コンセプト民泊

如月姫蝶

コンセプト民泊

 和服姿の若女将は、ツアーガイドよろしく、一行の先頭にて説明を行った。

「皆様、『コンセプトカフェ』はご存知どすか? そう、代表格はメイドカフェ、他にもナースカフェやら忍者カフェやら、徒花上等の百花繚乱状態どすなぁ。

 このお屋敷のご当主は、代々めてらしたんやけど、数年前にとうとうカタギにおなりあそばした。その後、広々とした要塞のごときこのお屋敷を、民泊に転用されたんどす。コンセプト民泊の先駆けどすなぁ。

 最初は良かった。しゃぶを止めたい芸能人が、『京都でお仕事』と称して、入れ替わり立ち替わり長逗留してくれはったよって。

 しゃぶと言うたらもちろん、しゃぶしゃぶの略語やあらしまへん。アンフェタミンやメタンフェタミンとかの覚醒剤のことどすえ?

 ところが、そこへコロナ禍や! コロナがしゃぶを駆逐した! 覚醒剤はたいがい密輸の舶来品やよって、コロナで人流物流が滞ったお陰で、国内の備蓄がうなった。こないなコンセプト民泊に逗留せんでも、自ずとしゃぶ断ちできるようになりましてん。

 公衆衛生的にはええことかもしれまへん。けど、この民泊は新しい顧客を開拓せなあかん。そこまで言うたら、聡い皆様にはもうおわかり頂けたことと思いますぅ」

 若女将は、白魚のような手で、愛の籠った手付きで、傍らの鉄格子を撫でさすった。彼女は、京都の花街の実力者だと噂されているが、それにしては、どうにも美しくも若過ぎる。

 そしてここは、座敷牢をコンセプトとした、個室完備の民泊なのである。


 コロナ禍が吹き荒れるよりも少し前のこと——

 京都市立医科大学のとある医局では、新米の医師たちが、小さな人の輪を作っていた。

 輪の中心に佇んでいるのは、小柄で色白の……病み上がりゆえに顔色の冴えない、やはり新米の女性医師だった。

「九死に一生を得た清庭さやにわさんのぉ、ちょっといいとこ見てみたい! それ、一気! 一気!」

 まるで時代錯誤の飲み会のようなコールが沸き起こる。

「九死に一生はちょっと大袈裟やわぁ。致死率は十パーセントくらいやったんやから」

 清庭あおいの膵臓は、ある夜の残業中に、突然融け始めたのだ。生まれて初めてというほどの激痛と高熱を伴って。急性膵炎と診断されて、止む無く、職場の附属病院に入院して、一ヶ月以上も仕事に穴を開けてしまった。ようやく今後は通院で良かろうというレベルまで回復して、本日は医局に挨拶に訪れたのである。

 そして、ある種の関西人らしい気質とその場の空気により、闘病中に自ずと身に付いた一芸を披露することになったのだ。

 それは、水もオブラートも無しで、粉薬を嚥下するというものである。

 葵は、薬袋を開封すると、真上を向いた……

「おい、お前ら、何を騒いどるんや!」

 上級医がズカズカと踏み込んでくるのがあと一秒早かったら、葵は、コメディアンやプロレスラーのパフォーマンスよろしく、粉薬の霧を吹いていたかもしれない。

「あの、明日から業務に復帰させて頂きます。今日はご挨拶に伺いました!」

 なんとか嚥下を完了していた葵は、上級医に深々と頭を下げた。

「ふん、膵炎の原因は過労かいな?」

「……主治医はそう言うてはりました」

「いっそのこと、くたばってもうたほうが楽やったかもしれへんで?」

 上級医は、鋭い視線と言葉の刃を葵に突き刺すと立ち去った。彼は、多少なりとも休憩すべく医局に立ち寄ったのだろうが、その白衣のポケットで業務用のPHSが鳴り響き、病棟へと呼び戻されてしまったからである。

 劣化の一途を辿る労働条件や、慢性的な残業代の不払いを不服として、同院の医師看護師が大量退職したのは、それからものの一週間後のことだった。


徘徊はいかいしながら排菌はいきんしている!?」

 僕は、保健所からの電話の内容を、その最もクリティカルな部分を、鸚鵡返しせずにはいられなかった。京都市内にて、大学病院ではないが、救急部門を有する病院の勤務医であるがゆえに、平素より様々な患者の受け入れ要請に直面しているのだが、これは……

 八十七才、男性、認知症。本日、結核に感染していることが判明した。コロナについては、今のところ陰性である。しかし、疾病について理解不能なため、安静を保てず、徘徊しながら排菌しているとのこと……

 つまり、ウロウロしながら結核菌をばら撒いているというわけだ。あたかもリアル疫病神のごとしである。

「いっそコロナなら良かったのに!」

 コロナ禍が長引く今、血を吐くような僕の叫びは、部外者には暴言に聞こえたことだろう。

 しかし現状、ベッドに空きが無い。コロナの患者専用に確保してあるなけなしの空床に、それ以外の疾患である結核の患者を入院させることはルール上、困難だ。それに、理解力が乏しく安静を保てないのなら、ルールどうこう以前に危険である。理解力が乏しいゆえに、他の患者の人工呼吸器から抜いてはならない管を屈託無く引っこ抜いたなんて高齢患者の事例が、他所の自治体で既に報告されているのだ。

 ベースに認知症があるのだから、精神科の専門病院にお願いしたくもなるが、そうした病院に呼吸器感染症用の病床なんて……実はあるのだ。作られてはいるのだ。しかし、少なくとも京都市内では、コロナに感染した高齢者たちによって、既に埋め尽くされた状態なのである。

 ああ、然るべきベッドさえ空いていれば!

 悩みを深める僕の耳に、更なる悲報がもたらされた。

 なんでも、この患者には二人の子供たちがいるが、二人揃って関西では有名な私立大学の教授であり、地元の名士感を前面に押し出して保健所に圧力を掛けているらしかった。

 そういうことなら、理事長に相談だ! 理事長は、医学部出身ではないのだが、なかなか世事に長けているのだ。


 ものの小一時間後、病院の理事長室には、徘徊しながら排菌している患者の子供たちと、頼みの綱である理事長と、医師代表としての僕が集合していた。

「そもそも、私たちが大学に進学できたこと自体、両親、特に親父のお陰なんだ。今こそ恩返しせねばならんのですよ」

「そうね。父は来年は米寿のお祝いだもの。どこか高級な温泉旅館の、お部屋に露天風呂が付いているようなところでお祝いしましょうって、兄と相談していたのに、こんなことになるなんて……」

 兄妹は、とても親孝行な人々のようだった。しかし、彼らが語る計画は、もっぱら未来の祝い事についてである。現状を打破することについてはノープランであるらしい。

 理事長は、どこか銀行員を思わせる風体の、三十代の男性である。ここぞとばかりにクイッと眼鏡を持ち上げた。

「お二人とも、『宿泊療養』のシステムについてはご存知でしょうか?」

「そりゃあ、知ってはいるが……」

「でもそれは、結核ではなくコロナの患者さんが対象よね? しかも、担当の看護師のミスで、人死にが出た事例もあると報道されていたわ!」

「確かに。しかし、私どもがご提案させて頂きます宿泊療養は、コロナに限定せず、お困りの患者様に、和風の旅館を思わせる個室にご滞在頂き、しかも、看護師だけではなく医師も常駐して対応させて頂くというプランです!」

 兄妹は身を乗り出した。

 僕は、少しばかり眼球上転を引き起こして、白目を剥いた。

 僕の妹が一枚噛んでいるコンセプト民泊ビジネスは、どうやら一定の成功を収めつつあるようだった。

 妹は、かつて大学病院で大量退職事件が発生した際、抜け目無く職を辞した。元来仕事熱心な気質ではあるが、急性膵炎で死にかけたことをきっかけに開眼したその目敏さは、実は医師よりも商売人が多い清庭家の一族には大好評だった。

 医師免許は保持した状態で、頭だけではなく容姿にも恵まれているのだ。それこそ花街の綺麗どころだと誤解されてしまうほどなのだから、医師の職に拘泥せずとも生きてゆけると太鼓判を押されていた。

 一方で僕は、堅実に勤務医畑を歩むことが何より向いていると評されたわけだが……


 数ヶ月後、大学教授兄妹から、当院の理事長へと丁寧な礼状が届いた。

 例の患者は、宿泊療養により急場を凌ぐうちに、なんとか入院先の都合がついた。今では概ね回復して、八十八才の誕生日は自宅で迎えられる見込みだという。

 ただ、米寿のお祝いについて兄妹が提案しても、「綺麗な若女将のおるあの宿にまた泊まりたいんや」の一点張りで、周囲を困らせているらしい。

 理事長は、「お礼の意味で」と葵を食事に誘ったらしいが、「膵炎の再発防止のためにも、外食は控えてるんどす」と、軽くいなされてしまったとのことだ。

 葵を見初め、かつ、医師免許を持つ女性と結婚してその地位を盤石のものとしたいらしい理事長と、スマートでフリーダムな彼女との攻防はまだまだ続きそうだが、それはまた別の話である。

 

 

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