【KAC20224】十五年目の決着

いとうみこと

辛抱する木に金がなる

「「どうもー」」


朝日あさひです」


夕哉ゆうやです」


「「ふたり合わせてハッピーデイズです」」


「夕哉君、聞いてくれるか?」


「嫌や」


「え! 何でやの。話進まへんやん」


「だって、どうせろくなことやあらへん」


「そらそうやけど、今漫才中やで。一応台本通りに聞いてえな」


「せやったな。ほな聞くわ」


「うちの母ちゃんがな、虫の名前がどうしても思い出せん言うてな」


「どっかで聞いたことあるネタやなあ〜」




 客席からさざなみのような笑いが起こるのを確認して、卯月早苗うづきさなえは裏に戻った。今日のネタもまずまずいい感じに仕上がっている。


 ハッピーデイズは、今事務所がイチ押しで売り出している結成間もない若手漫才師だ。若者受けするファッションと軽妙な語り口で若者を中心に急激にファンを増やしている。


 そして早苗はそんな漫才師たちにネタを提供する作家だ。一から書いたものを渡すこともあれば、芸人が書いたネタを手直しすることもある。早苗の台本は評判が良くて、今ではこの小劇場の構成を一手に引き受けている。


 こんな早苗だが、若い頃は自らも芸人だった。人気絶頂の二十五歳の時に若手芸人とデキ婚をしたが、切迫早産で半年間入院している間にあろうことか相方に夫を寝取られ、出産前に離婚した。半年の結婚生活で夫と暮らしたのは僅か一週間だけだった。


 無事に生まれた息子は体が弱く相方も失った早苗は、芸人の道を諦めざるを得なかった。結局その後十年間、シングルマザーとしてなりふり構わず生き抜いた。辛い時、苦しい時は元夫と元相方の顔を思い浮かべて自分を奮い立たせた。いつか絶対に見返してやろうと歯を食いしばった。


 転機は三十五歳で訪れた。激動の十年間を書いた手記がベストセラーになったのだ。元々文章を書く才があった早苗に、以前所属していた事務所から声がかかったのはそのすぐ後のことだった。早苗は二つ返事で作家になることを引き受けた。お笑いへの情熱がまだ沸々とたぎっていたから。


 それからの五年間、息子を育てながら早苗はがむしゃらに働いて今の地位を築いた。今やテレビにもレギュラーを抱える売れっ子作家なのだ。



「おつかれーっす」


 出番を終えた朝日と夕哉が楽屋に戻ってきた。笑い声がここまで聞こえていたからか上機嫌だ。そのふたりがひそひそと何か言葉を交わしている。


「早苗さん、この後時間ありますか。ちょっと相談したいことがあるんすけど」


 朝日が声を掛けてきた。夕哉も横に並ぶ。神妙な面持ちだ。


「遅くならないならいいけど、どうしたの」


「ここやとちょっと」


「わかった。すぐ出る?」


「俺らのよく行くとこあるんで、そこでもいいすか?」


「いいよ」


 早苗は鞄とコートを掴むとふたりのあとに従った。


 電車を乗り換えて二十分ほどで着いたのは、サラリーマン向けの居酒屋が並ぶ飲み屋街だった。ふたりは迷うことなくそのうちのひとつの店に入った。間口が二間ほどのカウンターしかない小さな焼き鳥屋だ。道路に面して焼き台があり、いい匂いが漂っている。ここから持ち帰りの客への販売もしているのだろう。古びてはいるが綺麗に掃除された店内は居心地が良さそうだ。ふたりに促され席に着いた。ねじり鉢巻をした髭面の中年の主がカウンターの中で串を打っていた。


「いらっしゃい」


 男が顔を上げた時、早苗は息が止まるかと思った。男もまた目を見開いて固まった。それは十五年前別れたきりただの一度も連絡を取ったことがなかった元夫の達央たつおだった。


 早苗は座ったばかりの席から立ち上がった。その腕を夕哉が掴んだ。


「待って、早苗さん。達央さんの話を聞いて欲しい」


「ただいまあ。あら、おふたりさんいらっしゃい!」


 そこへ買い物袋を下げた女が戻ってきた。そしてまた目を見開いて棒立ちになる。早苗の元相方の秋穂あきほだった。


「早苗……」


 入り口で固まっている秋穂が言葉を絞り出した。目には涙を溜めている。夕哉が早苗の肩を押して座らせた。


「早苗さん、勝手なことしてすんません。俺ら偶然ここのおふたりと知りうて、おふたりの思いを知って、どうしても早苗さんに聞いてもらいたかったんです」


 朝日が続けた。


「俺ら、早苗さんに世話になってることは一切言ってませんでした。だからおふたりが俺らを使って早苗さんに近づこうとしたんじゃないことは保証します。だから少しでいいんで、おふたりと話をしてくれませんか」


「余計なことして……」


 早苗は大きく溜息をつくと肩を押さえる夕哉の手を払い除けて座り直した。


 髭面の達央はどこからどう見ても焼き鳥屋のオヤジだし、化粧っ気のない顔に手ぬぐいでほっかむりをしている秋穂もすっかり焼き鳥屋の女将になっていると早苗は思った。あれから十五年、このふたりにも色々あったのだろう。


 ふたりのその後に全く興味がなかったと言えば嘘になる。それでももう二度と会うつもりはなかった。


 しかし、こうなった以上、自分には逃げる理由がない。誰にも恥じない生き方をしてきた自負がある。それに今なら、今の自分なら受け止められるかもしれない。


 早苗、これは十五年前の自分の弔いよ!


 早苗は腹を括った。


「この店は客に飲み物も出さないのかしら」


 その言葉に秋穂が袖で顔を拭いながらカウンターに駆け込んだ。


「生でいいですか」


「今日は冷えるから私は熱燗にするわ。あんたたち、今日は奢るから好きなもの頼みなさい」


 朝日と夕哉は顔を見合わせて小さくガッツポーズをした。


「「あざっす」」


 緊張の面持ちのかつての夫と相方を見比べながら、早苗はこの話をネタにもう一冊ベストセラーを書いてやろうと心に誓った。

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【KAC20224】十五年目の決着 いとうみこと @Ito-Mikoto

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