第3話「運命を変える行動」
――ミハエル・オーベルト視点――
卒業を間近に控えたある日、レーア様に話しかける機会が突然訪れた。
それもよきせぬ形で……。
母が「もうすぐ卒業ね。たまにはお友達をさそって食堂でランチを食べなさい」と言って、お小遣いを持たせてくれたのだ。
そのお金は母が領地経営の合間に刺繍をしたり、手紙の代筆の仕事をしたりして貯めた大切なお金だ。
母さんごめんね。僕には一緒にランチを食べてくれる友達はいないんだ。
母から貰ったお金を遣って食堂でランチを食べようか迷った。
このお金があれば、母にちょっといいハンドクリームを買ってあげられる。
昨年から母は領民に交じり慣れない畑仕事を始めた。
母の白く柔らかかった手は、今では日に焼けてごつごつしている。
母にハンドクリームを買ってあげたい……。
でも、もしかしたら食堂に行けばレーア様に会えるかもしれない。
母さんごめん!
母さんから貰ったお金使わせてもらうね!
レーア様がいなかったら何も食べずに教室に戻るから!
レーア様に会えるかも……。
そんな淡い期待をこめて僕は食堂の扉を開けた。
それが己の運命を大きく変えることになるとも知らずに……。
☆☆☆☆☆
「レーア・カイテル!
貴様見下げ果てた女だな!」
結論から言うとレーア様は食堂にいらした。
婚約者である第一王子と一緒に……。
だが婚約者と仲良くランチ……という雰囲気ではなかった。
レーア様は第一王子に突き飛ばされ、罵声を浴びせられていた。
第一王子の隣にはピンクの髪の小柄な少女がいた。
少女は王子の腕に自分の右腕を絡め、豊満な胸を王子に押し付けていた。
ハンナ様は怪我をしているのか、彼女の左腕には包帯が巻かれていた。
以前にも彼女のことを見たことがある。レーア様が彼女の行動に注意していたのだ。
彼女の名前は、確かシフ伯爵家のハンナ様。
第一王子はレーア様を指で指し
「レーア・カイテル! 貴様との婚約を破棄する!」
と叫んだ。
僕の頭の中は真っ白になった。
なんで?
どうしてレーア様が婚約を破棄されるんだ?
意味が分からない。僕にも分かるように理由を説明してほしい。
レーア様が生徒会副会長として、会長である第一王子を支えていたことは、全校生徒が知っていることだ。
レーア様は、学園の勉強や生徒会の仕事をこなすだけでも大変なのに、スケジュールを調整して王子妃の教育を受けていると聞いた。
レーア様はいつ寝てるんだろうって噂されるほど、努力してきたのに、第一王子に尽くしてきたのに。
なんでこんな大勢の人の見ている前で突き飛ばされ、婚約破棄されなければいけないんだ。
第一王子とシフ男爵令嬢に対して、怒りがこみ上げてきた。
同時に無力感に襲われる。
男爵の僕には何もできない。
大恩あるレーア様が第一王子に婚約破棄され傷ついているのに。
ただ見ているだけでは、何もできない。
食堂にいる生徒たちも僕と同じ気持ちなのだろう。
皆一言も話さず、事の成り行きを見守っていた。
「レーア・カイテル!
貴様は伯爵令嬢のハンナ・シフに嫉妬し、彼女を大衆の前で罵ったな!
それだけでも許しがたいことだが、貴様は昨日の二時間目と三時間目の休み時間、東校舎でハンナを階段の上から突き飛ばし、殺そうとしたな!」
「怖かったですわ〜。
ベルンハルト様〜」
シフ伯爵令嬢は、第一王子にしなだれかかり泣きべそをかいた。
「ハンナは幸い腕に怪我をしただけで済んだ。
貴様のような心の醜い、暴力的な女をこの国には置いておけない。
よって貴様を国外追放する!」
王子が国外追放を命じたとき、シフ伯爵令嬢の口元がかすかに上がった。
「殿下、お言葉を返すようですが、私がハンナ様を階段の上から突き飛ばしたという証拠はありまして?」
いままで言われっぱなしだったレーア様が口を開いた。
「私〜突き飛ばされるとき、とっさに〜犯人の手を引っ掻いたんです〜」
シフ伯爵令嬢の、不自然に語尾を伸ばす話し方にイライラしてきた。
「貴様の右手の甲にある包帯、それはハンナに引っかかれた傷を隠すためのものだろな!
素直に白状しろ!
貴様の罪は明白だ!」
第一王子がレーア様を罵る。
第一王子の横でほくそ笑むシフ伯爵令嬢。
……どうして?
どうして誰も何も言わないんだ?
食堂には教師がいる。
生徒会の役員だっている。
レーア様のクラスメイトだっているのに……なんでみんな黙っているんだ?
レーア様がそんなことをする人じゃないって、みんな知っているだろう?
どうして声を上げないんだ?
レーア様が不安げな瞳で周りを見る。
レーア様と目の合った人たちは、怯えた顔で目を逸らした。
その顔には面倒なことに関わるのは嫌だと書いてあった。
僕も彼らと同じだ。
レーア様の身の潔白を証明できるのに、声をあげずにいる。
レーア様を助けたい!
でも怖い……どうしようもなく怖い……!
第一王子は卒業後、立太子することが決まっている。
いま貧乏男爵の僕が歯向かえば、卒業と同時にオーベルト男爵家は潰される。
筆頭公爵家のレーア様でさえ国外追放されるんだ。
男爵家の僕など奴隷商人に売られる……いや殺されるだろう。
男爵家が取り潰されたら、母さんや、使用人や、領地の人たちはどうなる?
男爵として守るべきは領民。
そんなこと分かってる。
でもこのままでは、レーア様が国外追放されてしまう!
……いや待てよ。
領民のことを一番に考えているのは国王陛下も同じ。
爵位を継承するとき一度だけ国王に謁見したが、とても優しそうな方だった。
陛下は賢王と名高い。
陛下のような方が、学園の食堂で王命による婚約を勝手に破棄するのを許すはずがない。
レース様は筆頭公爵家の令嬢だ。
相手に比があったとしても、王家としては穏便に婚約を解消したいはず。
シフ伯爵令嬢を階段から突き落とされた時間、レーア様は別のところにいた。
シフ伯爵令嬢を階段から突き落とすことは不可能だ。
レーア様の手の傷の原因を僕は知っている。
僕ならレーア様の無実を証明出来る。
僕が今証言すれば、レーア様の冤罪は晴れる。
でも怖い……。どうしようもなく怖い。
僕が平和な学園生活を送れたのは、一年生のとき、食堂で上級生に絡まれた僕をレーア様が助けてくれたからだ。
あのときレーア様が助けてくれなかったら、僕はイルク侯爵令息にいじめのターゲットととして認定され、辛い学園生活をおくっていた。
自主的に学園を辞めていたかもしれない。
レーア様を助けたい!
あの時の恩を返したい!
第一王子がレーア様に婚約破棄を言い渡し、国外追放処分を言い渡したのは第一王子の独断のはず。
多分陛下は、今日第一王子がしでかした愚かな行いをしらない。
衛兵に捕らえられ牢屋に入れられたとしても、国王陛下にことのいきさつを説明すれば、学園での学生同士の言い争いとして処理され、軽い処分で済むはずだ。
…………だと思いたい。
足がガクガクと震えてる。
額から汗が滝のように流れ、止まる気配がない。
軽い処分で済むというのは、僕の希望的観測だ。
最悪この場で第一王子に切り捨てられるかもしれない。
だけど窮地に立たされているレーア様を、見捨てるわけにはいかない!
母さんごめん。
僕は死刑になるかもしれない。
男爵家に罪が及ばないようにするから、許して。
「罪人レーア・カイテルを拘束しろ!」
第一王子が側近に命令した。
「お待ちください!」
僕は颯爽とレーア様の前に飛び出した。
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