3, 落ちる先に
「徒歩五分で着くから置いてかれるなよ」
そう言い、彼は歩み始める。流石に手を繋ぐことは、こちらの都合上無理な話に近い。仕方なくまた裾を握る。颯一は若干不快そうに立ち止まり、三秒間黙り続けた。その後また歩き始める。
学校からの道のりでは私に歩幅を合わせようとしていたのか、優しく見えていた。しかし、今は自分の利益の為に動いているのか、思うがままに行動している。これ以上に厄介なものはない。だが、こんな未知の世界で置いてかれては困る。足の回転率は上がる一方、疲労感は募っていく。日頃の運動不足がここで現れるとは。思わず、はぁ、と息が漏れた。
だいぶ慣れてきたので、街ゆく人を観察しながら歩くことにした。異世界とも呼べる都市伝説の地であるから、人は居ないものかと思えばいた。なんなら地元より人がいる。地元は寂れている田舎なので仕方ないとしても、流石に多くはないだろうかと思う。
でも、その人たちは全員顔が見えない。
靄がかかっているのだ。ある人は目が塗りつぶされている。モザイク処理がなされている人もいれば、顔全体が黒で覆われている人もいる。目元ははっきりとしているが生気を感じられない人もいた。心臓の音がやけに響く。
先を行く背中に問いかけることにした。
「なんで靄がかかってるの」
ピタリと立ち止まって問いかけた。彼は振り返ることも、止まることもなく返した。シャツの裾が少し伸びる。
「止まるな、飲み込まれるぞ」
と。
さすが不死の街といったところか。あちら側……彼岸へと連れてかれるという解釈を勝手にする。間違ってはないだろう。
「じゃ、質問を変えるわ。あの人たちは生者なの?」
「……想像通り、とだけ言っておくさ」
「じゃあお前の顔が歪んでるのは?」
「お前の目が狂い始めているから」
「そう」
狂い始めている、か。そうかもしれない。
ここ最近ずっと心にぽっかり穴が開いている。これは過去のせいだってずっと思っていた。あるいは兄の失踪か、と。自分の精神が狂い始めているから、知らず知らずのうちに、誰かから一種の洗脳を受けているのかもしれない。
……話が逸れる。やめようこんな思考は。そう思っていたら、ようやく着いたようだ。
“
外見はまぁ、立派とは言えない
一言で言うなれば、憂鬱な気分を一変させる珈琲の香りがする所、である。世界観には合っていないような異質な喫茶店であるが、何処か懐かしく感じる。今日だけでどれほど懐かしい思いをするのか。青写真が、脳裏に記憶が浮かんではすぐ消えてしまう。ぱちりと弾ける炭酸のように。
カランコロンと音を立てて扉を開ける。出迎えてくれる店員などいない。カウンターに一人だけ、こちらに背中を向け立っているのが見えた。
見慣れた、背中だ。
「おはよ、颯ちゃん……ってえ?! 長瀬さん?!」
「……
緑の髪に颯一より深い緑の透き通った目の持ち主、
三ヶ月の付き合いといえど、あまり接点はない。まだ人見知りされているがいつものことなので気にしないことにした。
ちなみにこいつは臎と両片思いである。颯一から聞いた話だが、ここ最近で確信に近づいていた。……まぁもう臎はいないが。
「え、と……長瀬さん連れてきたってことはついに引き入れるの?」
「
「自己満足の為に彼女を使ったら二人に殺されるよ。知らないからね?」
「俺が死んだらやり直しだろ。そんなヘマはしねぇよ、あいつらは」
私抜きで彼らは話している。正直ついていけないので固まるばかりである。店内をぐるりと見回そうと思って視線を外した。それと同時に米俵を担ぐが如く、颯一に腰のあたりから担がれた。
「は?!」
二人で声を合わせる。いやなんで驚いてんだよおまえが。
「軽くねお前、ちゃんと飯食ってんの?!」
「食べてるよ馬鹿野郎! 降ろせや!」
まさか開口一番が綺麗にハーモニーを奏でるとは思わなかったが、女性に対して失礼ではなかろうか。軽いって言われたのは文句ないけれども。
そんなやりとりを困ったように笑いながら煌煇は見、近くのスイッチを押した。と同時に颯一の足元のタイルが無くなった。下は暗闇、アニメでよくある穴に落ちる前に一度固まる、みたいな現象が現在進行形、いや現在完了形で起こった。
「しっかり掴まってるんだな」
「は? え? う、うわぁぁ?!」
「じゃあまた、あと、でね」
穴全体に自分の声のみが響き渡る。
あぁ、母さん、産んでくれてありがとう、この高さは流石に命の危険しか感じないよ。
そんな不安は打ち砕かれて、即座に安心へと切り替わった。体操選手並みの着地を果たした颯一は静かに私を落とした。
「死ぬかと思ったんですケド!」
「死んでねーから良いだろ」
「そういう問題じゃないんすわ」
まだ心臓はバクバク、と脈打っている。深呼吸して、当たりを見渡す。目の前には無数の扉がある。それも様々な扉。
通路の1番奥の扉が開く。ぎぎぎ、と音を立て、突風が吹く。平気そうに彼は先を歩む。待って、なんて呟いても、彼はきっと止まってくれない。
だから、自分の止まったままじゃ駄目だ。そう、感じた。
恐怖や不安はもう、緊張に変わっていた。
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