24.いとしのあなたと
「フローラ」
愛しい人の声がして振り返ると、ラルスが扉を開けて立っている。
タキシード姿に、赤い髪は後ろに撫でつけられていて。
見慣れないラルスの姿に、どくんと心臓が跳ねる。
「ラ、ラルス……」
「……きれいです、めちゃくちゃ」
「ありがとう……ラルスも、すごく素敵だ」
「はは、ありがとうございます。こんなの着慣れないんで、こっぱずかしいですよ」
「あは、僕もそわそわしちゃってたんだ。一緒だね」
顔を見合わせて笑ったあと、ラルスはその優しい目をまっすぐに向けてくれた。
「びっくりしました?」
「うん……こんなに嬉しいサプライズはないよ」
「ならよかった。いきましょう。ベルはツェツィーが連れてきてくれます」
ここにきてから、みんなはフローリアンのことをフローラ、ツェツィーリアのことをツェツィーと呼ぶようにしている。ツェツィーリアだけは呼び名を変えず、みんなに敬称をつけているが。
ラルスに差し出される手。
フローリアンがその上に自分の手をそっと乗せると、二人はツェツィーリアの家の玄関を目指した。
「開けますよ」
「うん」
ラルスの言葉に頷くと、鮮やかな青い空と眩しい光が二人に降り注いだ。
招待客はいつのまにか移動していて、目の前に大勢の人たちが溢れている。フローリアンたちが姿を見せた瞬間、割れんばかりの拍手が湧き起こった。
「うわ……」
「進みましょう、フローラ」
足元には簡易の絨毯が敷かれていて、真っ直ぐ進んだ先には牧師が待っている。定番の結婚式の入場曲が、家の中からピアノの音で奏でられ始めた。
ラルスを見上げるとにっこり笑っていて、張られた肘に手をそっと置く。面映く、それでいて溢れる笑みを抑えきれない。
フローリアンはラルスと足を揃えながら、ゆっくりと牧師の元へと向かった。
「今日のよき日に、この若き二人の婚姻の場に立ち会えることを神に感謝いたします」
牧師はまず、空を仰いでそう祈りを捧げている。この国での定番の言葉なのだろう。
それからフローリアンとラルスを見て、にこりと微笑んでくれた。
「俺、もうそんなに若くないですけど」
「もう、ラルスっ」
ラルスの言葉にフローリアンがつっこむと、周りの招待客の声がくすくすと聞こえてくる。
「二十九歳など、まだまだ人生の序盤ですよ。進んでよろしいですかね?」
「はい、すみません」
人生後半であろう牧師は穏やかに頷き、やはり定番であろう説教を少し説いてくれる。
「人は支え合って生きていくものです。家族、隣人、友人……出会った全ての人たちがあなたと関わり、そして今のあなたはいろんな形で支えられています。まずはあなたたちを支える皆に感謝を」
牧師の言葉に、フローリアンは多くの者の顔を思い浮かべた。
ツェツィーリア、イグナーツ、ディートフリート、エルネスティーネ、ラウレンツ、メイベルティーネ、リーゼロッテ、シャイン、ヨハンナ、バルバラ、ルーゼン、ユリアーナ、王城にいた頃に関わった者たち、そしてこの街に来てから関わった者たちを。
僕は、たくさんの人たちと関わって、支え合ってきたんだ……
じんわりと胸が温かくなる。
そしてフローリアンは、深い感謝を捧げた。
「……今思い浮かべた者たちよりも、さらに近いところで支え合っていくことになるのが、夫婦という存在です。新郎、ラルスよ」
「はい」
牧師に目を向けられたラルスは、しゃんと背筋を伸ばした。
「汝は新婦フローラを法的に婚姻した妻とし、本日より健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を分かつまで、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい。この命ある限り、俺はフローラに寄り添い、助け、何があっても最期の時まで愛し通すことをここに誓います」
大きな声ではっきりと宣誓してくれるラルス。ツェツィーリアにしばらく涙は我慢しろと言われたのだが、それは一体いつまでだろうか。
「新婦フローラ」
「……はいっ」
牧師の顔がフローリアンに向き、少し緊張で顔をこわばらせる。
「汝は新郎ラルスを法的に婚姻した妻とし、本日より健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を分かつまで、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓い……」
フローリアンはそこまでいうと、ふと言葉を止めてしまった。
もちろん、誓う。それは当然だ。
けど、それだけでは足りない。フローリアンのラルスへの想いは、そんな一言で終わらせられない。
「フローラ、好きに誓っていいですよ。俺も、フローラの気持ちが知りたいです」
ラルスがフローリアンの心を読んだかのようにそう言ってくれた。
フローリアンの口角はふわりと上がり、こくんと頷く。
「僕は……」
フローリアンは後ろを振り返り、招待客に顔を向けた。たくさんの人が祝福してくれているのを改めて感じる。
後ろの方でツェツィーリアがメイベルティーネを抱きあげてくれているのを見て、ふっと笑みが漏れた。
「僕は、たくさんの人に支えられてきた。特にラルスと、そこにいるツェツィーには、数えきれないくらいの愛をもらった……本当に、ありがとう……」
「フロー様……」
ツェツィーリアの嬉しそうな顔を見ていたら、声が震えてきてしまう。泣くのはまだだと自分に言い聞かせて、フローリアンは声を上げた。
「僕は、明るくて、優しくて、ちょっととぼけたところもあるけど人に愛されるラルスを、僕も愛しています。ううん、誰よりも僕がラルスを愛しています」
「……フローラ」
視線をラルスへと上げると、その瞳は少し揺らいで見えて。ラルスへの愛が溢れ出す。
「僕がラルスを裏切ることは、絶対にありえない。困ったことがあれば、一緒に乗り越えよう。病気になったら看病させてほしい。ラルスが泣いていたら慰めるよ。嬉しいことは一緒に味わおう。悲しいことがあれば、半分請け負ってあげる。僕は、ラルスのことが好きだから……大好きだから……!」
フローリアンはとうとう我慢できず、ぽろりと涙を溢れさせた。
熱いものが頬を伝って落ちていく。
「ずっとラルスを愛していくって誓えるよ。一生、この気持ちはなくならないって……」
「フローラ……俺もです」
はらはらと流れる涙を見て、ラルスが優しく目を細めてくれる。
そして牧師に「誓いのキスを」と言われ、フローリアンはそっと目を瞑る。
ラルスはの大きな手が頬に触れると、唇に温かいものがふわりと当たった。
「おめでとうーー!!」
「ラルス君、おめでとう!」
「フローラ社長、素敵ですー!」
「結婚おめでとう!!」
「幸せにねー!!」
わぁっと歓声が上がり、胸がいっぱいになる。
いつか、兄のディートフリートが結婚した時のことを思い出した。
あの時から、こんな結婚式が夢だったのだ。自分の言葉で宣誓したユリアーナのように、フローリアンもそうしたいと。
「ラルス……ありがとう、ラルス。僕の願った通りの結婚式だよ……」
「フローラが今まで頑張ったからですよ。だからみんな、こうやって祝福してくれるんです」
そう言いながら、ラルスはハンカチで優しく涙を拭いてくれた。
家の中からは、またピアノの曲が流れてくる。
「あ……〝愛しのあなた〟だ」
フローリアンがそういうと、ラルスは跪いて手を差し伸べてくれた。
「いとしい俺の奥さん、どうか踊ってくれますか?」
ラルスの見上げる瞳は優しく愛おしく、フローリアンは迷わずその手を取る。
「うん……僕ね、ずっとこの曲でラルスと踊ってみたかったんだ」
誰もが愛する人と踊ったことのある曲。その思い出が、フローリアンにだけないのが悲しかった。
でも、それも今日で終わりだ。この曲はきっと、人生で最高の思い出のダンス曲になる。
「俺もずっと、この曲でフローラと踊りたかったんです」
フローリアンは立ち上がったラルスにぎゅっと腰を抱き寄せられ。
祝福の声が上がる中、これまでにないくらいの笑顔を互いに見せ合う。
フローリアンではなく、フローラとして堂々と生きていられること。ラルスと夫婦として認識してもらえること。
その幸せを噛み締めながら、フローリアンはラルスと踊り続けた。
ずっと、ずっと──
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