第29話【うちの継母の、ちょっと昔の話】

 真夜中のリビング。

 変に緊張して眠れず天井を眺めていた俺に、セレンさんは静かに声をかけた。


「昔の話?」

「正確には私がこちらの世界に来る前、パラスティアで暮らしている時の話ですね」


 オウム返しする俺にセレンさんは小さく頷いた。


 そういえば光一との馴れ初めは聞いていたが、セレンさんが今までどんな人生を歩んできたのか、なんてことを聞いたことは一度もなかった。


 別にわざわざ聞くようなものでもないし、人にはそれぞれ言いたくない過去もあったりする。

 家族になった人でも、軽々と踏み込むのはなんだか気が引けた。


「私は物心がつく以前より、ある方の許嫁になることをさだめられて育てられました」

「え......てことはセレンさんバツイチ!?」

「もう、話しは最後まで聞いてください!」

「......ごめんなさい。どうぞ」


 驚いて話しの腰を折ってしまった俺に、セレンさんはたしなめるように言った。


「自由に行動することも夢を持つことも許されず、ただその方と結婚するためだけに生きる――操り人形のような生活に、いつしか私は何の疑問も幻想も抱かないようになりました」


 当時のことを思い出しているのか、セレンさんは寂しそうに語る。

 ましてやセレンさんは創作界隈でも長命として有名なエルフ族。

 俺たち人間が気が遠くなるほどのそのような時間を過ごしてきたと思うと、胸が苦しくなってくる。


「成人し、もうすぐ結婚式を挙げる直前でした。その方が魔物の討伐の最中に亡くなられたのは――」


 その言葉に感情は一切なかった。

 事実をありのまま発したのみ。


「突然自由を手に入れた私は困惑しました。不思議ですよね、誰よりも自由になりたいと心の底で願っていた私が、いざ自由を手に入れたらどうしていいかわからないなんて」


 自嘲気味にセレンさんが笑った。



「夫になる存在を失ない、家族からも邪魔もの扱いされ、私の心と体は日に日に衰弱していきました」


「――そんな時でした。運命的な出会いを果たしたのは」


 セレンさんの声に、一滴の明るさが戻ってきた。


「こちらの世界からやって来た旅のお方が持っていた、ブルーレイプレイヤー......そこには私の見たことのない様々な映像が記録されていました。その中でを見た時......私の中で衝撃が走りました。こんなにも素晴らしい職業があるだなんて」


 暗闇で表情ははっきりと確認できなくても、声色から今のセレンさんの表情がわかる。


「この職業につけば、私が体験することができなかった日々を疑似体験することができる。それどころか無限大な、未知なる感情とも遭遇することができる。私の心は踊りました」


 セレンさんは俺の方へと体を向けて。


「ですから晴人はるとさんも、いつかきっとやりたいことが見つかります」


 ......あ、なるほど、そういうことか。

 そこまで言われてセレンさんがどうしてこのような話をし出したのか検討がついた。


「セレンさん、紫音しおんの奴から何か聞いたでしょ?」

「さぁ、どうでしょうか」


 バレバレな含み笑いをしながらセレンさんは返す。


晴人はるとさんのご存じのとおり、私はこちらの世界についてまだまだ知らない部分が多いです。至らなくて迷惑をかけてしまうこともあります。だとしても、一言相談して欲しかったです......私は、あなたの母親なんですから」


 悲しみと寂しさの混じったセレンさんの言葉は、俺の胸にグサッと、深く刺さった。


 俺は進路をセレンさんに相談しても無駄だと勝手に思い込み、何も相談しなかった。

 大事なのは答えではなく、その過程であることを知らずに。


 器用で不器用、一生懸命な可愛い継母・セレンさん。


 だけどまだ心の中でセレンさんを母親として認めていない自分がいる。


 それがたまらなく恥ずかしくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「......ごめんなさい」


 自分の口から発せられた謝罪の言葉は、まるで子供が悪いことをして叱られ、半泣き状態から出る言葉のようだった。


 数秒の沈黙のあと、隣のセレンさんは俺の布団の中へと潜り込むんで来ると。


「!!?」

「よくできました」

 

 俺の顔を、その豊かな胸に押しつけるようなカタチで抱き寄せた。


 柑橘系の香りがダイレクトに鼻腔から脳内へと流れ、子供の頃を思い出させる柔らかい二つの感触の相乗効果も相まって、俺は抵抗する気力も間もなく無血開城された。

 まぁ、違った意味でこのあと出血するかもしれないが。

 

「これからは何でも一人で抱え込まず、一緒に悩んで、立ち向かっていきましょう」


 ぐずった赤ちゃんを寝かしつけるように、セレンさんは空いている手で俺の背中をぽんぽんした。


 忘れ去られていた、幼い日を思い出させる、暖かくて安心するリズム。


 無意識のうちに抑えていた自分の中の何かが溢れ出るのを感じ、俺はセレンさんの胸の中で静かに泣いた......。

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