最後の一本を食べ終えるまで。
香澄るか
最後の一本を食べ終えるまで。
仕事終わりの俺、
黒い箱型で、筆文字の白い暖簾が風に揺れている。
スライドドアを潜って中へ入ると、店の三代目で俺たちの友人の
「いらっしゃーい。お客様、一五分の遅刻でございます」
「知ってるわ」
ハンカチで汗を拭いながら、どこにいる? と訊ねると、晃が半個室になっている奥を顎で示す。
「3番目」
「了解」
俺は急いで言われた席へ向かった。
「すみれ」
呼びかけると、待っていた彼女のすみれが、弾かれたように携帯から顔を上げる。
今日は春らしいグリーンのセーターと白いパンツ姿で、髪もハーフアップでアレンジしてある。
この際惚気てみよう。
俺の彼女は、おしゃれで、かわいい!
「座ったら?」
彼女の言葉でハッとなり、慌ててスイッチをきり替える。
「遅れてごめん」
「仕事なんだし仕方ないじゃん。……お疲れ」
「うん……ありがとう」
対面に座って表情を伺う。
もともとポーカーフェイスというか、落ち着き払っているところはあるけれど、どこかそっけないと思った。
実は、俺たちは三日ほど前に喧嘩をした。でも、原因は些細なことで、そのあとにどっちともなく仲直りもしたはずだ。
おまけに、すみれから『仕事終わり。串松で』ってメッセージがきたから、てっきりもうあの件は落着したとばかり思っていた。
遅刻のことじゃないなら、もしかして、あのことをまだ怒っていたりするのか……?
***
「……飲み物頼んだ? まだなら俺頼むから」
「ウーロン茶頼んでる。あと、いつもの串盛り」
「え? すみれ飲まないの?」
「うんまあ……ちょっと」
胸が騒めく。
ちょっとってなんだ……?
やっぱり、怒ってる!?
それとも、あの喧嘩をキッカケに、俺が普段服を脱ぎ散らかしてるとか、寝転んでものを食うとか、コップを洗わずどんどん増やしていくとか、そういう不満が爆発した!?
「お待たせー! 串松オリジナル串盛スペシャルだぜー! フォー!」
全然空気読めてない晃が焼き鳥と一緒に陽の気をねじ込んできた。
お前、わかれや。
今、そんなうぇーいな空気じゃねんだよ!
目線で訴えるが、職人モードのやきとりハイになっている今のこいつには、どうあっても焼き鳥以外の情報は入らない。
一応説明すると、串盛りスペシャルは、かわ、もも、ねぎまなど、定番にくわえて、その日の
俺とすみれはこの店にくると必ずこれを注文する。
「悠聖!」
「はいっ……!」
すみれが突然俺を呼んだ。
強い語調に思わず肩をビクッと跳ねさせ返事をする。
この時の俺たちは、さながら、軍隊の上司と部下のようだった。
少しの沈黙。
張り詰めた空気。
色々考えすぎたせいで、最悪なパターンのイメージしかできなくなっていく。
「なあ、すみれ……」
堪らず発した言葉は、ゴトッという音に消えた。
気づけば、すみれはグラスを仰ぐ勢いで、ウーロン茶を飲みはじめていた。
喉が大きな音を立てる。あまりの飲みっぷりのよさに、ついぼーっと見とれてしまいそうになるが、すぐに、いやどうした!? と、なった。
真っ先に晃を見て、間違えてウーロンハイ出してねえだろうな? と耳打ちするが、奴はぶんぶんと首を横へ振る。
じゃあこの行動はなんだと困惑していると、ようやくすみれが、空になったグラスをテーブルへ置いた。
ぷはーっと、掌で口元をぬぐう動作に、やっぱりアルコールなんじゃね? と心配になる。
しかし、そんな場合じゃなかった。
俺は、直後、衝撃のどでかい砲弾を浴びた。
「悠聖、あたしと結婚して!」
――え?
すぐには言葉が出てこなかった。
目を丸くして微動だにしない俺と、まっすぐこっちを見るすみれを、晃のやつが、間抜けな顔で交互にみつめる。
「すみれ……今、結婚って言ったか?」
「ええ。結婚してって言った」
意を決して確認すると、やっぱり聞き間違いじゃなかった。
おまけに夢でもない。テーブル下でこっそり太ももを抓ってみるが、ちゃんと痛かった。
「……えーっと、嬉しいんだけど、何でこのタイミング……?」
「プロポーズされるなら思い出の場所でしてほしいと思ってたんだけど、悠聖はここではしなさそうだなって思って」
「あ、いや……そうじゃなくって、すみれ、俺に怒ってたんじゃないの?」
そう訊ねると、すみれの方が驚いた顔で俺をみた。
「怒る? 何で?」
「だっ、だって、三日前喧嘩したし、さっきまでそっけなかったし。てっきり、まだあの時のこと怒ってんのかなって思って……」
「えっ? うそ、ごめん。怒ってない! ……これは、緊張してたのっ!」
「緊張……?」
俺は一気に力が抜けて、後ろの背もたれへ枝垂れがかる。
「本当にごめん! ……だって、逆プロポーズだよ? 受け入れられなかったら悲惨じゃん!」
「マジかー……っ。すげえ怖かったんだけど!」
「てことは、プロポーズの返事は?」
くすりと笑うすみれに、俺は一度姿勢を正し、咳ばらいをひとつしてから告げた。
「もちろん。よろしくお願いします」
***
「……でもさ、本当にこの店でよかったん?」
「えー?」
「思い出の場所なら、ほら、定番とかいろいろあるじゃん。テーマパークのお城とか」
「やっぱり……。だから、逆プロポーズしたのよ。あたしにとって思い出の場所はここだから」
「そっかー……まあ、すみれがいいなら俺はもういいよ」
そう言って俺はジョッキのビールを飲む。
すっかり晴れやかムードになったついでにお酒を頼んだんだ。
そこへまた晃がやってきた。
「よく言った! オレの店こそ、お前らの思い出深き場所であり、もはや人生の一部と言っても過言ではないんだぞ、悠聖!」
「くそ重てえな」
「いやーそれにしても、めでたい! 昔から知ってるお前らが、オレの店で夫婦になるなんて!」
「聞いてねえな。それに、まだ夫婦じゃないだろう」
そう言ったところで、聞いちゃいない。
諦めてジョッキを煽りかけたときだった。
いきなり、晃がその手をガシッと掴み、動きを止めた。
「めでたい。そりゃ、すげえめでたいよ。――だがな、お前ら……いい加減、オレの焼き鳥食って!!」
「「……あっ」」
この時、ようやく焼き鳥が手つかずになっていることを思い出した。
「悪い。晃」
「ごっ、ごめん。会話に夢中になっちゃって!」
「……まあ、今日は祝いの日ってことで許してやる。もし今度、オレの渾身の焼き鳥を放置しやがったら、二人まとめて串刺しにするからな!」
「怖えし。……悪かったって。めっちゃ美味いよ。やっぱここのが一番だわ」
俺たちが謝って焼き鳥を食べはじめると、あいつの機嫌は一気によくなった。
でも、お世辞じゃなく、串松の焼き鳥は焼き加減も絶妙で、かわはぱりっとしているし、塩加減、タレのくぐらせ方も最高。俺たちの知る中で間違いなくナンバーワンだ。
最初はなんでこの店? とか思ったけど、言われてみればここ以外ないかもしれない。
俺はふと、焼き鳥を食べながら気になったことをすみれに訊いてみた。
「そういえば、何で今日? 百歩譲ってこの店で逆プロポしてくれるにしても、明日じゃねーの?」
「え? 明日……?」
きょとんとする彼女に、まさか……と思う。
「明日! すみれの誕生日じゃん!」
「あー!!」
今の今まで肝心なことを忘れていた彼女の叫びに、膝から崩れ落ちた。
***
「悠聖の愚痴を言う時もこの店で」
「あはは……」
「喧嘩の仲直りもこの店」
「そうだな」
「この店とこの焼き鳥がなきゃ、あたしたちは始まんない。悠聖、これからもよろしくね」
「うん。すみれ、こちらこそよろしく」
「焼き鳥、美味しいね!」
「おい! 今めっちゃ良い感じだったのに……」
俺は、すみれに伸ばそうとした手を、悔しまぎれに引っ込める。
すると、すみれは狙っていたかのように笑った。
その笑顔を見て思う。あーあ、この子と結婚したら、俺、百億パーセント尻に敷かれるんだろうなーと。
でも、彼女が楽しそうに笑っていてくれれば、とりあえず何だってしようと思えるし、俺も幸せに生きていられる気がする。
たまにこうしてこの店を訪れて、焼き鳥食べて、最後の一本を食べ終えるまでたくさん話して、また同じ家へ帰る。いいな。
あっ。そうだ、明日は二人で役所へ行こう。
そんなことを考えながら、俺は最後の焼き鳥を食べた。
「美味っ!」
最後の一本を食べ終えるまで。 香澄るか @rukasum1
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