畑は荒廃し、二度と生物の住めぬような環境になるやもしれぬ。もちろん、転成神符は使い切り……」

「要するに、コスパが悪いってこと?」

「ま、そういうことじゃな。そこでワシは、大型装置で転成神符と同様の効果が得られるものを作る、という結論に達したわけじゃ。死ぬ前にこの装置の中で『記録』に相当する行動をとっておけば、リスポーン時にこの装置から出てくることになる。装置を出るまでは不定形生物。装置を出る際に姿を選択する……という具合に」


 得意げなプラムだが、俺には聞きたいことが山ほどあった。


「神符じゃなくて、『呪符』じゃダメなのか?」

「転生呪符か……」


 ロークラでは超高難易度アイテムである転生神符の代わりに、遥かに製作が簡単な『転成呪符』という下位互換MODが存在している。

 転生神符では自由な姿を選べるのだが、転成呪符でリスポーンすると、生まれ変わった時のキャラクターの外見は完全ランダムになる。 人間になるか、動物になるか、敵キャラになるか……。

 なりたい姿になるために『モブガチャ』と呼ばれる即死祭りもよく開催されていたことを覚えている。


「念の為、大量に転生呪符も作ってはあるがな。……いいかイツキ、ワシらはインベントリが開けんのじゃぞ? 一回死んで、もし虫に生まれ変わったら次はどうする。詰みじゃろ」

「ああ……」


 プラムの表情は、明らかに呆れていた。


「じゃあ、なんで1,000人も同時にリスポーンさせる必要があるんだ?」

「そんなこと、ワシに聞かれてものう」


 プラムは渋い顔をして、目を閉じた。


「じゃが、結果的に多くの資源を使わずとも転成神符の効果が得られる可能性があるんじゃから、この方針で進めて問題なかろうと、ワシの中で結論がついておる。転生なんか出来たら、最高にロマンじゃし」

「……そのレポートにある、転成神符の問題点って?」

「ああ、そこまで読んでおったのか」


 プラムは引き出しに転成神符を戻すと、肩を落とした。


「なんでだか分からんのじゃがのう……この転成神符を使うと記憶がすっ飛ぶ可能性があるのじゃ」

「……どういうこと?」

「うむ。ゲーム内での通常リスポーン……つまり転成神符を使わぬ蘇生では、プレイヤーの肉体はゲーム内で蘇る。じゃが、精神はゲームの外、つまり『リアル』と呼ばれる場所にある」


 プラムは立ち上がり、ゆっくり俺に向かって歩いてくる。


「一方、この世界での蘇生じゃが……この世界では、肉体と精神が強固に紐付けられておる」


 プラムが、俺の胸に、トンと拳を押し当てた。


「今の『イツキの精神』は、『イツキの肉体』にがっちりくっついとるわけじゃな。死ぬ際には、この精神と肉体が紐付いたまま黄泉の国へ行く」


 小さな手が、俺の胸から離れていく。


「転成神符は、肉体と精神を引きはがし、新たな肉体に、これまで使ってきた精神を宿す。その肉体になじむまでの間は一時的に記憶が混濁したり、ひどいときはまるで記憶を取り戻せなくなることもあるじゃろう。加えて、転成神符を何度も繰り返し使うと、やがて精神が新しい肉体に適合しづらくなっていくようじゃ」


 とまあ、と言って、プラムは再びイスに体を放り投げた。


「ここまでが転成神符の研究で分かっておること。あと少し、この肉体と精神の融合の部分さえうまくいけば、装置をくみ上げておしまい、というところまできておるんじゃが……」

「……もしかして、プラムも転成神符を使ったのか?」

「ワシか? どっちだと思う?」


 プラムはいたずらっぽく笑ったが、俺が反応に困って黙っていると、ぽりぽりと頭を掻いて目をそらした。


「何度も言うが、どうにもその辺を覚えておらん。だからこそ、多分使ったのじゃろう。記憶にあるのは、賢者の塔を司る大賢者であること、転成神符の研究をずっとしていること、そして、プレイヤーであること……これくらい。分かるか。これが、転成アイテムの副作用ということじゃ」

「……待ってくれ。つまり転成神符は、古い肉体を捨てて、新しい肉体に精神を移す、ということを指してるんだよな? それに伴って記憶障害が起きるって」

「その通りじゃ」

「それじゃあ、その新しい肉体にもともと宿っていた精神は――記憶は、どうなるんだ?」

「そんなものは無い」


 プラムは声を低くした。


「少なくとも、転生呪符では起こっておらん。まあ、お主の言いたいことは分からんでもないぞ。つまり、その肉体に本来宿るべきだった精神が、どこへ行くのか気にしておるのじゃろ。転成アイテムを使わなかったときに、そやつが本来送るはずだった命のことを」


 俺は何も言わず、じっとプラムを見た。


「案ずるな。少なくとも呪符のテストでは、生まれ変わる際に新たな体が生成されておる。そして、その体に見合ったものに精神が引きずられ、影響を受けるだけじゃ。……ま、ワシの場合は転成神符を使っておらず、ただボケが始まっただけかもしれんがのう」


 深く重たい、沈黙があった。


「……もうよいか? ワシはまだあと少し、装置構築のための研究をせねばならんのじゃ」


 プラムと、もう一度目があう。


「そうじゃ……お主も1枚、持っておいてもよいかもしれんぞ」


 彼女は引き出しから、先ほど見せたものより一回り小さい札を出した。


「それは……」

「転成呪符じゃ。とりあえず『何か』には生き返れる」

「……いや、いいよ。研究用なんだろ、それ。まだ当分死ぬ予定もないし」

「そうか……ま、あと数か月もすれば転成神符と同格の設備が整う見込みじゃからな。完成までここにおればよい」


 プラムは転成呪符を引き出しに戻すと、それから、と笑った。


「勝手に塔を破壊したり、他人様のラボを覗き見する行為は、許せんのう?」

「ごめん、明らかに怪しい壁だったから……つい」

「そこの軟石は換気用じゃ。ふさがんでおいてくれ。あとでワシが――」


 ガガガッ、と大きく天井が、床が、薬品棚が揺れた。

 倒れてきた棚にプラムが挟まりそうになって、俺はとっさにプラムをかばうように、棚を退かす。


「な、なんじゃ!?」


 上階が騒がしくなる。地震か? そうじゃなければ、何かの爆発……。

 まさか、蓄電施設や発電パネルに何か問題が!?


「賢者様! イツキ!」


 悲鳴のような叫び声をあげながら、ミアが部屋へと戻ってきた。


「敵です! 賢者様、敵襲が!」

「敵襲!? まさがドディシュが――」

「に、人間です……!」


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