第36話【継母乱舞】

 光一との電話のやり取りから約二時間後。

 セレンさんは仕事から帰ってきた。

 仕事と言っても、今日はスタジオでダンスレッスンと演劇レッスンの日だったらしく、表情の中に疲れの色が見て取れる。


 セレンさんが声優だと発覚して以降、お互い気兼ねなくそのことについて話せるようになった。

 これまでは気を遣ってどこまで聞いていいものか迷いながらだったけど、今は遠慮なく仕事の話を聞ける。

 ようやくセレンさんとの最後の壁が無くなった気がして、俺の心はスッキリしていた。


「光一さん、三日後に帰ってくるのですね」


 リビングのダイニングテーブルで遅い夕飯を食しながら、セレンさんは嬉しそうに言った。

 唇に付着したミートソーススパゲティのソースの赤が、絶妙に色っぽく艶やかに見える。

 

「らしいよ。こっちの世界にはもう帰ってきてるけど、仕事の関係で家に帰れるのが三日後何だって」

「いよいよ、ついに家族が揃う時が来たのですね」

「セレンさん、嬉しそうだね」

「当然ではありませんか。晴人はるとさんは嬉しくないのですか?」

「そりゃあ、ねぇ」


 俺は視線を横にずらして歯切れ悪く答える。


 嬉しくないわけではないのだが......光一とセレンさんのイチャつきを目の前で見せつけられる姿を想像すると、胸の奥に苦しいような、キュッと締めつけられるような、何とも言えない感覚が。


 俺にとってもはや神的に大事な存在となっているセレンさんが、俺以外の男性と仲良くしている......例えその相手が夫の光一だろうと、どういうわけかあまり想像したくはなかった。


「光一さんがいる間は家族三人で一緒に寝ましょうね」

「お断りします」

「そんな寂しいこと言わないでください」


ぴしゃりと冷たく言い放った俺に、セレンさんは悲しみの眼差しを向ける。


「第一、我が家には三人一緒に寝られるような巨大ベッドはありません」

「お泊り会の時みたいに、こちらに布団を三人分敷けばどうでしょう? 私、家族揃って川の字で寝るの夢だったので楽しみです」


 ――セレンさん、あいつの寝相の悪さ知ってるよね? 夫婦なんだから。


 だとしたら息子の俺を真ん中にして防波堤兼生贄代わりにする算段か?


 恐ろしいエルフ継母!!


「夢も大事だけどさ、夫婦の夜のいとなみはいいの?」

「営み?」

「ほら、その、セック......とか」

「セック......!?」


 俺も咄嗟とっさに口にしてしまって恥ずかしいが、おそらく今の俺の顔以上にセレンさんの顔は赤くなっている。


「ここここここっ、子供が親の情事の心配をするんじゃありません!」


 イスから立ち上がり、セレンさんは俺の背中に回り込んでポコポコと、漫画でよくある軽い音のしそうな拳の乱舞を見舞う。

 とても長寿のエルフとは思えないうぶで可愛らしい反応に、俺のドS心が大興奮した。


「ごめん、って」

「全くもう............」


 一頻ひととおりやり終えると、セレンさんは唇を尖らせながら席へ戻っていく。


 継母乱舞(命名)は、まるで適度な強さで振動するマッサージのような痛気持ちよさで、危うくいろんな意味で昇天しそうになった。


「ところで、私に何かお話しがあるのでしょう?」


 セレンさんは話題を逸らすように俺に訊ねた。


 そうだった。


 セレンさんが俺のからかい心をくすぐるもんだから、思わず脱線してしまったではないか。


 本来の俺の目的は光一の帰宅の件を伝えることでも、夫婦の夜の営み事情を訊ねることでもない。


「あのさ、セレンさんにお願いがあるんだけど......」


 姿勢を正し、セレンさんの金色の瞳を見据えて口を開いた。


「フィーネの純愛の収録現場を見学させてもらうことって、できないかな?」


 セレンさんは驚いて一瞬肩を揺らし、俺を注視する。


「決して番組のファンだから見学したいとか、そういうやましい気持ちじゃないよ。なんていうか、普段セレンさんがどういう環境で仕事してるのか、凄く興味があるんだよね」


 続けて、俺はこうも言った。


「それに俺、まだ進路のことでいろいろ答えが出なくてさ。自分の知らない世界を見学できれば、少しは何かわかるかも......なんて、やっぱ甘い幻想かな」


 俺の話しを真剣な眼差しで聞いていたセレンさんが静かに口を開いた。


「プロデューサーさんに確認を取ってみないと何とも言えませんが......晴人さんがそこまで言うのでしたら、私の方からもプロデューサーさんにお願いしてみますね」


 セレンさんは嘆息し、にっこりと俺に微笑んだ。


 親のコネクションを利用して社会科見学をするのはどうか、とも思いはしたが、背に腹は代えられないし、やり方はどうあれ自分から動き出さなければ何もわからない。


 これからは少しでも興味のある世界はどんどん覗いていこうと思う。


「本当に? ありがとう、セレンさん」

「――その変わり、と言ってはあれですが」

「なんでしょう?」


 嫌な予感がする。


「寝る時だけでなく、お風呂も家族三人で入りましょう」

「ダメ! それだけはぜーったい、ダメ!!」

「この前は紫音しおんさんと三人で入ったじゃないですか」


 あの時は紫音という部外者がいたからセレンさんはタオル巻いてたけど、全員家族だったら絶対あなたタオル外すでしょーが!


 息子とその息子の理性が鎌首をもたげるから、絶対に許可できない!

 養父の前で継母に襲いかかった日には、それこそ親子の縁切られるわ!


 不満気な態度を示すセレンさんに、頼むから家族間でももっと恥じらいを持ってほしいと、俺は心の中で願った。



          ◇


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