愛ってなんだ?

宇佐はなこ

第1話

 秋月昂兎あきづき たかとは恋多き男である。

 と、こういうと何やらモテる人物のように聞こえるが、実際は軽卒に恋をしてはフラれを繰り返し情けない姿ばかりをさらしている。そしてフラれた一週間後には新しい恋の相手を見つけているのだから呆れるばかり。

 そんな惚れっぽい昂兎ではあるがその感情は本人曰く本物で、その証拠とばかりにフラれるたびひどく落ち込んでいた。

 今日もどんよりと沈みきった空気を全身にまとわせたまま親友である高峰聖たかみね ひじりのもとへと缶チューハイ片手にやって来た。

「せーちゃーん……」

 昂兎の元気バロメーターのひとつである声量は最小値で、あぁまたか、と察するのは容易かった。

 はぁとため息を吐き出し、聖は玄関へと向かい傷心の昂兎を迎え入れた。

 勝手知ったるなんとかで昂兎はよろよろとした足取りでダイニング兼リビングにある小さなふたり掛け用ソファへと倒れ込むように座り込んだ。

「……で、今回は何日もったんだ?」

 呆れ声で問いかけた途端、昂兎の涙腺は崩壊した。

「ひ、そ、せーちゃんひどい!な、なんにちってそんな冷たい言い方〜〜!」

 ずびずびと泣き叫ぶ男の姿は何度見ても可愛くない。かといって女が可愛らしさを前面に押し出して泣けば泣いたで鬱陶しいとしか思わないのが聖という男なのだが。

「あー悪かった。で?なにがあったんだよ」

 面倒くさいと思いながらも話を聞いてしまうがゆえにふたりの友情は高校時代から途切れることなく続いていた。

 とりあえず泣き止めとばかりにティッシュケースとゴミ箱を差し出すと、昂兎は両足でゴミ箱を挟み込みティッシュで涙を拭い鼻をかんだ。

「……ついさっき、ちーちゃんに俺とはもう会いたくないって。一緒にいるのが、し、しんどく、なったって」

 頑張って話し始めたがまたも泣き出してしまった昂兎に、これは長くなるなと聖は冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出しソファの向いに腰を降ろした。

 パキッ。小さく鳴った緑茶のふたを開ける音を契機に昂兎はもう一度鼻をかむと話を続けた。

「ちーちゃんって俺がいまバイトで行ってるビルに入ってるガールズバーで働いてる子なんだけど」

「ん?ガールズバーって、じゃあお前と時間が合わないだろ?」

 昂兎のバイトはビルの清掃だ。基本全てのテナントが営業を終えた時間から仕事が始まる。

「いや、それがちーちゃんの店ってそのビルの中じゃ営業終了遅い方で、下の方の階は先に終わるからそっちから清掃してくんだよ。だからたまにエレベーターから降りてきたちーちゃんとかち合うことあったんだ」

 昂兎が言うには、最初は会釈から始まり、何度か顔を会わすようになった頃から向こうから「お疲れさまです」と挨拶をしてくるようになったらしい。

 同じように営業を終えて顔を会わせる女の子は何人かいたらしいがそんな風に接してくれたのはちーちゃんだけで恋しやすい男はコロッ転げ落ちたんだそうだ。

 それについてはもう聖も今更なにを言うことはないが向こうから声を掛けてきたとはいえ、よくその後ストーカーと認定されずにおつき合いまで持って行けたものだと感心する。

 とはいえ、聖自身も昂兎の妙に人好きのするところに絆され、憎むに憎めないその明るく前向きな性格に惹かれる部分があるからこそ正直七面倒くさいとしか思えない友情関係を結べているのだが。

 恋に落ちてから昂兎はなんとかLINEの交換はできないかと、挨拶ついでの話題を少しづつ増やしながら安全な男アピールをしていたらしい。その甲斐あって、ある日一緒に食事に行くことになったのがおつき合いの始まりだったと昂兎は言った。

「その日ちーちゃん時間なくてご飯ちゃんと食べずにバイト来てたらしくて、珍しくほっぺた赤くして酔ってたんだよ。ガールズバーって飲む回数稼ぐためにお酒は薄めにしてるらしいんだけどそれでも酔っちゃったみたいでちょっと足下も危なそうだったから大丈夫?って聞いたらそのタイミングでグーって可愛い音が聞こえてきてさぁ」

 その時のことを思い出してか昂兎は泣き顔のまま小さな笑みを浮かべた。

「んで思い切って良かったら一緒に朝ご飯食べない?って誘ったらちょっと考えてからちーちゃんオッケー出してくれて朝からやってるラーメン屋にふたりで行ったんだ〜」

 で、その勢いで好きだと告げてつき合って欲しいの返事としてLINEを教えてもらったらしい。

 それからも聞かされた話はとても幸せそうなもので、ふたりの空き時間の都合上どこかに出かけることは稀だったが時間が合えばカフェで駄弁ったり、どこかに食事に行ったりと話を聞く限りは順調そうだった。

 最初こそラーメンだったものの、昂兎にしては珍しくその後は女子の好みそうな店を頑張って探して一緒に行ったりもしたようだ。昔の彼女に肉は飽きたと言われて振られた男と同じとは思えない。そりゃ牛丼、焼き肉、唐揚げ、ハンバーガーをローテーションされては元カノじゃなくても余程の肉好きじゃなければ飽きるだろう。その成長ぶりに聖の目頭は熱くなる。

 では今回はなにが悪かったのかと言うと……。

 

 

 ひさしぶりに昼からちーちゃんに会えると昂兎は喜びに溢れていた。

 今日ふたりで行くのはおとぎ話をコンセプトにしたインテリアとスイーツが可愛いと評判のカフェだった。

 ちーちゃんが喜ぶかなと奮発して予約した。早く行って恋人の楽しそうな顔を見たいという昂兎の願いは虚しく打ち砕かれることになる。

 待ち合わせ場所にやってきた時からどこか表情が暗いな、と思っていた。だから疲れてる?と聞きもした。だがちーちゃんこと千里は「大丈夫」と口にして首をふるので「そう?」と流すしかできなかった。

 そして運命の時……。

 予約時間ぴったりに店に着いて案内されたのはシンデレラをモチーフにした半個室の席。

 薄い水色のクロスがかけられたテーブルに飾られたガラスの靴を手に取り、おふさげ半分に、

「こちらはお嬢さんのではありませんか?」

 なんてキメ顔で言った瞬間だった。

 千里の顔がくしゃっと歪み、なにかに耐えるように手が握りしめられた。

「ちーちゃ…」

「ごめん、昂くん」

「え?」

「もう、無理。別れてください」

 その瞬間、昂兎の脳内は真っ白になった。

 意味がわからないと千里を凝視するが、彼女は肩を震わせて俯くばかり。

 どうしようかと思ったそのタイミングで間が悪く店員がやって来た。

 注文を聞かれ焦りながら、どうする?と尋ねても千里は無言のまま。仕方なく勝手にふたり分のランチを頼んだ。

 店員が去ったあとはまた深い沈黙がふたりの間に落ちていく。

 千里が席を離れないのはまだチャンスがあるんじゃないか。焦りの中で見出だした希望にすがりながら昂兎は口を開いた。

「えっと……俺なにかしちゃった?」

 心当たりはないが過去様々な実績によりフラれてきた昂兎は不安になりながら尋ねた。が、千里は違うというように小さく首を横にふる。

「じゃあ、嫌いになった?」

 というかもしかしたら最初から嫌々つきあっていたのだろうか。無言が心にイヤな圧力をかけてくる。

「違うの。私の問題なの」

「ちーちゃんの……?」

 このパターンは知っている。昂兎は何度か経験したことがある。実は好きな人が出来たとか言われるやつだ。

 千里が唇を震わせながら開くのを見つめ、覚悟を決め昂兎は奥歯を噛みしめた。

「実は私……トランスジェンダーなの」

「……へ?」

 予想とは違う言葉に思わず目を瞬く。

 ん?え?は?

 意味をなさない言語が頭の中を暴れまわる。

 千里の肩はぶるぶると震えていた。それだけで彼女が勇気を持ってこの衝撃的な告白をしたのだと知れた。

「えっと……えっと、じゃあつまり」

 自分を落ち着かせようと発した言葉はなんの役にも立たなかったが口を開くきっかけにはなった。

「えーっと、つまりちーちゃんは心は男だってこと?」

 だとしたら何故自分とつき合おうと思ったのだろうと混乱する頭の中に疑問が沸き上がる。

「ううん、そうじゃなくて。体が男……なの」

 小さな小さな掠れるような声で千里は告げる。

 体が男、と言われ改めて千里の姿を頭のてっぺんからテーブルの上にある胸の下まで眺めるが女の子にしか見えなかった。

 だけど言われてみればと思い当たることがある。いつも服はハイネックだったし、ガールズバーに勤めているわりに重ね着ファッションで厚着だと感じたこともあった。今もそうだ。恐らく体の線を隠すために千里は工夫しているのだろう。

「騙すって言い方はイヤなんだけど、そう思われても仕方ない。本当は最初に話すべきことだったと思うし、」

 言葉を途切れさせ千里は深く息を吸いこんだ。ふうぅっと細く長く息を吐き、千里は伏せていた視線をようやく昂兎に合わせた。

「でも言えなかった。だって昂くんが好きになったのは女の子らしい私なんでしょう?」

「そ、れは……」

 違う、と思いながらもじゃあどこが好き?と聞かれたらやっぱりそこに繋がりそうで昂兎は口ごもる。

「昂くんが最初にラーメン食べに連れていってくれたでしょ?あれ本当にうれしかったんだ。外でラーメン食べるのなんて小学生のころ以来だったの。本当は激辛ニンニクラーメン好きだし、焼き鳥も串のまま食べたいし、ジーンズだって履きたいし、アメイジングポメラのライブT着てライブ行きたいの。でもそんな事したらやっぱり男なんだろって言われないか不安で、それを隠したくていつだって女の子"らしく"あらなきゃって。でもそうすればするほど自分じゃない自分になってく気がして苦しいの」

 ぎゅっと胸元を掴み、俯いた千里の目からポロリ涙が零れた。

「この体が女の子だったら好きなものを好きだって言えるのに、私がそれを好きだって言ったら女装が好きなだけの男なんだって勘違いされふんじゃないかって、本当は女だって言う私の言葉が否定されるんじゃないかって思うと……言えなかった」

 ツマンナイヨネ。吐息のような声が漏れた。

「こんなつまんないことが気になって。昂くんのことは好きだけど昂くんが好きな、こういう店に目を輝かせられる女の子でいるのが辛くなっちゃった」

 だからゴメン。そう言って千里は立ち去ってしまった。

 

 

「で、ランチふたり分食べてイマココ」

 語り終えた昂兎になんと言えば良いのかわからなかった。

 気にするな、というには重すぎる話な気がするし、今回ばかりは昂兎が悪かったとも言えない。

 言えるとしたらデートコースはちゃんと相手の好みを把握して選ばないとだが、これは相手が敢えて世間的に女の子らしいと言われる女の子を演じていたのだから仕方がない。

「インスタで見たときは旨そうなランチって思ったのになに食べたか思い出せない。でももったいないから全部食べた。やけ食い……」

 そう言った瞬間に昂兎の腹からグーと結構な大きさの音が聞こえた。

「いや、それ食べてねぇんじゃねぇの?」

「食べた!でもその後ここまで歩いて来たから」

 行ったカフェの場所を聞けば約1時間歩いて来たことがわかる。

 仕方がないと聖は立ち上がると数歩でたどり着くキッチンへと向かった。

 ワンルームマンションには珍しい2口コンロのキッチンは料理が好きな聖が物件選びの時に特にこだわった場所だ。

 さて、と冷蔵庫の中身とストック食材を脳裏に思い浮かべ聖はフライパンを取り出すとその中に油をとぷとぷと注ぎ始めた。

 油を温めている間に冷凍庫から取り出したのは衣までつけ終えたトンカツ。それを作業台に置き、乾物類を入れている棚から袋入りのインスタントラーメンを二袋取り出す。

 じっとフライパンを眺め、手をかざして温度をたしかめると聖は慎重な手つきで凍ったままのトンカツを油のなかに投入した。

 途端に騒ぎだす油を横目に眺めながら今の間にと、油切りを載せたバットとラーメン用の鍋を用意する。

 香ばしい薫りが部屋に漂い出すとしょんぼり沈んでいた昂兎の表情がほんの少し明るいものへと変わった。

 そそくさとテーブル周りを片づけ始めるその姿は普段の昂兎に近く、聖は思わず笑みを漏らす。

 

 グーグーと間を置かず音を響かせる胃袋の限界が訪れたそのとき、待望のそれはやってきた。

 鼻をくすぐるスパイシーな香りはより一層空腹を深め、早くそれを寄越せと訴えてくる。

 待ちきれず腰を浮かせかけた昂兎の目の前に置かれたのは愛してやまない茶色い液体を湛えた丼。

 一面に艶やかなカレー、そのうえには丁度いいキツネ色の見るからにサクサクとした衣のトンカツ。この組み合わせは間違いない。

「いっただっきまーす!」

 声高らかに手を合わせた昂兎はいざ参る!と手を伸ばし掴んだカトラリーの感触に首を傾げる。

「聖、間違えてる。これ箸」

「間違えてねぇよ」

 にやりと笑って聖は早く食えと促してくる。

 右手に持った箸とカレーを交互に眺め、昂兎は空腹に負けた。

 箸で持ち上げたトンカツを一口齧るとサクッジュワの完璧すぎるコラボレーション。衣の片面についたカレーがまた食欲を増進させこの先の味わいへの期待を高める。

 もう箸でも構わない!と丼に箸をつっこんでその違和感に昂兎は眼を瞬く。

「ん?あれ?これってもしかして……」

 呟きながら丼の底から箸を引き上げると現れたのは縮れた麺。

「えっ!もしかしてラーメン?!」

「おう。聖様特製『トンカツカレーラーメン』だ」

 悪戯が成功したとばかりに聖は楽しげに笑う。

「すっげぇ!俺の好きなメニューが全部そろってる!!」

 満面の笑みを浮かべる昂兎に聖はご満悦だった。

 喜びながら昂兎はラーメンを啜りハフハフと熱くなった息を吐き出しトンカツにかぶりつく。

 そこからはただひたすら麺を啜る音と美味いの声だけがBGMとなった。

 

 

「ごっそうさんでした!」

 汁まで全部食べ終えて昂兎は「あーうまかった!」と元気な声で告げた。

「でもさ、なんでこの組み合わせ?俺が好きだから?」

「まあそれもあるが……」

 丼を片づけようと伸ばした手をそのままに、聖は一瞬視線をそらす。

「え、なに?他に意味あんの?」

 わくわくとした気持ちを隠すことなく見つめてくる昂兎に聖は失敗したと眉をしかめる。

「あー……辛いつらいってからいとも読むだろ?だから辛い思いを飲み込んで恋にカツメンズになれって言うか……」

 説明していてあまりの馬鹿馬鹿しさに恥ずかしくなってきた聖は語尾を弱め、それを誤摩化すようにさっさと立ち上がるとキッチンへと逃げ込んだ。

 背後からは爆笑する声が聞こえてくる。

 らしくないというのは聖自身が一番わかっている。けれど慰めの言葉ひとつ書けることが出来なかった自分が思いついた精一杯がこれなんだ。わかれ馬鹿!と心の中で叫びながら丼を洗っていく。

 洗い物が終わってもヒーヒーと笑い転げていた昂兎を足で小突くとようやく笑い声が止んだ。

「あーたまんねぇ。やっぱり聖は最高だな!」

「……どういう意味だよ」

 まさかあんなわかり難いダジャレが最高だなんて言わないだろうな、と睨みつける聖に昂兎は晴れやかな笑みを向ける。

「最高の親友ってこと!」

 サムズアップで告げるその姿は一体どの時代の青春ドラマのワンシーンなんだと言いたいものだった。

「そうかよ」

 それでもその言葉が嬉しいと思ってしまうのだから仕方ない。

 照れ隠しにさして散らかっていない部屋の片づけを始めた聖の横で伸びをしながら昂兎は立ちあがる。

「聖、俺行ってくる」

「どこに?」

「ちーちゃんとこ!そんでもう一回話してくる。やっぱり俺ちーちゃんのこと好きだからさ」

 なにかを吹っ切った笑顔の昂兎に言うことはなにもなかった。

 ありがとう!の言葉を残して振り返ることなく駆け出した親友の姿を聖はベランダから見送る。

「たまにはらしくないこともしてみるもんだな」

 数時間後、昂兎から送られてきたLINEに聖は同じ言葉を呟くことになる。

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愛ってなんだ? 宇佐はなこ @usadi

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