オフィシャル・ゾンビ ーOfficial Zombieー

おおぬきたつや

-さいしょのおはなしの、はじまり- 


 コン、コン……!


 まったりとのどかな気配が漂う昼過ぎの楽屋に、短く控えめなノックの音がひっそりと響いた。すると間もなくドアが開いて、声もないままに中にひとりの男が入ってくる。

 見た感じはスタッフとも取れる地味な見てくれの青年だった。

 これと主義主張のない平凡な格好に、ろくに手入れもしていないもっさりとしたぼさ髪と、おまけ化粧っけのない素顔でひょっとしたら番組ADと見間違えてしまうほどだ。

 もとい、今時のテレビ局ならスタッフのほうがまだこぎれいか?

 その、さながらスタッフ然とした男が冴えない顔つきしてぼさぼさ頭をぺこりと下げて、ぼそっと一言。


「あ、おはようございまぁーす……!」


 この業界ではほぼお決まりの挨拶文句だ。それを緩い口調で発すると、頭を上げた先にいる部屋の主をじっとうかがう。

 こぢんまりした畳の和室は六畳ほどで、そこに年の頃で言ったらおそらく三十代も半ばくらいの壮年の男が、ひとりだけ。

 真ん中に木製の座卓があって、傍らの座布団に腰掛けてそこに前屈みで寄りかかる。どこか見覚えがある風体で、それは昨今のテレビではよく見かけるそれなり有名なタレントさんだった。


「…………」


 対してそのテレビタレントは返事もないままに視線だけで来訪者の青年をじろりと眺めてくる。怪訝なさまで普段のテレビで見せるような明るさがまるでない、それはひどい素の真顔だった。 

 歓迎されている気配がみじもんない。

 だがこちらもそんなことは端から承知で、あはは、と顔に見え透いた愛想笑いみたいなものを浮かべる青年だ。

 そこからまた控えめな口調でいながら見た目的に完全ノーウェルカムの男性タレントさんとの距離をしれっと詰めてくれる。

 くたびれた革靴脱いでそそくさと畳に上がり込んでた。


「失礼します。あの、今、お時間ありますか? できたらちょっとだけ、お話させていただきたいんですけど……」


 相手までソーシャルディスタンスギリギリのところで足を止めて、突っ立ったままで先輩のタレントの丸い坊主頭を見下ろす。

 言えばお笑いタレントとして知られる著名人に、臆面もなく相対していた。

 言えばじぶんもそのたぐいではあったこともあり。

 やや太めの体つきでさっぱりとしたこぎれいな丸刈り頭の男は、うざったげな顔つきでこれを見返してきた。今やその声つきにもちょっと不機嫌なものがあっただろう。


「……とか言いながら、しっかり上がり込んでるじゃないか? おれにはまるで拒否権なんてないみたいに。スタッフさんとの打ち合わせはついさっき済ましたから時間なくはないけど、おれ、これから収録だよ?」


「ああ、はい。すぐに終わりますから。というか、俺が来た理由、もうわかってたりするんじゃないですか、鬼沢さん?」


 ちょっと苦めた笑みで問うてやるのに、当の鬼沢――オニザワと呼ばれた相手は仏頂面でこの視線をそらす。内心じゃ苛立たしげなのがもうはっきりと声にも出ていた。


「知らないよ! ていうかお前って何様? お前とこうして話しているところ、ひとに見られたら変な誤解を受けそうだから、出ていってくれないかな? そうだ、もとはただのお笑いタレントが、国の認定だかなんだか知らないけど、怪しいにもほどがあるだろうっ! おれには関係ない」


「あは、コロナから始まって、ほんとおかしな世の中になっちゃいましたよね、今って? それにしてもひどいなあ、そんなに毛嫌いすることないのに! いくら俺でもちょっと傷ついちゃいますよ、まあ、慣れっこなんだけど……」


 苦笑いではぐらかした物言いしながら、ちょっとだけ寂しげな目つきで相手の横顔を見つめる青年だ。

 これに顔を逸らしたままで恨めしげな視線だけをつとよこす先輩の中堅タレントは苦渋のさまで言葉を発した。


「仕方ないだろ? おれ、ぶっちゃけ怖いよ、お前のこと。だって良くわかんないじゃん。わからないことだらけじゃん。お前ってば……! なあ、日下部、お前って本当に、何なの??」


 日下部――クサカベと呼ばれたその訪問者は穏やかな顔つきのままで静かにうなずく。

 そうして落とした声音で、何かしらの説得でもするかのようにまた続けた。

 たとえ目の前の相手が聞く耳持たなくともにだ。


「そうですね。でもそれはほら、今の鬼沢さんにだって当てはまることなんじゃないですか? ほんとはわかっているんでしょう、心当たり、きっとあるはずだから……ね」


「ないよ! うるさいなっ、もう出ていってくれっ」


 完全にそっぽを向いて吐き捨てる坊主頭はかたくなな態度だ。

 それきり心を閉ざすのに、顔色の穏やかな、それでいてどこか冷めたまなざしの青年は、ただ一言だけ。

 ぽつりとある言葉を口にする。


「ゾンビ……!」


 ぽつりとだ。

 そして何故だろう、およそそれまでの話の流れにはそぐわない、それは不可思議な響きのワードだった。 

 それきりしばしの間があって、座卓に前のめりで屈む先輩芸人、無言の鬼沢はしかしながらこの身体を小刻みに震わせているのが手元の湯飲みのなす、それはかすかな身震いでわかった。

 良く見ればその横の急須もカタカタと音を立てている。

 もはや内心の動揺は隠せなかった。

 やがて憎悪にも似た歪んだ表情を見せる坊主はきついまなざしで後輩の芸人をきっと見返す。あげくは攻撃的な口調でまくし立てるのだった。

 もう我慢がならないとばかりにだ。


「……は? なんだよ、ゾンビって? 誰のことだよっ!? おいっ、誰のことだよっ!! おいっ、ふざけんなよ、どこにいるんだよっ! こいつ、黙って言わせておけば、よくもっ、おれのどこがゾンビなんだよっ、生きてるんだぞっ、ちゃんと生活してるんだっ、家族だっているんだぞ! だったらおまえこそがっ、おまえだろうよ!! なんだよっ、ゾンビって、ゾンビってなんなんだよっ、ふざけやがって……こんちくしょう!!!」


 激高する相手を相変わらず静かに見つめる青年だった。

 少し不自然なくらいのうっすらとした笑みを口元に浮かべて、どこまでも落ち着き払った物の言いをしてくれる。

 相手の目をただ静かに見返しながら。


「外に声、聞こえちゃいますよ? そんなふうにじぶんから騒いじゃったら。かく言う俺も、イヤなんで……」


 いきり立つ先輩タレントがぎっと唇をかみしめてみずからの荒げた息を殺すの見届けてから、こちにらもみずから前屈みになる訪問者は、さらに声をひそめてぼそりと問いかける。


「……はい。そうですね。俺は、周知の通りです。でも、あなたも、あなただって、そうです。鬼沢さん、あなたももう一度は、死んでいますよね……?」


「……っ、…………!」


 言葉もなく見開いたふたつの眼、その瞳孔が大きく見開くのを黙って見つめる青年、日下部だった。そして喜怒哀楽のどれにも当てはまらない穏やかな表情、さながらデスマスクみたいな真顔で言い放たれた言葉、それは果たして真実であったのか。

 物静かでいながら確かな断言、はっきりと断定するかの冷たい響きが余韻にこだました。


「死んで、生き返ったんですよ、あなたも、この俺も……! それにつきゾンビって言葉が正しいかどうかわかりませんが、それでも、事実です。鬼沢さん、わかっているんでしょう。だから俺がここにいるんです。もう、逃げられませんから……」


「ひっ……知らない。知らないよ、やめてよ……」


 血の気の引いたタレントがうなされるみたいな言葉を発する。

 そのさま、まるで動じない青年はただ静かに眺めるばかりだ。

 それきりお通夜みたいな静けさが満ちた。

 あたりに人の気配はない。

 そこにひとはいなかったか。

 かくしてここにまたひとつの悪夢が目を覚ますのだった。


 悪夢の名は、オフィシャル・ゾンビ――。


 人の世ならざるものが人の世に降り立つ。

 今や悪夢は昼夜を問わずに訪れた……!


     次回に続く――

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