88歳

もと

不思議の国の

 大冒険よ、そりゃ子供だったら喜んだけどさ。


 深く煙を吸い込んで、はあ。

 あと80歳若かったら良かったのにね。


 カラフルな芋虫と並んで、大きなフワフワのキノコの上で一服。


「アアイーウエオー、アエー」

「変な歌だね?」


「これを歌う事になっている。これしか知らないしな」

「なんか教えてあげよっか、退屈なんでしょ?」


 こないだ田中さんとカラオケ教室で歌ったのを教えよう、流行ってるらしいから。オーレ!


「楽しい歌だね、ありがとう」

「どういたしまして、サンバだってさ。はあ、汗かいた」


「向こうに水たまりがあるよ」

「いやよ、また大きくなったり小さくなったりしたら疲れるわ。この世界の水とか食べ物はもう信じない」


「ずっとココにいるつもりかい?」

「ダメなの? このキノコ、いいクッションだから腰も痛くないし」


「いや、まあ、悪くはないがね。先へ進まないのかい? 待っているよ、何かがきっと」

「もういいわ、何となく知ってるから。ウサギと紅茶飲んでトランプが来るんでしょ?」


「雑だね、いいの?」

「いやよ、あんなの」


 芋虫に背中を預けて、大木の枝葉の隙間から見えるのは青空。


 オーレオーレと歌ってくれるから一緒に歌う。


 他に何か……ああ、山本さんの奥さんが通い始めたとかいう社交ダンス、見よう見まねで芋虫に教えてみる。あの人は本当に元気なのよ。


「はあ疲れた、一休みしよう。タバコ、いるかい?」

「ありがとさん、さっきので最後だったの。ああ、でもアナタはパイプでしょ」


「紙巻きもあるよ、どうぞ」

「あらどうも」


 またキノコの上で一服。たまには良いかもね。

 こういう……?


「なんだい?」

「これ、懐かしいわ。マイルドセブン?」


「よく分かったね、いやあ嬉しいな」

「わあ、すごい!」


「ライトもあるよ」

「あらま!」


 話の合う芋虫、気の合う芋虫、物語を進める必要なんて無くなったわ。

 

 日も暮れない、お腹も空かない、暑くも寒くもない、芋虫と仲睦まじく暮らすだけ。


 88年分の遊びを教えて、幸せね、本当に。


「ところでサナギになるんだけど、一緒にどうだい?」

「サナギ? ああアナタ蝶になるの?」


「そう。一緒に溶けて、一緒に蝶にならないか?」

「面白そうね、連れて行って?」


「痛いかも」

「かまわない」


「苦しいかも」

「大丈夫よ」


「ものすごく気持ち良いかも知れない」

「大歓迎!」


 蝶になったら何色なの、どこに行こう、さっきの結婚式みたいね、そのつもりだったよ、とりとめのない芋虫との時間が溶けていく。


 二人で一つになって、この殻を破れば蝶になるのね。


「……これはこれは、どこの姫君か」

「……アナタも王子様みたい、イイ男じゃないの」


「混ざって二人に分かれた、蝶人間だ」

「面白いね」


「子供のようだ」

「アナタも」


「80歳は若返ったね」

「あらやだ、8歳ね」


「楽しいかい?」

「うん、飛んでる!」


「後悔は無いかい?」

「ないわ、ひとっつも無い、何も覚えてないし」


「オーレ?」

「オーレ!」


「それは覚えているのか」

「うふふ」


「蜜を探そう?」

「うん!」


 これが死の国でもいい、夢なら、夢でも醒めないで。

 私は王子様と幸せに暮らしましたとさ、これでいいの。



『痴呆の国のアリス』おわり。

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88歳 もと @motoguru_maya

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