第20話【こんな思い出も悪くはない】

 帰りのバスの中。

 乗客はまばらで、俺達は最後尾に座っていた。


 あの後、気分転換に少しだけ泳ぎ、夕方に差し掛かる頃にプールを後にした。

 家まで帰るのに時間がかかるのもあるが、本音を言えば少々騒ぎを起こしてしまった気まずさの方の割合が高かったり。


「今日は、はしゃいでしまってごめんなさい」


 ぽつりと、セレンさんが言った。

 この頃にはいつもの清楚な、落ち着いたテンションに戻っていた。


「気にしなくいいよ。セレンさんが楽しめたなら、俺はそれで充分だし。でも流石に公衆の面前で魔法を使ったのはアウト」

「あれは晴人はるとさんを暴力から守る為で......って、言い訳はいけませんよね....

..反省してます」


 うつむいて反省の弁を述べるセレンさん。

 あの時、セレンさんがナンパ野郎に風の魔法を使っていなければ、おそらく俺は腹に一発もらっていたと思う。


 まぁ、俺を守ろうとしてやったことだからあまり強くは言えないけど。


 肩ぽんからの腹パンはチンピラが不意打ちによく用いられる常套手段じょうとうしゅだん

 それを覚悟で昔取った杵柄きねづかの腹筋を総動員し、硬めて防御に徹したが、出番なく終わってしまった。


「また、助けられてしまいましたね」

「たんに今回は声掛けしただけだよ。助けてくれたのはセレンさんの方であって」

「結果的にそうだとしても、あのような勇気ある行為は身内でもなかなかできないかと。晴人さんが私の子供であることを誇りに思います」


 セレンさんはかぶりを振って、真顔で真っすぐに俺を見つめるが、それがどうにもむずむずしてくすぐったいのなんので。

 

「にしても今日のセレンさんは何というか、変にテンションが高かったよね」

「......やっぱり可笑しかったでしょうか?」


 話しを逸らしてみたら、セレンさんは恥ずかしそうに赤らめた頬に両の手を添える。


「可笑しいというより、ボディタッチが凄くて正直焦った」

「嫌、でした?」

「そうじゃなくて」

「それは安心しました。紫音さんが、人間の子供は母親に触れられると脳から幸せを感じるセロトニン? というものが出るとおっしゃっていたので、晴人さんに幸せになっていただきたくてたくさん触ってしまいました」


 あれは触れるなんてそんな生易しい次元じゃなくて、身体全体で包み込まれるという表現が正しいと思うし、子供じゃなくても幸せになるだろう。

 てっきり開放的になりすぎて変なスイッチが入っただけかと思いきや、全ては『今日この日』の発案者である紫音の入れ知恵ということか。

 あいつはいつからセレンさんの軍師になったんだ?


「――私、今日は少しでも母親らしいことできましたでしょうか?」


 突然、不安そうな声でセレンさんが訊ねる。

 

「何を急に......少しも何も、セレンさんは我が家に来てからちゃんと母親をしてくれてるから」

「でも料理だってまだそんな種類作れませんし、たまにティッシュを入れたまま洗濯機を回してしまうことも」

「ていうか、俺にとっては一緒に生活を共にしてくれてるだけでもう母親、家族なんだよ」


 嘘偽りのない本音だ。

 トラウマでしかなかった『大人の異性との共同生活』を、セレンさんは払拭ふっしょくし、温かくて楽しいものだと思い出させてくれて、感謝している。

 

「それだけじゃダメ?」

「......ダメではないのですが、それでは私の母親としてのプライドが」

「プライドがあるなら、セレンさんももっと苦手な食べ物にも挑戦ないとだね。例えばもずくとか」

「晴人さん、母親をいじめるのはよくありません」


 プライド、あっさり捨てたな。こうしてセレンさんをいじるのは結構面白い。


「これからもよろしくお願いしますね」

「どうしたの、改まって」

「いえ、言ってみただけです。今度はあまり人気の無いプールに行きましょうか」


 セレンさんの体がゆっくり傾いて、俺の肩にこつんと頭が置かれる。


 安心する重みだった。


 車窓から差し込む夕焼けを背負って、セレンさんははしゃぎ疲れた子供のようにすぅすぅと眠りについた。



          ◇



 ここまで読んていただきありがとうございます!

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